助教公募の顛末その1

こんばんは、春菊です。

コロナ禍、第一弾が終わりかけというところでしょうか。研究室にも時々行っていたのですが(うちの大学、学生は指導教員の許可がないと入れないという対応だけれど、実際近隣住民の通勤路&憩いの場になっていて、閉鎖するというのが無理だし、警備員さんみたいな人もいないので、実質フリーっていう・・)、電車に乗る人が増えてきたように思うし、高校生の姿もまちなかで見かけるようになりました(ちょっとうれしいですね)。

前回のnoteに書いていた助教公募の結果がきたので書きたいなと思いました。結果は落選!!

いろいろなブログ等で公募のことを調べたりして読ませてもらったので(なんせ普通の就活と違って博士の就活は情報が少ない)、備忘録を兼ねて、誰かの役に立てばとふわっと思っています。noteってブログと違ってフツーの検索にヒットしない気もするけどどうなんだろうか。笑。


さて公募のこと。

【戦歴】

応募(書類)数:1 面接に呼ばれた:1 採用:0


【私のスペック】

女子、博士(学術)、学振DC2→PD


【今回の公募内容】

・某地方国立大学の助教、任期は1年半ほど。

・文科省の某PJ専任教員

私の専門とは正直、ちょっとズレていました。学部全体として見るとあってる部分もあるのだけど、そのPJの分野は専門ではなかったから、お試し気分で応募しました。面接に呼ばれて正直驚きました。ドクターをこの3月に取ってはじめての応募でしたし。。普通にJREC-INや学会のメーリスで来ていたもので、全然コネのない私が面接に呼ばれたということは、出来レースではなかったようです。


【時期・流れ】

・4月1週目:書類締め切り(郵送)

・締め切り3日後:メールにて面接の案内が届く

※日時は複数の選択肢から選ぶ形でした。

・4月3週目:面接へ

※面接は対面で先生5人くらい+このご時世なのでzoomの向こう側に先生7-8人くらいいました。30分プレゼン(研究、教育の内容や抱負)に20分の質疑応答。zoomと対面を選べるとのことだったのですが、割と近所なので対面を選びました(交通費は支給なし)。

・5月4週目:お祈りメール

なかなか時間かかりましたね〜〜というところ。

GWも緊急事態宣言もあったので覚悟はしていましたが、ダメならダメで早いところ連絡くれればなあと思いました(まあしょうがないです)。

メールでは、割と高評価だったけれど他にもっと内容に合う人がいたという書き方。現指導教員には、「今後一緒に研究できる可能性もあるから、ご縁を大事にね」と言われました。


【よかったこと&わるかったこと】

・まずは面接の準備で研究の内容を整理したり、とにかく練習となったのはよかったなあと思っています。質疑応答もわりと手応えあったのですが残念。

・でも担当の先生との繋がりができたのはよかった。

・結果が遅くて一時、悶々としたりもしたので、せめて1ヶ月以内には教えてほしいですねえ笑

・よく色々書いてあるけど、郵送指定(書留)、応募書類のUSBは返却しない、交通費支給されないというところで、積み重なるとお金かかりますよね。

・いろいろ調べると、「書類出してから1-2週間で面接」とか「早めに書類出さないと落ちる」とか「出来レースの見分け方」とかいろいろ出てくるけど、何が正解かわかりませんね。今回は全部違ってましたから。ただまあ、同時期にもう一個出そうかなと検討したところは出来レースだという話が指導教員経由で回ってきたのでやめました(もはや噂ベース・・)。


気を取り直して、JREC-INで出てきた次なる3つの公募に応募しようと、書類を作成しています。

なんせ、大学や研究所ごとにフォーマットが違うのがも〜〜って感じですね。もちろん使い回せるので一回作った(落ちた)のは無駄にならないんですけど、いちいちExcelだったりWordだったりに入れ直さないといけないしね。これはどの人もみんな言ってることに共感笑

さて。並行して査読付き論文も書いております。しかし!公募の準備、在宅勤務、先週は天気が悪いのに女子の日が重なって全く使い物にならず。。険しい道程。


おまけ

最近読んだ本「高学歴ワーキングプア」からの脱出(光文社新書)

恐ろしかったです笑 博士出られて、お家騒動的なのにも巻き込まれ(それがまた、まさしく事実は小説よりも奇なりというやつ)。

最後にバッタ博士との対談もあってびっくり。読んでよかったですが、自分のことを考えるとあんまり余裕ないです笑

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