想定外が起こることが想定内
特定のテーマについてではなく、「1500文字程度のnoteを書く」ことを目的としたnote。書きたいことが思い浮かばなくても、ひとまずは思う所をつらつらと書いていくことで、今の自分が考えていることを形に残していこう、と思って始めました。書き終わったあとで「noteの書き方」というテーマを見つけましたが、noteの書き方なんて、そんなゆるーい感じでいいのだと思っています。【文字数:1736文字、所要時間:45min】
「note書きたいなぁ」と思って、そのまま過ぎていった日は数えきれないほどある。今日という1日を表すものを残したい、今日しか書けない文章を書きたい――、そう思っていても、「いや、でも何も書くことはないよな」なんてことを考えて、パソコンを開くこともないまま、たいして飲みたくもないお酒を飲んで、ちょっと気持ちよくなって、1日を終える。そんな日々が平気で続く。
そして、今日もそんな1日を過ごそうとしていた。ただ違うのは、とにかく、「なんでもいいから書くぞ」と、この文章を書いていること。きっと、書き始めれば何か、書きたかったことが思い浮かんでくるだろうから。この文章が30分後には消されて、新たに思い浮かんだ文章が残るなら、それはそれでいい。
――なんて考えながら書いていると、結構書くことは思いついたので、今回から【1500文字noteチャレンジ】というマガジンを作って、「思いつくことがなくても、とりあえずnoteを書き始める」ようにしようと思う。週2回程度更新できればいいな、なんて気軽な気持ちで始めてしまうことにした。
ほら、やっぱり「書きたいことがない」なんて、ウソだ。
緊急事態宣言解除から1週間
さて、東京都での緊急事態宣言が解除されて、1週間が経った。この1週間で、完全リモートだった仕事は、週2リモート、週3出社の形に変わった。幸いにも、恐れていた「満員電車での通勤」は、時差出勤や、リモートワークの普及によって避けられている印象だ。
さて、生活は少しずつ、コロナ以前に戻ってきつつある。しかし、あの頃の日常とは違う点が結構ある。ただ移動しているだけでも、無意識にソーシャルディスタンスをとるようになった。エスカレーターは2段あけるし、電車で1つ飛ばしの席を見つけても、離れた位置に立つようになった。
こうした癖は、これから数か月は抜けないだろう。和気あいあいと歩く高校生を見ると、「距離が近いぞ」なんて言いたくなるし、ドアノブに触らざるを得ない状況にストレスを感じるし、外に出るときには絶対にマスクを着用するようになった。これだけニュースでコロナのことが報じられている以上、誰しもが同じような状況にあることだろう。
「想定外が想定内」
このたった数か月で、生活は一変してしまった。仕事は急にリモートになるし、用のない外出をすることは控えるようになった。これからの人生、今回のように、急に日々の生活が変わるようなことはもうないだろうな、なんて考えもしたけれど、思い返せば2011年には東北の地震があったし、2016年には地元熊本で大地震があったし、そして2020年にこのコロナ禍が始まったことを考えると、これからの10年ではまた、予想もつかないようなことが起こるのだろう、とも思う。
生きていくと、考えもしなかったような出来事が何度も起こる。そしてそれは、誰も予測できるものではない。ただし、備えることはできる。
通勤時間が減ったことで、可処分時間が増えたここ最近、投資を少しずつ勉強するようになったのだが、そこで面白い考え方を知った。それは、「想定外な出来事が起こることが想定内」という考え方だ。
例えば、投資をしていて、特定銘柄に財産のほとんどをかけていたとする。その投資先が絶対にグロースすることを見込んでいたとしても、想定外のことはありうる。今回のような、防ぎようのない災害が起きてしまえば、それで財産のほとんどが吹き飛ぶ可能性もあるだろう。だからこそ、リスクを分散し、さまざまなセクターに分散して投資することが好ましい、という考え方だ。そうすれば、たとえ1つのセクターで暴落が起きたとしても、ほかのセクターである程度の資産を担保できる。
よくよく考えれば、当たり前の話ではある。「転ばぬ先の杖」なんて言葉もあるし、想定外の病気や事故に備えるために、保険という金融商品もあるわけだ。
今回のコロナも、そしてこれから起こる何かしらの災害も、事件も、それぞれの予知をすることは絶対にできない。それでも、「もしも」が起こった時にでも、ある程度は対処できるような準備を前もってしていれば、万が一の時にも、思考停止になることを防げる。
「想定外が起こることが想定内」。そんな入念な準備をしていき、これからの長い人生をより有意義に過ごさなくてはな、と、そんな考えを持ちつつ、このnoteを結ぶとする。