吉田知子『日常的美青年』を読んだ話
こちらは2024年7月11日の当店メールマガジンの記事です。
吉田知子『日常的美青年』(作品社)を読んでいます。
芥川賞受賞「無明長夜」などで知られる作家、吉田知子。
その作品をぜんぶ追いかけている、というほどではないのですが、十代のころ「無明長夜」を読んで以来たまに読みたくなる作家です。
なんとなく不穏で、でもじめじめはしていなくて、どこか都会的というか、つけつけとしていて読みやすい。
幻想的なところもありつつ現実的。
この短編集には表題作ほか、「日常的二号」「日常的夫婦」「日常的親友」など10編の作品が収録されています。
なかには「日常的レズ」という、いまではなかなか聞かなくなった単語ではありますが、そういうタイトルも。
1978年から1981年に「野生時代」に連載されたものですから、当時の感覚にもとづいてそれらの単語がどう受け止められていたのかは、しょうじきわからないところもありつつ。
表題作「日常的美青年」は、40を過ぎ(1980年前後の感覚ですね)容姿や体型にとりたてたところもなく日々を平凡に過ごしている女性が突然美青年に結婚を申し込まれて…?という、一見するとロマンティックな設定。
ですがこの短編集は、夫婦や舅嫁や親友のあいだの「日常」をブラックユーモア風に描いたものを集めています。
はたしてその結末やいかに。
いまから40年まえに書かれたものですが、そしてよく言われるようにこの10年くらいでひとびとの倫理観や感性はだいぶ変わってきているようですが、それぞれの作品のタイトルにある組み合わせの、関係性の書かれ方が、古い、とおもうようなことがほとんどない、ような気がします。
あくまで個人の感想ではありますものの。
吉田知子ってすごいなと感心することしきり。
とはいえ1975年に出された『無明長夜』(新潮文庫)の解説を読むと吉田知子は「未曾有の転形期」を迎えた現代社会の申し子のようにあらわされているので、彼女の作品はむしろいまの何度目かにきた「未曾有の転形期」にこそふさわしいのかもしれません。
本屋さんではなかなか買えない吉田作品ですが、電子書籍ならちょくちょくお見受けすることも。
どうぞよろしければ。
おすすめです。