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28_のびるのびる

雨を味方に庭の草花はぐんぐん伸びる。紫陽花は毎日色合いを変え、種をまいたばかりのコスモスはほんの数日で庭の景色を変えた。庭も、仕事も賑やかでした、6月。

歌声

ベストオブ6月は高校生との歌レッスン。エアコンのない体育館で、ピアノの音も歌声もかき消される巨大扇風機の羽音のなかノリノリで校歌を歌う16歳。流行りの曲じゃなくて、校歌。ワンフレーズごとにわたしが歌い、耳コピして声を出し、というのを繰り返して徐々に歌えるようになっていく。音程の正確さはあまり気にしない。それよりも子音の扱いや息の流れに意識を注ぐ。

レッスン終了後にも大声で校歌を響かせる生徒がいたし、楽譜が欲しいという生徒もいた。何度もいうけど校歌だよ。校歌っぽくないメロディーとリズムを持つこの校歌に、彼らはこれから親しみを抱いていくのかもしれない。
昨日高校に行ったら校歌の音源が流れてた。20年以上前に録音したその音源にはわたしの歌声も入ってる。次回は輪唱パートにチャレンジ。

内なる声

6月中旬、小学校2年生の研究授業を参観させてもらった。研究授業は保護者向けの授業参観とは違い、研究テーマを設け、そのテーマについて実際の授業を通して先生方が研究・議論するような場。広く一般に公開されるものもあれば、地域の先生方だけが参加する非公開の場もある。今回は後者。

参観したのは「16人のミニトマトけんきゅうじょ」というテーマで、ミニトマトの栽培プロセスや現在の様子を伝える生活科(2年生)の授業。

ミニトマトをそのまま土に埋めるとどうなるのか。芽が出る?出ない?どんな結果が出るかわからないテーマは子どもたちの探究心をくすぶる。

キラキラしている子どもたちの目が眩しかった。伝えたくて、聞いてほしいという内なる声が見てとれる。言語活動の奥深さと、表現に至るまでの先生のかかわりも勉強になった。真似してできるものではない。こんな瞬間の積み重ねが、生きる糧、教育活動の豊かさなのだと、心の中で何度もシャッターを押した。
毎日、毎時間、子どもたちの一喜一憂が交錯しながら学校生活は続いていく。先生の丁寧であたたかな関わりによって生まれる子どもたちの学びに向かう姿を見られて、ものすごく力をもらった。それに、なんだろうな…教員になることを夢見てたときの気持ちを思い出した。
見えないものをも大切に育んでいける、食農プログラムは学校にとってそんな周辺環境の一部でありたい。

外部の声

一昨日は神山町の学校食育推進委員会に出席。3校のPTA会長がそれぞれ食育に関する期待や要望など前向きなコメントをされていたのがとても良かった。
食農NPOの取り組みも報告させてもらった。新たな試みとなる栄養教諭との連携や小学校&高校連携の加工品プロジェクトについてのお知らせ。そして次年度の食育推進全国大会(徳島大会)に向けてのアナウンス。
小学校の校長が「食農教育は教育課程に位置付けられた学びになっているのがよい。子どもたちの探究的な学びにつながる探索ができている」というような内容でコメントくださった(わたしの解釈と言葉に変換してます)。毎回様子を見にきてくださる校長先生からの励ましに、心があたたまる。
小学校のPTA会長は「畑で育てて収穫した野菜を食べるという活動は神山ならでは。神山の教育の柱になり得る。ずっと続けてほしい」とのコメント。お子さんが家で畑や田んぼの活動について話し、楽しみにしているのだという。子どもから家庭へ。これもうれしい。


昨年度の食育推進の取組をまとめた食育白書が届いた。食育推進施策の一つ「子供・若い世代を中心とした食育の推進」の一事例としてまるごとファームクラブが紹介されている。学生主体の畑や田んぼの活動がなぜ起こったのかという部分は農水省の方も気になっていた様子。学校のスタンスもあるだろうし、今いる場所の周辺環境は大きく影響しているのかもしれない。ひとも風景も。

農林水産省発行(2024年6月)

日本における「食育」に関する様々なデータや事例を眺めつつ、NPOのネクストステップも考えつつ、次年度開催される「食育推進全国大会」徳島大会がどうあると良いのかに思いを巡らせつつ。

あまりの暑さと湿度でのびきってる。
びよーん。