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いただきますとごちそうさま。⑪
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何か、ふと、気に入ってもないものに時間を使っているというのが、貴重な私の時間の無駄だと思ったんです。
極端な言い方をすると、大切な自分の人生を、私自身が雑に扱ってしまっていたということ。
その同じ時間を、本当に好きなものや、気分が良くなるものに使えば、逆に、とても満ち足りた、豊かな気分で過ごせる訳です。
あと、気に入ってもいないものって、何だか雑に扱ってしまいません?
「安かったから壊れてもいいや」
「また新しいのを買えばいいや」って。
つまり、気に入っていないものって、大切に扱えないんです。
そういう、大切じゃないもので身の周りを埋め尽くすと、自分で自分を大切に扱えなくなってしまいます。
そして、それは周囲の人たちにも伝わるんです。
「こいつは雑に扱っても大丈夫だ」って。
本当に着たいと思って着た服は、一日気分を良くしてくれるし、本当に食べたいと思って食べたご飯は、幸せな気分をもたらしてくれます。
小さなひとつひとつを気に入ったもので埋め尽くしていくと、私も、私の周囲の人たちも、私のことを大切に扱ってくれるようになります。
ちょっと話が逸れるかもしれませんが、もし「自分」が分からなくて、何を着たいのか、何を食べたいのか、そして何をしたいのかがさっぱり分からないという人は、子ども時代に好きだったものをまずはやってみる、というのが、ひとつ手としてあります。
子ども時代に「可愛いな」って憧れたような服を着てみる。
子ども時代に食べたかったメニューを注文する。
子ども時代にやってて楽しかったことをまたやってみる。
っていう感じで。
私の場合、例えばご飯に関しては、子ども時代、エビ天とかエビフライが大好きだったんですが、やっぱり値段もお高いし、ちょっと食べるのを躊躇してしまいます。
だけど、お店でメニューを見つけたら、とにかく必ず頼むようにしてみました。
大人になった私が、子ども時代の私に好きなものをご馳走してあげるイメージですね笑
もう、「こんな自由に好きなものを食べていいんだ!」って、最初は水を得た魚のようにテンション上がりまくりだったんですが、そのうちに、「いや、今日はエビフライじゃないな」って、その日の気分で、自然と別のメニューも注文するようになったんです。
要は、好きなだけ好きなものを食べて、子ども時代の私が満足したことで、やっと今現在の私の要求が見えてきた訳です。
と、ちょっと話が逸れてしまいましたが、自分がちゃんと気に入ったものを選んで、豊かな時間を送るというお話でした。