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いただきますとごちそうさま。㉗


摂食障害って、ただ「ご飯を食べることに困っている」病気じゃないんです。

たまたま「食べること」に顕著に症状が現れているだけで、人によっては別の依存症だったり、あるいはうつやパニック障害など、人それぞれで違う症状が表出しているんですね。

症状はまったく違うように見えて、その根本原因はほぼ共通して「生きづらさ」にあります。
「生きづらさ」というのは、「私は、この世界に存在していてもいいんだ」という実感が持てず、自分で、自分に生きる許可を出せないでいる状態のことだと私は解釈しています。

これって、どれだけ目標を達成しようと、実績を上げようと、社会的成功を収めようと、決して得られるものでないんです。
「自分には価値がある」っていうのは、根拠のない安心感です。
私が生きるのに、根拠なんてそもそも必要ありません。
そんなこと、誰も求めていないし、私だって、それは頭では分かっているんです。

だけど、「そのままの私で生きていていい」なんて思えることは、私には一度もなかった。

人よりも何か優れてなければいけないし、親の負担になるようなことを家に持ち帰ってはいけなかった。
私は、幼少期から、親の希望を先回りし、常に「自立した女性」を演じていなければなりませんでした。
クヨクヨしたり落ち込んだり、悩んだり甘えたりするような私は、お荷物で不都合な存在だったんですね。

「食いしん坊で天真爛漫な私」は、そんななかで私が作り出したキャラクターでもあります。
加え、お腹いっぱい食べていれば、イライラとか悲しい気持ちとかがごまかせたんです。

親になった今、思うことは、他のどんなことよりも、「あなたが大切だよ」「あなたが大好きだよ」を子どもに伝えることが、子どもにとっての一番の財産になるということです。

「自分はこの世界に存在していてもいいんだ」っていう根拠のない安心感。
それさえあれば、躾がどうこう、教育がどうこうなんて話は二の次です。

摂食障害の方が、全員、私のように不都合な存在として幼少期を過ごしてきたとは思いません。
色んなパターンがあると思います。
だけど、共通して「そのままの私でいい」と実感できていないからこそ、外部の指標に振り回されて「生きづらさ」を感じるのだと思います。

「私が私に、生きる許可を出す。」
そんなこと、普通に育った人であればもう3歳で体得しているようなことです。もちろん、無意識のうちにでしょうけど。
それが、私みたいに40歳を超えて、下手したらおじいちゃんおばあちゃん、死ぬまで許可を出せずにこの世を去る人も少なくないと思います。
それくらい、「あなたが大切だよ」「あなたが大好きだよ」を子ども時代に享受できることは大事なことなんです。

だけど、もしそうでなかったとしても、自分で自分を愛してあげることはできます。
それが、これまで『いただきますとごちそうさま。』に描いてきたことに集約されています。
食べることは、自分を愛することです。

日本産の純正ハチミツを使ってみる。
半額のお惣菜を、お皿に盛りつける。
ゆっくりお茶を淹れる。

そんな、些細なことでいいんです。
そんな小さなひとつひとつが、すべて、私に対する「あなたが大切だよ」っていうメッセージになるんです。

「摂食障害が治る」というのは、私が私に対して、「そのままのあなたでいいんだよ」って、心の底から実感できたときに、はじめて、実現するんだと思います。
変に聞こえるかもしれませんが、そのままの私でいいということは、摂食障害が治っていない今の私でもいいということです。
すべて、必要があって今の状態にあるんです。
であれば、そのままの今の状態が、私が導き出した、今の「最善」なんです。

めちゃくちゃツラいし、苦しいし、毎日死にたいと思うかもしれないけど、必ずその先に、すっごい幸せが待っていると思うんです。
だって、未来は、最善の今の、その先にあるんだから。

だから、とりあえず今日はゆっくりお茶を淹れてみてはどうでしょうか。
春の気配を感じる今、和菓子屋さんで、私だけのために桜餅を一個買ってくるのもいいですね🌸



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