羅漢齋/羅漢菜 〜料理を作りながら感じたこと、考えたこと。
何やら難しい名前のレシピを見つけたので読んでみる。
羅漢というのは、仏教用語で、最高レベルの悟りを開いた人のこと、その名称を戴いたこの料理は、英語表記だとbudda’s delight となっていて、仏様、あるいは仏教徒の喜び、お気に入り、といったところでしょうか。
私なりに解釈すると、ベジタリアン仕様の豪華な八宝菜といったところ。
中華圏では、お正月料理として登場したりするらしい。
そう言われて眺めてみると、日本のお煮しめのバージョン違いのようにも見える。
使いたかったのは、黄人参と、紅芯大根。
紅芯大根は、その切り口の可愛らしさを活かして、サラダとか、お皿のアクセントに使われているのをよく見かけるけれど、本領を発揮するのは、しっかり火を入れて煮込んだ時だと思う。
日本で一般的な白くて長い大根と比べて、身がしっかりつまっているので、荷崩れにくく、しみじみした甘みと歯ごたえが同時に味わえる。生の鮮やかさには敵わないけれど、それでも、この独特の紫がかったピンク色は、煮込まれてもなおインパクトを残してくれる。
黃人参はあまり使ったことがないけど、甘みが強くて人参臭さが少ないと聞いたことがあるし、これも大胆に存在感を楽しんでみたいところ。
中華料理では、予め油通しした素材を揃えて、最終形にまとめ上げるという手順をしばしば見かける。こうすることで、火の通り方の異なる複数の素材のスタート地点を揃えることができ、それぞれの持ち味を犠牲にすることなく、しかも一気に仕上げることができる。
また、アクや癖といったネガティブな要素を、高温の油で消し、逆に、コクや風味が加わったりもする。
2つの野菜は、エネルギッシュなこの調理法とも相性が良さそうだ。
私が読んだ羅漢菜のレシピには、このプロセスはないけれど、今回は取り入れたい気持ち。
素材から湧いてきたイメージと、仕上がりのイメージが繋がったら、いよいよ料理が始まる
シンプルに醤油味でまとめても美味しいと思うけど、素材の個性を活かすなら、全体をまとめあげつつも味わいは軽やかに、素材と素材の間に、香りを孕んだ空気感が欲しい。
この素材の間の空気感というのは、中華系料理の肝だと思う。
世界中の料理を知っているわけではないし、中国にもいろいろあると思うから、ざっくりした印象でしかないけど、一気に仕上げたものを熱いまま口に運ぶ,香りが上昇気流に乗った状態で食べるからこその空気感。
その概念が根底にあるからか、今回のような煮込みに近い料理であっても、素材一つ一つの存在感がきっぱり尊重されていることが多い気がする。
果たして、紅芯大根と黄人参に加わるのは,干し椎茸、腐竹という中国湯葉、木耳、スナップエンドウにセロリ、と決まった。(本来は18種類以上の具材を使う、というのは後から知った。)
味付けは、醤油と、ほんの少しのオイスターソース。甘みをうまく組み入れて、素材の個性を受け止める土台としよう。
ベースには花椒を控えめに効かせる。
華やかさと味の厚みを同時に担う、生姜はしっかり入れるけど、大蒜はいれない。
素材の下ごしらえは慎重に。それぞれの歯応えを残すことが、一番の肝だ。
根菜は油通し、スナップエンドウはさっと茹でて冷水にとっておく。
旨味甘みをふくよかに含む椎茸は大きいままで
淡白ながら、その噛み応えが頼もしい腐竹は、一口で口に入るサイズに。
生のまま最後に加えるセロリは、シャキシャキフレッシュさを担当するので、繊維を感じる斜め切りにしておく。
初めての羅漢齋は、嬉しくなるくらい鮮やかな色に仕上がった
干し椎茸と醤油だけなのに、十分すぎるくらいのうまみ
そこに、生姜や花椒が華やかさを添えて、なるほど、お正月料理としても抜群のメニューだ。精進といえどもストイックさを感じないのが、中国という感じ。
お肉なしでこのボリュームもありがたいし、また繰り返し作ってみようと思っている。
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