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13_迷子になった6月、バランスとりたい7月

写真は田植え直後の田んぼ。一雨ごとに勢いを増す草が気になるこの時期。草を気にする方々が多いまちでは常に何かに追われているような気分。畑と田んぼに関わる、日常に取り入れるということは、なかなかに覚悟のいることです。


6月の活動

6月は神山校の寮(あゆハウス)で暮らす学生とまるごと高専生の交流会に始まり、小学校では田植え、大豆の播種、さつまいもの苗植えを実施。
神山校では地域の方々が参加する学校運営協議会が開かれた。そして歌のレッスンも実施(ここ数年、音楽担当やってます)。生徒は歌うことに前向き。でも、1年生の彼らは中学校時代に「みんなで歌う」という経験をほぼしていないと後から聞いた。そうだった(コロナ禍)。歌に関しては経験が積み重なっていない空白の3年間。たった1時間でもみんなで歌を歌う時間を過ごせてよかった。

7月の活動

小学校では、昨年収穫した大豆を使って味噌づくりを実施。昨年とてもおいしくできたから今年もぜひ!という先生の声で実現。うれしい。
中学校では2学期に向けて農業体験の企画が進んでいる。
あゆハウスでは、有志メンバーが畑を開墾し電柵を張って栽培活動を進めている。
まるごと高専のまるごとファームでは、4種の野菜が成長中。草の勢いを実感している初年度、かな。

ともあれ、先生方や子どもたちと取り組む食農プログラムが、今年度も始まっています!

小学生の田植え。ひととおり終わった後に「補植したい」と喜んで田んぼに入ってきた子がいた。こういう瞬間が一番うれしい。

「やってみる」から始める、まちの食農教育

7月初旬に開かれた神山町食育推進会議では、地域の生産者、小中学校の校長先生、PTA代表、各校の食育リーダー、栄養教諭、健康福祉課の方々に向けて食農教育の活動について紹介する時間をいただいた。

大切にしているのは「やってみたい」という先生方の声。百聞は一見に如かず。習うより慣れろ。先生方も一緒にやってみて、振り返って、より良くしていく。そんな活動を重ねていきたいものです。

神山町から一歩出て考える機会もいただいている。徳島県教育委員会から委嘱された「徳島県地域と学校の連携・協働強化推進員会委員」(3年目)。県内各地の様子がわかることは学び多き時間。とはいえ、何をどうすれば委員の役割を全うできるのだろうか、と考えを巡らせる時間。

学校給食と地産地食

食材調達ルートの確保、メニューや調理方法の工夫、一次産業の営みに触れる体験、自分でつくる経験。 個々の知識や経験が〝おいしい〟をつくり、地域(食材の調達範囲)の関係性を豊かにしていけるといいなと思いつつ、言うは易し行うは難し。見えてきたこともあるけれど、まだまだ把握しきれていないものごとがたくさんある。リサーチの方法を探るため、メンバーの古くからの友人に協力をお願いしたところ的確なコメントをビシバシいただいて一気に頭の中が整理される。あぁ、すてき。
秋には神山町で「School Food Forum」を開催すべく、企画を進めている。わたしたちが考える「学校食」を関係者とともに考えていくキックオフを兼ねた場にしたい。一歩ずつ、わたしたちのものごととして前進しているのが、うれしい。

作り手の顔が見える野菜はやはりおいしい。この野菜に助けられた1種間だった。ごちそうさま。 

「みんなでつくる」は実現可能?

「みんな」という言葉を嫌がる人もいるけれど、ある組織やコミュニティに所属しているメンバー一同、顔の見える範囲、という意味合いでわたしはよく使う。あえて「みんなでつくる」ことに向かっていくのは、自分自身の小学校時代の原体験が大きく影響している。2018年10月のblog にこんなことを書いていた。

わたしのあり方は、小学校6年生の時の担任の先生にとても影響を受けている。クラスのいろんなことを全部自分たちで決めてつくっていく1年間だったのだ。何がよくて、どうしたくて、自分の考えはこうだ、みたいなのを出し合ってつくっていく過程が大事にされ、多数決は許されなかった。先生は「1人ひとりが意見を持っていない時に多数決なんてできないだろう、もし多数決をするのなら全員が自分の考えを言ったあとだ」とよく言っていた。たくさんの考えが出てくるけれど、そのどれもがちゃんと自分の意見だから、と認めてくれ(分からない、とかいま考えている、という意見も)、黒板に書かれた意見は最後までみんなの目に触れる場所に居続けた。

誰かが主導してモノゴトを決めていく過程は時間も手間もかからずとても効率的だ。けれど、わたしは中学校に入ったときにそのおとな都合の効率的な進め方にとても違和感を感じるようになっていた。

自分がやってきた経験からしかものごとは見えない。
「人の気持ちを想像する」なんて、難しくてできない。
自分が思ったり考えたりしていることは、自分の枠組みの中の世界でしかないのだなーと、そんなことを最近よく思う。

だから、いろんな経験をすること、いろんな人と出会うこと、自分の考えを伝えたり相手の思いを聞いたりしながら対話できること、それらが全部必要で、自分(わたし)の仕事をつくっているのだと思う。

http://un-tokushima.com/diary-34/(2018.10.3)

小学校6年生で味わった「みんなでつくる」感覚がずっと根底にある。なんなら、引きずっているしこだわっている。場への所属感と、言葉を交わしながらつくられていく連帯感。一人ひとり異なる考えがあって当然という安心感。早く効率的にやるものごととは真逆の営み。関係性を育むことで見えてくる景色。
フードハブで「みんなでつくる」を実装しようと、全体会議 について試行錯誤した時期があった。18回、会議を進行し、レポートを書き、最後は力尽きた。そのレポートに残っていた言葉と感覚は今もありありと思い出せる。そして、今ならもっと肩の力を抜きながら別の方法でやってみるだろうな、とも思う。

「地域内循環」とはフードハブでもよく使っている言葉ですが、外の大きな仕組みや枠組みにばかり目を向けていると、近くの大切なことが見えなくなってくることもあります。「社内循環」は何より大事、それが「全体会議」を通して見えてきたわたしのこたえでした。向かう先には、こたえも正解もありません。人が違えば出す「こたえ」も違う。わたしだけではない、わたしたちの「こたえ」を「食」を通じて考えていきたいと思っています。

http://foodhub.co.jp/daybook/3486/ (2019.7.8)

わたしたちのこたえを探す

(わざわざフードハブから独立して)NPOを立ち上げたのはなぜ?と投げかけられることがある。流れと勢いに乗ったというのが正直なところだけれど、一緒にこれからをつくっていく仲間を求めていたところは大いにある。わたしだけではなく、わたしたちのものごとにしていきたかった。

先日開いたNPO総会でのショット。理事+正会員合わせて13名。新しくJA名西郡(森下さん)にも正会員として参画いただいた。

子ども時代の「みんなで(クラスを)つくる」という泥臭い経験が、わたしを先生という仕事に向かわせた。思い返すと、大学入試も教員採用試験も「みんなでつくる」学級経営の大切さを涙ながらに熱弁した。いまも変わらずそこにフラグが立ち続けている。

「みんなでつくる」はいかにして実装できるのか。

ちょうど良い本が届いた。今から読む。