布を縫うということを日常生活に取り入れている。
巡礼生活を始めてから、布をよく頂くようになった。布のやり取りに心がほっこりすることも多い。
なんだか捨てることができていなかった布
このデザインが好きだという布
贈る方のいろんなエピソードを聞きながら、大切に受け取らせていただく。
布きれを巡礼生活の服に縫いつけるようになったことに、とっても影響が大きかった話を紹介したい。インドの思想家のサティシュ・クマールさんをご存知だろうか。彼の語りの中で「効率化することへの警鐘」「マインドフルな時間を生活の中で大切にすること」という観点で、好きなエピソードがある。彼の姉と彼の母親のやりとりだ。
私が日本の都市圏に住んでいた頃、とにかく忙しかった。仕事が終わったらアートや自分の活動のことを考え、取り組み、空いた時間には本を読んだ。
そのような生活を続けていたら、鬱になり、身体が思うように動かなくなった。
このサティシュさんの母親のエピソードを知ってから、頭に布を縫うことのアイデアは頭の片隅に引っかかっていた。
そして、巡礼生活をスタート。そのタイミングで布を頂き、縫い付けることを始めたのだった。
縫っている時間、意識を目の前の布に合わせる。悩みや考えがポコポコと浮かんできては、目の前の縫うことに意識を戻す。縫うこと自体に溶け込み、時間を忘れ、集中する時間は程よい疲れと心地よさをもたらしてくれる。
縫う時、先のことを想う。一年後、どういうパッチワークになっているのか、想像はつかない。すぐに完成しないからこそ、時間をかけて、少しずつ縫っていく。
時間をかけるということは、いのちをかけるということだ。縫うという行為自体が、今、私にとって大事なのだ。
晴れやかに縫う時間を取ることができるのは、日々の暮らしが関わる方々からのお布施で巡っていて、お金を稼ぐために生産するということを多少放棄することができる恵まれた状況にあるからだと感じている。
この気持ちはお金に換算することができない。かけがえのない価値をありありと感じて引き続き生きていきたいと思った。そのような心境でいることを許してくれる周りの皆さん、本当にありがとう。
生きる時間と命を祝福することができるように、小さな祈りの時間を積み重ねていきたい。