月待講の徒然日誌(12/22)
月待講でどのような対話と共話が起こったのかについて、メモしてみました。月待講は、20年12月8日に手掛け始めた「自らに起こる変化、悩み、葛藤、喜怒哀楽」を分かち合う対話と共話の場です。
本投稿は、12月22日の月待講の対話と共話の中で参加している人が話していたことのメモです。(月待講の話はプライベートなトピックも多分に含むので、「誰が何を発言したのか(発言主と発言内容の対応関係)」や「参加者の名前」は公開しません。※ ツイッター等で自発的に投稿されている感想などはRTしたり、取り上げることがあります。 )
※月待講にて、プライベートな内容を話すことができるようにするため、このように配慮しています。
※前回の月待講の様子はこちらに書いています。
以下に、12月22日に話されたことのメモを載せておきます。参加する時の参考になりますように ^ ^
集った方の語り
・お寺との関わり方の変化を考えている只中を生きている
・それほど大きな内的な変化は感じなかった一年だった(が、変化があったほうがよかったのではないか?と感じることもある)来年は変化が大きい年なのではないかと予感している
・とある活動に関わっている人たちとの関わりの変化を感じている。濃くなってきている。来年、濃く、深く、広げていけたらと感じている
・「変化」ということを想起すると、「人との関わり」を考えることが多い。興味がそこにあるのかもしれない
・大学時代と働いていた時の友人との距離は前よりも遠くなっている気がする。付き合う人が2年前の自分とは変わっている
・自分がやりたかったことが職場で咎められた。「職場でやってくれるな」
・これからやっていけるんだろうか、と思いながら毎日を過ごしている
・嵐のような日々から、湖のほとりでゆったりするような生活の変化
・不安はいつもある
・深い「充電」という言葉が思いつきました(発言への応答)
・◯◯さんが話している時の心臓の鼓動と、自分自身が話終わった後の心臓の鼓動の違いを感じる
・上司のパワーハラスメント
・コロナの状況の中で思い通りに次の働く場所が決まらないこと
・働く場所が無くなること、お金の収入が無くなること。それを通した喪失を感じる。そういう時には、人に優しくすると多い
・世の中に何かをもたらしているという感覚について
・ネガティブな感情の開示の重要性
・以前、プロジェクトで心身ズタズタになったこと。「価値を発揮する自分でありたかったなぁという思い」が昇華できずに残っている
・他の人とうまく交われない感覚がずっとある
・スタートアップの世界に関わりながら、いったん退いた。ただ、今後、自分なりの方法で、それに代わるようなことをやりたいという思いは持ち続けている
・一週間寝込んだ後くらいから、調子がよくなった
・再生の地・吉野
・自分の中に出てくる流れを受け取るしかない
・社会的意義を大事にしたい自分と、湧いてきたインスピレーションを活かして生きていきたい自分のせめぎ合いを感じる
・一つの流れだけで生きていくということをやめようと思った
・意味があるからやる、意味がないからやらない。そういう枠組みを離れて、物事を行いたい。一方で、それを他の人にどう説明すればいいのか、ということも考える
・自分自身が感じていることをランダムに出している。流れを感じることを複数の回路で表現していく
今回の月待講は、前回とは打って変わって、社会的役割の喪失などにフォーカスが当たった内容でした。人の人生のうつろいには様々なトピックが付き物。社会的にネガティブだと言われることであろうが、「弱さ」だと言われることであろうが、大事に受け取ることができる場と自分自身の器でありたいと思います✨
また、タイミングが重なる時に、月待講でお会いしましょう✨
LINEアカウントを作りました
月待講に関わりを持ってくれた方々、関わりを持ちたいと思ってくれている方々。月待講は、ご縁が調った際にいつでも立ち寄れる場として実施していきたいと思っています。
適度な距離感で連絡のやりとりができるように、月待講のLINEアカウントを作ることにしました。こちらから、過剰にメッセージを送らないという方針のもと、月の巡りに合わせて月待講の場のご案内やお知らせを上弦の月、下弦の月の前後にお送りしていきます。
逆に、個人的に相談したいことがあったり、何か打ち明けたいことがある時は、月待講のLINEアカウントにお気軽にメッセージを送ってください♩
個人的な相談からはお金は頂きません。何か、小さくもお役に立てますように🙏
頂いたサポートは、生活と創作(本執筆)のために、ありがたく使わせて頂きます!