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1991年F1日本グランプリに見たバブルの最終章
「#F1を語ろう」というお題があったので、いつもと違う話題F1(フォーミュラ1)について。
今では「微生物」「発酵」「自然栽培」などといっているわたし。
だけど、実はバブルの時代からF1が好きで毎週末夜更かししてTVに釘付けでした。
なんだか、F1というと自然環境とは正反対に思えますよね。
「超自然な静」と「超人工的な動」
F1は、大金を投じたレーシングカーがガソリンを撒き散らして爆音を鳴らし、イケメンドライバー、美人レースクイーン、Coolなメカニック・エンジニア、金持ちそうで冷静な監督と、セレブ的な演出、とド派手なエンターテインメントスポーツの代表格のよう。
でも、F1を深く知ると演出だけではないんです。
リアルなドラマがあるんです。
非日常感が味わえるF1の世界に心が奪われたわたしがいました。
F1(Formula1、フォーミュラワン)とは
F1(Formula1)は、
自動車レースの世界最高峰です。
監督・ドライバー・メカニックなどで構成する各チームが、一定の技術的な規定やマナーとルールの基で各自動車メーカーがレースのために技術を結集して特別に製造する最高性能のマシン(一人乗り4輪車)で競い合い、
世界各国のサーキット(1991年は16ヶ国)を転戦してF1ドライバー※やチームのワールドチャンピオンを決める競技です。
※F1ドライバーはF1パイロットやF1レーサーとも呼びます。
因みに、競技の勝者となるワールドチャンピオンは、ドライバーはドライバーズチャンピオン、チームはコンストラクターズチャンピオン、とあります。
競技は、1日目フリー走行(本番に向けてのマシンテスト)、2日目予選(1周の最速タイムを競う)、3日目決戦、と3日間。
当時は、フリー走行が終わった夜は、ファンの間でマシンの状態やドライバーとの相性について、予選後の夜はワクワクする決勝に向けての各自の予想を夜通し熱く語りあいます。F1で優勝するために必要なファクターは数多いため、話がつきません(まさにF1の特徴であり、バブルの時代だったからかもですね🤣)。
F1ってどんな魅力があるの?
F1は、「ちゃらちゃら」したものでなく、厳格な規定やルールやマナーの下で、マシンの最先端技術とテクニックとチームワークの総合力、そして戦術を練り駆け引きなどを競うスポーツ。
マシンの開発過程から、監督・ドライバー・メカニックなどチーム全員の能力を結集して戦い終わるまでの総力戦(1991年は18チームがエントリー)。
最高時速は飛行機が離陸するスピード300㎞/h以上、コーナーを猛スピードで駆け抜ける大迫力。
その場の空気、非日常感がたまりません。
そこには、数々の感動や名場面があり、中でもわたしが鈴鹿で唯一見た1991年日本グランプリ(鈴鹿サーキット)、わたしが思うF1史上最高、バブルの最終章で華やかで感動的なドラマがありました。
感動するには、少し事前の知識が必要ですので、基本情報と見どころを記載しておきます。
F1にメーカーが参加するのは何のため
F1で優勝するためには、一定の技術的な規定やマナーやルール下での、燃費効率、耐久性、スピード、剛性、軽量化、など最先端技術の粋を集めて研究開発して総合調整をする必要があります。
そのうえ、ドライバーによる運転のチェック、ピットではタイヤ交換や点検スピードのチェック、等を行います。
このレースに自動車メーカーや関係する会社が多額の投資をして参加する目的は、技術を結集したマシンの実験場として機能し、その成果の一部を市販車等に応用することなのです。
1991年F1(Formula1)第15戦 日本グランプリでの華やかさの絶頂と涙
1991年10月20日のF1第15戦日本グランプリは、特別な注目を浴びた見どころ満載のレース(添付動画は1時間52分の完全ノーカット版)。
Youtubeトップ画像は、F1レポーターのマッチです。
このレースのポイントと見どころは、
・ホンダ創業者 本田宗一郎逝去(8月5日)2か月後のレース
⇒故本田宗一郎元社長の指揮の下、ホンダが本拠地鈴鹿に建設した国際レーシングコース鈴鹿。この地で、ホンダ関係者は天国にいる宗一郎元社長に最高の雄姿を見てもらいたい。
・日本人初のF1ドライバー中島悟のラストラン
⇒これまでの感謝と共に、有終の美を飾ってほしい。
・ドライバーズチャンピオンを賭けたレース
⇒91年のこれまでのGP戦績は、ホンダを愛したブラジル人アイルトン・セナが6戦優勝、ルノーの英国人ナイジェル・マンセルが5戦優勝。
故本田宗一郎元社長に喜んでもらうためにもアイルトン・セナに有終の美を飾ってほしい。
・コンストラクターズチャンピオンを賭けたレース
⇒91年のこれまでのGP戦績は、アイルトン・セナとゲルハルト・ベルガー率いるマクラーレン・ホンダが6戦、ナイジェル・マンセルとリカルド・パトレーゼ率いるウィリアムズ・ルノー7戦優勝。
故本田宗一郎元社長に喜んでもらうためにもマクラーレン・ホンダに優勝してほしい。
・前年に日本人初の表彰台(第3位)を獲得した鈴木亜久里のレース
・ドイツ人初のミハエル・シューマッハ―がF1初参戦
⇒後に「ターミネータ」「サイボーグ」「皇帝」と呼ばれ、F1史上最多の優勝7回(2000年から5年連続優勝)を誇ることになるミハエルシューマッハ―F1初参戦。
・他にも実力派ドライバーが多数参戦するレース
アラン・プロスト、ネルソン・ピケ(セナ、マンセル、とともにF1四天王と呼ばれた)、ジャン・アレジ(フランス人資産家・実業家、後藤久美子と結婚)、ミカ・ハッキネン(フィンランド出身で92年から01年まで人気投票10年連続1位の北欧の貴公子。98年99年2年連続優勝する)、他
大波乱のすえ、予想を超えた結末が!
F1は、F1レーサー全員がモンスターマシンで限界ぎりぎりまで攻めて攻めて攻めまくるので、クラッシュした時の損傷が激しい。
レーサーの無事を祈るばかりですが、その危険と背中合わせで最善を尽くした姿が半端なくかっこよく感動的。
上の写真は、リタイア後のナイジェル・マンセル。
マンセルは、最後にセナを祝福する清々しさ。これぞスポーツマンシップ。
結末は、セナが優勝するものだと思っていたが、思わぬ結末に。
これも感動的!
F1実況解説でおなじみの今宮純さんも思わず涙、涙、涙。
アイルトン・セナの日本GP
「自ら感動し、人々に感動を与えたアイルトン・セナ。その姿が忘れられない」
1991年は、ウィリアムズ勢に苦戦し勝利から遠ざかっていた中、本田宗一郎が死去。
直後の開催となったこのGPでは、セナを含めチーム全員が喪章をつけて挑んだ。
予選では、超軽量カウルや予選用ガソリンの投入もあり5戦ぶりにPPを獲得すると、決勝でも1度もトップを譲らずに優勝。
レース終了後、セナは久々の勝利を本田宗一郎に捧げた。
しかし、
アイルトン・セナは1994年5月1日にイタリアイモラサーキットで事故死、ブラジルにおいては国家的な悲劇であり国葬が行われ3日間喪に服した。
ホンダでは
セナとの「お別れ」をする日本のファンのために、セナが1992年にドライブしていたマクラーレンMP4/7A・ホンダとヘルメット(ロータス時代)を青山の本社1階に展示した。
その際、1991年に死去していた創業者の本田宗一郎の「自動車メーカーの経営者が車の渋滞を起こすような社葬などしてはいけない」との生前からの言葉に合わせるように、通常は一般に開放していない本社地下の駐車場を、車で訪れたファンに対して無料で開放するなど、最大限の配慮を持ってセナの死を悼んだ。記帳した人にはその後、ホンダからセナのポストカードが3枚入った封筒が郵送された。
(Wikipediaより引用)
最後に
1991年はバブル崩壊の年、その年のF1日本グランプリはまさにバブルの最終章として華麗な大きな花火があがったようでした。
当時、わたしはすれ違ったマンセルに挨拶が出来て興奮。
他の観客がサーキット上でブラジル国旗をセナに渡すなど、今では考えられないセキュリティーの甘さ。これもバブル時代ならではだったと。
その後、皇帝の愛称を持つドイツ人ミハエル・シューマッハへと新たな時代に突入。
これまでもこれからも、F1はレギュレーションを変えながら新たな魅力を提供してくれてます。
昨年1月4日、F1解説のパイオニア今宮純氏が逝去したと伝えられました。ご冥福をお祈りします。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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