お刺身を見ると泣いちゃうのはいったいなぜ?
食育日本食文化伝承協会
以前書いたこの記事ですが、
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記事の中で「食育日本食文化伝承協会」という団体を紹介しました。
この団体の代表である梛木春幸(なぎしゅんこう)氏は、日本料理ひとすじ30年の料理人ですけれども、「食育日本食文化伝承協会」はプロむけの団体ではありません。
一般の人に参加してほしい団体です。
彼がこういう協会をやっている背景には、
日本の伝統食文化をなんとかして日本人に伝えたい
という強烈な思いがあるようです。
梛木氏は、日本の伝統食文化の話をしているうちに涙ぐむことがあります。
最初にそれを目撃したとき、筆者は正直、引きました。
ですが、いったいなぜそんなに思いが強いのか、梛木氏の話を聞いているうちに、涙ぐむ気持ちが少しわかった気がしました。
中国の「神農」について
神農とは古代中国の薬の神様。
身近な草木の薬効を調べるために自らの体を使って草木を食べまわり、多くの薬を発見しましたが、同時に何度も毒にあたったといいます。
おそらく実際には、数えきれないほど多くの古代人が、草木の薬効を調べるために自らの体を使って実験したのでしょう。
その結果、多くの薬が発見されました。
しかし、毒にあたって死んだ人も大勢いたと思われます。
先祖のそうした苦労が、「神農」という形で後世に伝わっているのでしょう。
漢方のさまざまな知識が、過去の多くの犠牲によって成り立っていることを象徴しています。
日本の「神農」
「神農」のような具体的な伝説にはなっていませんが、日本の古代にも似たようなことがあったと考えられます。
そうでなければ、日本料理、日本の食文化は存在していないはずだからです。
古代、どの食べものが安全で、どの食べものが危険か、知識が少なかった時代。
生魚を食べて食あたりしたりアニサキスにあたったりした人は多かったでしょう。
フグのような魚を食べて苦しんだ人も多数いたでしょう。
苦しんで命を落とした人も何千人、何万人といたに違いありません。
そうした失敗体験の結果、世界の多くの地域で、人々は生魚を食べなくなりました。
「生魚は食べるものではない。火を通すものだ」
そういう認識が後世に伝わりました。
ところがなぜか、日本では「生魚は食べるものではない」という結論になりませんでした。
日本人の先祖は負けなかった。
チャレンジをやめなかった。
「なんとかして生魚を食べたい」
そのために、殺菌や解毒、殺虫効果のある食材を探し求めます。
その結果、
ダイコン、大葉、ワサビといった「刺身のツマになるもの」を発見しました。
どの魚のどの部分が危険が少ないのか、という知識が蓄えられました。
奈良時代・平安時代をつうじてその知識が体系化され、現在の日本料理・日本の食文化の姿になっています。
当然、その過程には多くの犠牲があったことでしょう。
数えきれないほど多くの人々が、中国の「神農」のように、自らの体を使って試行錯誤したわけです。
日本料理、日本の食文化が存在するのはそのおかげだといえます。
食い意地、上等
梛木氏が涙ぐむのは、この話をするとき、つまり
日本料理、日本の食文化が、長い年月と多くの犠牲によって作られた
そのことに思いを馳せるときです。
世界の多くの地域で人々が生魚を食べなくなったのに、日本人の先祖はチャレンジしつづけました。
「食い意地が張っていた」のもたしかでしょう。
日本人は食い意地の張っている民族なのです、きっと。
ですがここまで命がけで食い意地を張ろうとする、その心意気。
われわれのご先祖様はすごかったのですね。
梛木氏が立ち上げた団体です。
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