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僕は夢をゴミ箱に捨てたけれど

20歳、僕は夢をセブン-イレブンのゴミ箱に捨てた。重くって肩が凝ったから。大学2年生のころだった。

口に出した夢

時は遡り、2013年。

「いずれは、放射性物質を吸収するマテリアル(材料)を開発する研究者になって、福島の力になりたいんです」。その後入学することになる、材料工学系の大学入試の面接で、僕はそんな夢を語っていた。

そんな夢を持つようになったキッカケは、その約2年前に起きた3.11 東日本大震災にあった。

「全身にアルミホイルを巻くのだ」

3月11日。高校1年生のころ、まだ明るい時間帯に、教室の中で「なんだか日本で大変なことが起きている」と先生伝いに聞いた記憶が思い出される。

当時はまだまだガラケーが隆盛していたころで、家の中での娯楽の中心はテレビであった。目を覆いたくなるようなニュースと「ぽぽぽぽーん(ACジャパン『あいさつの魔法。』)」のCMとが繰り返されていたリビング。九州に住む私には縁のない地での出来事であったが、それでもどことなく、閉塞感と無力感を感じていた。

報道は、直視できない考えられる最悪のようなシナリオを報じ続けたし、Twitterではデマも流れた。「外に出る際には全身にアルミホイルを巻くのだ」。

正しい知識の語り手に

高校時代、模試を受けるたびに「志望校」を記載してその判定を見ることができた。

先の出来事もあり、高校2年生頃からは、なんとなく「放射線」の専攻がある学科を選ぶようになった。なんとなく、「正しい知識の語り部になりたい」という思いがあったからだった。

「語り部」という職業のイメージは、被曝体験についての証言をなされていた方々にあった。小学校の修学旅行は長崎へ行って話を聞き、よく学校の講演会でも語り部の方がお越しくださっていた。

九州大学医学部保健学科、熊本大学医学部保健学科。その2つを第一志望に、その他は取り敢えず兄も進んだ「教育学部」をいくつか。

模試の合格可能性判定を見るための欄にはだいたいそんな志望先が並んでいた。

届かない合格ラインと『夢の扉』

勉強はそれなりに頑張った。校内での成績も悪くはなかった。ただ蓋を開けてみれば、センター試験の結果は第一、第二志望の合格ラインには届かなかった。悔しさ半分、「まぁこれが実力だよな」といった感じ。特段大失敗をしたというワケでもなく、単純な実力不足だった。

それでも二次試験まで挑戦してみることはできた訳だが、当時の担任からは「この点数ならば、推薦での受験も考えていいかも」との声掛けもあり、別の選択肢を考えてみることにした。

そんなときに出会ったのが、「マテリアル」という世界だった。TBS「夢の扉+」という番組で、福島の放射性物質の問題解決に取り組む研究者(今でも名前を覚えている)についての放送を観て、「こんなアプローチもあるのか」と思ったためだった。

いいじゃないか、自分も研究者になろう。

TBS「夢の扉+」YouTubeより

世界中で飲料水汚染を引き起こしているヒ素を簡単に除去できる材料が、物質・材料研究機構元素戦略材料センターのシェリフ・エル・サフティ(Sherif El-Safty)主幹研究員によって開発された。

サイエンスポータル

口にも出さないような夢は……

そうして、面接では夢を語り、無事大学入学。

試験勉強中に、担任から「ちょっと来て」と言われ、魅せられた画面。人生でもトップクラスに嬉しかった瞬間だった

当時聴いていた僕が好きなアーティストの歌詞に、こんなものがあった。

いつも 口にも出せないような夢は 力なく消えていった
you ready もう嫌なんだ 言わずにやらずに終わってくなんて

UVERworld『No.1』

「口にも出せないような夢は、消えてゆく」

当時ずっぽりはまり込んでいたボーカルから発せられるこんな言葉に、とてつもなく影響を受けた僕は、夢を口にし続けた。

僕は一度夢を捨てたけれど

2014年。

大学2年生の夏、大学生が集められて行われたイベントがあった。「キャンプしながら、本気で夢を語ろうぜ」みたいなコンセプトのイベントだった。

そこでも僕は、自信満々に夢を語った。

「材料で世界を変える! 」

分厚い木の板に、夢を書いて、参加者全員に向けて発表する。

他の参加者も、「社会福祉士になる」やら「世界一素敵な家庭を築く」やら(うろ覚え)、みんながみんな、思い思いに自分の夢を宣言した。思えば、そこから夢を叶えられた人はどれだけいるのだろう。

とにもかくにも、今となってはこの体験は本当にいい思い出である。だがその一方で、その後の数年間は、あまり思い出したくないものでもあった。

夢を宣言した僕はその後、熱覚めやらぬままに、このボードを持ち帰り、その後置く場所もなく、リュックの中で眠らせ続けた。実家暮らしだったこともあり、自分の部屋に置いて親に見られるのもなんだか恥ずかしかったからだ。

どのくらいの期間、僕はこのボードを入れたリュックを背負い続けたことだろう。約2キロほどの夢を背負い、数カ月経ったころ、ついには耐えきれなくなって、僕はこれをセブン-イレブンのゴミ箱に捨てた。重くって肩も凝っていたし。

ちなみに今更ながら、処理する方は本当に面倒だったと思う、思えばルール違反だ。本当にここで書いたってどうにもならないが、お詫びしたい。いまだに、コンビニのゴミ箱を見るたびに申し訳なくなる。いわゆる「家庭ゴミの持ち込み禁止」の中でもかなり罪が重いものだろう。

それから10年

2024年。

僕が夢をゴミ箱に捨ててから、約10年が経とうとしている。

かくいう今は、「マテリアル」とはまったく異なる分野で仕事をしている。それでも、これまでの人生の中での後悔はないし、楽しくやっている。

まだまだ道半ばではあるけれども、一度夢を捨てたからこそ、誰かの夢を応援したいと思う気持ちは、人一倍にあると思う。

今は、人材領域(新卒)で平たく言えば「就職支援」「キャリア教育」の仕事をしているので、さまざまな「10年前の自分」と近い年の学生たちと会っている。その中でも、面接や履歴書・ESなどを見る場では、さまざまな夢と出会う。

僕はその夢を、ゴミ箱に捨てずに済むように、ほんのちょっとだけ、手助けをしている。今の仕事は、そんな役割なのだと思っている。説教がましいので、自分の過去の話はあんまりしないのだけれど。

人生、夢を持とうが持てまいが、どっちでもいい。そして、一度持って捨てたっていい。

僕は夢を一度捨てたけれど、夢が今の僕を作った。どうせなら夢は、口に出した方がいい。今でもそう思う。

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田中しょーご
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