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当たり前が当たり前にできないのが当たり前の世界への向き合い方

現在、私達が立ち上げを行っている、高校で社会に通用するスキルを身につける職人育成の高校、マイスター高等学院とその運営団体である一般社団法人マイスター育成協会の法人設立に向けて、理事メンバーの登記書類の署名捺印を集めて定款を完成させるべく、2日間連続で新大阪で理事会、運営委員会を行っています。
次世代を担う若者たちを育てたいとの熱い想いを持った経営者が集まると、人材開発、人材育成についての話題で大いに盛り上がり、懇親会の場では話が尽きません。

企業は人なりの当たり前

人材育成談義をしている中で、経営者の口から良く溢れてくるのは、わかり切っている当たり前のこと、そんなに難しいことでは無いようなタスクがなかなかこなせない社員がおり、真面目に働くし、良いものを持っているはずなのに、顧客や仲間の信頼を損ねたり、期待を裏切ったりするのがとても勿体ない。との愚痴ではないですが、残念な出来事がいつまで経っても無くならないとの嘆きです。
ヒューマンエラーによるミスやクレームが起きてしまうと事業の収益を損ねるのは自明の理、逆に言うと一緒に働くメンバーの人材育成、人材開発が順調に進み、メンバーの能力が高まれば生産性が高くなるし、いい評判が集まって、事業は繁盛するのも当然。企業は人なりと言われる所以です。事業とは人材育成と一体、教育こそが事業を創り上げる要だと思っています。

当たり前を行うのは在り方

人材育成、人材開発というと、少し大袈裟に聞こえますが、私はスタッフが当たり前のことを当たり前に出来る人材になるだけで大きなアドバンテージになると思っています。そんな難しい、特殊な教育が必要な訳ではなくて、人としての道を外さない、良いと思ったことをそのまま行動に移すことができる、些細な失敗やエラーを、ま、いっか、と見過ごさずに修正できる。今だけ、金だけ、自分だけの価値観に陥らない、要するに当たり前のことばかりです。
しかし、冒頭の経営者の嘆きの通り、残念ながら今の社会は当たり前のことが当たり前にできないのが当たり前になってしまっています。その意味では、成果の質は関係性の質に由来すると言われる原則を鑑みて、エラーを起こす社員に対してもっと経営者が寄り添って、失敗が起こらないように事前の準備や状態を整える伴走をすれば良い。との当たり前のことを行わない経営者の姿勢がその元凶になっている可能性も否めません。当たり前を行うのは人としての在り方の問題です。

計画を立てる。当たり前ができない職人たち

20年を超えて長年、職人育成を行ってきた私が気づいたインサイトは、人は誰も(動物と同じように)縛られたくない生き物で、誰かにあてがわれた予定を守るのも、自分自身で詳細な計画を立ててそれに縛られるのも嫌いで、できれば予定を立てずに行き当たりばったりで毎日気楽に過ごしたいとの願望を持っているとの事実です。しかし、規模の大小にかかわらず、事業はすべからず計画を立てず無闇に突き進んでうまくいくことはありません、当たり前ですが。
実際、自分が行う作業を詳細に計画してその通りに実行できる職人はごく稀で、殆どいないと言っても過言ではありません。殆どの職人はゆったりと余裕を含めたぼんやりした工程は組めますが、突き詰めた詳細な計画を立てるのは自分の首を絞めるだけとばかりに、意識してか無意識は分かりませんが避けようとしてしまうのが現実です。

職人が稼げなくなった理由

当たり前ですが、工期や工数はそのまま工事費用に転嫁されます。余裕たっぷりの工期で計画すると、当然、工事の見積もり金額は実際よりも膨れ上がります。残念ながら今の情報が溢れる競争過多の時代、これでは競争力を失って仕事を受注できなくなってしまいかねません。仕事がなくなっては元も子も無いと、今度は市場の通り値に合わせて見積もりをして、金額優先で工程を組むことになります。これも、計画が立てられない職人はやってみなければそれが高いか安いかの判断をつけられず、曖昧な計画のまま着手してしまいます。私はこれが、職人の稼ぎがどんどん低くなった根本的な原因だと思っています。自分で計画を立てられないから言われた値段で工事をする、工事が終わった後に文句を言ったところで誰も追加費用を払ったりしてくれません。かといって、次からは現実に即した計画を立てられるかと言うとやっぱりそんな面倒なことはしたく無いのが今の職人の大多数です。なぜこんな不思議なことになったかと疑問に思ってしまいますが、縛られたく無い人の本能と共に30年ほど前までは掛かっただけ請求するのが罷り通っていたのも大きな要因だと思っています。本当に残念ですが。。

何故、志なのか?

当たり前のことが当たり前にできないのが当たり前の世の中ですが、その壁を乗り越えられる人ももちろんいます。それは、乗り越える理由があるからで、その理由とは、面倒で、ややこしくてしんどいけど、やらねばならないとの覚悟を持った人です。もしくは、それを乗り越えた先にワクワクする楽しいことが待っていてやりたくてしょうがなくなった場合や、それをやり遂げることで誰かに喜んでもらえる、感謝されると信じている場合。それらを私は志と呼んでいます。
志を明確に持つことで、事業を成り立たせる、成功させなければならないとの責任感や使命感が生まれます。当然、綿密な計画を立てて、事業が成功裡に終えられるように努力も積み重ねます。要するに、多くの人が志を立てることで当たり前のことが当たり前にできる世界へと変わると思うのです。
混迷を深める時代に突入した今こそ、大人も子供も、経営者もスタッフもあらゆる人が志を見直す時になったのでは無いかと思います。吉田松陰先生が「志を以って万事の源と為す」と言われた言葉の重さ、深さを感じずにはいられません。やっぱり全ては志から始めると思うのです。

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当たり前の「理」を天下に布いて、職人の社会的地位の向上の実現を目指しています。


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