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未来の景色を現実にする責任

ここ最近、作品づくりに意識的に時間を割こうと思い、少しずつ生活の中でその比重を高めていっています。

手がけている作品は頂いた布を素材としたもので、布を縫うための糸は、布地を分解することで生じます。

一枚の布から無数の糸に分解しています。

唐突ですが、「責任」について、よく考えるようになりました。

作品(モノ)を作るインスピレーションが訪れ、その作品がある未来の一場面を"見ました"。周りの人たちにどう言われようと、反応があろうとなかろうと、私にとっては「人生において重要なことが始まった」という身体感覚が生じています。

そして、未来の一場面を見てしまい、身体感覚が生じるということに対して、「責任」を感じています。

これは「責める / 責められる」という意味ではなく、「未来の一場面に対して、自ら応答する」という感覚です。「未来の一場面に近似することが実際に起こるように手足を動かして制作をしていこう」ということを「責任」という言葉で表しています。

己の役割を固定化せずになんとかする

作品(モノ)を形にしていくにあたり、いろんな役割を担っていこうと思いました。

たとえば、このような役割です。

作品をつくる
作品の制作環境を調え続ける
作品制作を続けるためにお金を工面し続ける
他の人々に協力してもらう
日々記録する
日々発信する
展示できる場所を探す
展示側の人とのやり取りを行う
展示する

などなど。

未来の一時点を現実に形にしていくことには、動き、動いて下さる方との縁を育むことが必須です。後々いろんな方が協力して下さる時がやってくるかもしれませんが、この景色を見ているのは1人です。協力してもらうにも呼びかけていく必要がありますし、何も言わず、見せず、察してもらえるわけではありません。ですので、「私はこういう人間で、この役割を行う」という切り分けを行わず、ひたすらに自らの責任範囲を限定せずに「なんとかなる」ように動いていこうと思っています。

自分が作らなければ、形にならないものがある。

そういうビジョンに出会うことができて幸せです。ビジョンに責任を持って、制作の試行錯誤を続けていきます!

※本投稿を書いていた頃には、制作の流れ(プロジェクト)に対する名前も無く、ビジョンもおぼろげでしたが、徐々に調ってきました。

本投稿の約1年後に書いた、アートプロジェクトのまとめのNote記事がこちらです👇


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