「縫う」という小さな祈りの時間を日常生活の中に紡ぐ

布を縫うということを日常生活に取り入れている。

巡礼生活を始めてから、布をよく頂くようになった。布のやり取りに心がほっこりすることも多い。

なんだか捨てることができていなかった布
このデザインが好きだという布

贈る方のいろんなエピソードを聞きながら、大切に受け取らせていただく。

布きれを巡礼生活の服に縫いつけるようになったことに、とっても影響が大きかった話を紹介したい。インドの思想家のサティシュ・クマールさんをご存知だろうか。彼の語りの中で「効率化することへの警鐘」「マインドフルな時間を生活の中で大切にすること」という観点で、好きなエピソードがある。彼の姉と彼の母親のやりとりだ。

私は母のそばにいて、母が手でものを作るのを見ているのが大好きだった。母は牛の乳を搾ったり、バターを作ったり、料理をしたり、畑まで歩いたり、
哲学的なことを考えたりする合間をぬい、三十分、一時間と時間を見つけては色とりどりの模様を布に縫いつけるのだった。

母は、ショール、スカート、ベッドカバーなどを作った。母はよく、古い布の切れ端を使ってパッチワークを作り、その上に鏡の破片を刺繍するのだった。母はそういった手仕事を、彼女の人生にとって重要かつ不可欠なものと考えていた。

ある日、母は完成したばかりのショールを姉のスラジにプレゼントした。スラジは大喜びした。

「素敵なショールね、お母さん。柔らかくて鮮やかで。みんなが見るように、壁の目立つところに掛けておくわ。汚すといけないから着ないようにする。何かをこぼしたりしたら大変だし」

母は壁にショールを飾るような派手なことを喜ばなかった。母にとって芸術や手仕事は、飾ったり見せびらかしたりするものでなく、実用のためのものだった。

「私はあなたが着るために作ったのよ。人に見せるためじゃないわ。綺麗なものを壁に飾っておいたら、きたないものを身につけることになるわ。
だからどんどん着なさい。美しく、役に立ち、長持ちするものを作ることを学びなさい。そうすれば、古いものがくたびれ始めたときには、新しいものが出来上がっているわ」

「美しく、役に立ち、長持ちする」という言葉は胸に残り、以来、私の心の中で鳴り響いている。我が家の壁は剥き出しだったが、私たちが使うすべてのもの、ポット、ベッド、道具、靴、その他の日用品は、よくできていて、美しかった。それらは本質的に美を備えていた。

「お母さんのお裁縫はとても綺麗だけど、一つのものを作るのに半年や一年、ときにはもっと長い時間がかかるわ。最近は同じことをあっという間にやってしまう性能の良いミシンがあるのよ。私が探してあげようか」と姉のスラジが尋ねた。

「どうして?」と母は聞いた。

「時間が節約できるのよ、お母さん」

「時間が足りなくなるとでもいうの?

ねえお前、永遠っていう言葉を聞いたことある?
神様は時間を作るとき、たっぷりとたくさん作ったのよ。私は、時間が足りないなんていうことはないわ。私にとって、時間は使い果たしてしまうものじゃなくて、いつもやって来るものなのよ。

いつだって明日があり、来週があり、来月があり、来年があり、来世さえあるのよ。なぜ急ぐのかしら」

スラジは納得しているように見えなかった。「時間を節約し、労働を節約して、それ以外の事をもっとできた方が良くないかしら?」

「あなたは無限なものを節約して、限りあるものを費やそうとしているのよ。ミシンは金属から作られていて、世界には限られた量の金属しかないわ。
それに、金属を得るためには掘り出さなければならない。機械を作るためには工場が必要で、工場を作るには、もっと多くの有限な材料が必要なのよ。
掘るということは暴力だし、工場も暴力に満ちているわ!

どれだけ多くの生物が殺され、金属を掘るため地下深く潜るような仕事でどれだけ多くの人が苦しまなければならないでしょう!彼らの苦しみの話を聞いたことがあるわ。なぜ自分の便利さのために、彼らを苦しめなければいけないの?」スラジは理解したように見えた。

スラジがうなずくのに勢いづいて母は続けた。「私の体力が足りないってことはないから、いつだってエネルギーがあるわ。それに私は仕事が楽しいのよ。私にとって仕事は瞑想なの。瞑想は、ただマントラを唱えたり、静かに座禅を組んだり、呼吸を数えたりすることだけじゃないのよ。

裁縫も、料理も、洗濯も、掃除も、神聖な気持ちでなされるすべてのことが瞑想なの。あなたは、私の瞑想を取りあげようというのかしら?

針仕事で忙しいとき、私は平和な気持ちになるの。

すべてが静かで、穏やかだわ。ミシンは大きな音を立てて私の邪魔をする。ミシンがガタガタいっているときに瞑想するなんて想像もできないわ」

「それに、ミシンが仕事を減らすというのは、単なる錯覚にすぎないかもしれない。年に一つか二つのショールを作る代わりに、年に十ものショールを作るはめになって、材料をもっとたくさん使うことになるかもしれない。時間を節約したとしても、余った時間で何をするというの?仕事の喜びは私の宝物みたいなものなのよ」

これはまさに真実だった。刺繍をしているとき、母はほんとうに幸せそうだった。母が作るものに同じものは二つとなかった。母は新しいパターンやデザインを作り出すことに喜びを見出していた。

もちろん母は、どんなパターンを作るか前もって考えたりはしなかった。母は作りながら即興的にデザインしていった。母の針仕事の最も驚くべき点は、母がそれから多大な喜びと幸せを引き出していたことだった。

「ねえ、お前たち。私はまさにショールを作るためにショールを作っているのよ。だって、それが私の喜び、アーナンダだから」

 「作ることの喜び」尾関修・尾関沢人訳 第四章より引用

私が日本の都市圏に住んでいた頃、とにかく忙しかった。仕事が終わったらアートや自分の活動のことを考え、取り組み、空いた時間には本を読んだ。

そのような生活を続けていたら、鬱になり、身体が思うように動かなくなった。

このサティシュさんの母親のエピソードを知ってから、頭に布を縫うことのアイデアは頭の片隅に引っかかっていた。

そして、巡礼生活をスタート。そのタイミングで布を頂き、縫い付けることを始めたのだった。

縫っている時間、意識を目の前の布に合わせる。悩みや考えがポコポコと浮かんできては、目の前の縫うことに意識を戻す。縫うこと自体に溶け込み、時間を忘れ、集中する時間は程よい疲れと心地よさをもたらしてくれる。

縫う時、先のことを想う。一年後、どういうパッチワークになっているのか、想像はつかない。すぐに完成しないからこそ、時間をかけて、少しずつ縫っていく。

時間をかけるということは、いのちをかけるということだ。縫うという行為自体が、今、私にとって大事なのだ。

晴れやかに縫う時間を取ることができるのは、日々の暮らしが関わる方々からのお布施で巡っていて、お金を稼ぐために生産するということを多少放棄することができる恵まれた状況にあるからだと感じている。

この気持ちはお金に換算することができない。かけがえのない価値をありありと感じて引き続き生きていきたいと思った。そのような心境でいることを許してくれる周りの皆さん、本当にありがとう。

生きる時間と命を祝福することができるように、小さな祈りの時間を積み重ねていきたい。


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三浦祥敬(しょうけい)@アートプロジェクト・fuwatari
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