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月待講の徒然日誌(12/8)

月待講でどのような対話と共話が起こったのかについて、メモしてみました。月待講は、20年12月8日に手掛け始めた「自らに起こる変化、悩み、葛藤、喜怒哀楽」を分かち合う対話と共話の場です。

本投稿は、12月8日の月待講の対話と共話の中で参加している人が話していたことのメモです。(月待講の話はプライベートなトピックも多分に含むので、「誰が何を発言したのか(発言主と発言内容の対応関係)」や「参加者の名前」は公開しません。※ ツイッター等で自発的に投稿されている感想などはRTしたり、取り上げることがあります。 )

主なトピックはこのような内容でした。

・「早く生きること」と「自分の生きるテンポを遅くすること」それを調節ができるといいのではないか?(バランスを取ること)→ 「月を見る時間」は前者から後者の方に自分を調える時に良いのでは?

・コミュニケーションの中で「沈黙」や「間」を取るのを大事にしたい。

・「〜〜〜(やりたいこと)を思い出した」

「沈黙」や「間」

月待講を実施するスタンスとして、「沈黙」や「間」をとっても大事にしています。「沈黙」「間」を分かち合うことができて、安らぐ時間でした✨

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思い出すこと

「〜〜を思い出しました!」という発言がポコポコ出ました。

・森林セラピストの資格を取ろうと思っていたことを思い出すことができた
 
・起業するタイミングが近づいてきていることを実感した。起業をする時に会社の名前を「◯◯◯」にしようと思っていたことを思い出した。

このように、連鎖するように「やりたいことを思い出す」ということが起こるのは面白いですね✨

基本的に月待講は、毎回違う方々で集い、対話および共話を行います。ですので、毎回、どういう話が生まれ、どういう展開の仕方をしていくのかはわかりません。

目的を設定して、それに最短で到達するという思考の仕方をほんの少し脇に置いて、その場で起こってくる感覚をベースに話すということを大事に、今後も継続していきます。

以下に、話されたことのメモを載せておきます。参加する時の参考になりますように ^ ^ 

月待講について

・のんびりした空間(スピーディさを求められない) / 不思議な空間で心地よい。一方で、間が空いた時に何か話さなくてはいけないと感じる自分も出てくる。

・(月待講 案内人)月のリアルタイム観測とか、そういうものをZoomでみながら行うことができるようになればと思った。季節の音もZoomで流したい。たとえば虫の音など。焚き火なども相性◎

・エモさが許される感じがいいなと思いました

気付き

・自分の考えを整理するいい時間だった

・間が空いた時に何か話さなくてはいけないと感じる自分も出てくる。普段の生活でそういうふうになってしまっていることに気づいた。

・世の中の価値観はある種、作られているようなもの。外からの声に左右されにくいように本当の自分の声を聞くのは大事だと思う。一緒に活動する仲間や感情を受け入れ合える仲間がいると、外からの声に左右されづらくなるのではないか?

・月が巡っているのを眺めている間は、時間感覚がゆっくりなのではないか?そこに何の意味があるのか?ということを考えすぎないのが良い。スローダウンすること、そしてそこから自分の身体感覚に基づく表現が生じていくので?

・スローダウンすることへの恐れ。活動をしなくてはいけないという恐れ。そのような感情が生まれることもある。

・心が動くこと。月待講のやりとりをしている時、すごい温かい波紋が広がるような感覚が、背中に広がるような感じがした。

・月をずっと動いているのをみてたいなと思った。普段はそんな暇はないと思って、見ないけれど、そういう時間を作りたいと思った。月を数時間眺めることができる余白や余裕のある社会になってもいいのでは?日本以外ではあるのではないか?のんびりするのもまた幸せではないか。便利だけではない幸せのあり方がある。忙しさ、しなくてはいけないことがあるのはいいけれど、そうでないあり方もある。月を見る時間は贅沢でいいよね。

・みんなで月見れたらいいですよね。月を長い時間見ているというのもいいなと思いました。

・成道会。本日はお釈迦さんが悟りを開いた日。お釈迦さんは琴の例を出す。ピンと張りすぎていても鳴らないし、張ってなさすぎても鳴らない。適度に張ることが大事。お釈迦さんは、苦行をやった。そのあと悟った。両方経験して、ちょうど間に。月をずっと眺めてるのは無理かもしれないけど、頑張るとゆったりをいい感じに往還できるといいなと思った。

(12月8日は、仏教のルーツになっているお釈迦さんが悟りを開いた日と言われています。12月8日の月待講の参加者にお寺関係者の方々が集ったので、ところどころ仏教の話も出ました。)

・「ちょうど良さ」を歩んでいけるといいなと思った。忙しくて大変になる前に、周りに相談できるというふうに。日頃から頼れることができるといいのではないか。高校とかで、「バランスの取り方」を学べるといいのにと思った。まず、それを自分から実践してみようと思います。

・お寺のポテンシャルの一つは、生きる速さを調節する術を伝えることにあるのではないか。早くも生きれる、遅くも生きれるという時間感覚の調節。相対的に、今の世の中は早く流れがちではないか?その流れにどっぷりつからずに、流れを遅くしたり、人がニュートラルに戻るきっかけを提供するというお寺の世間への関わり方がありうるのではないか?

・潜在的に自分の生きるテンポを調節できずに困っている人たちは多いのではないかと思う。

・森林セラピストの資格を取りたいと思っていたことを思い出した。自然とのつながりを作っていくことをやっていきたい。

・みんな自分で答えを持っていても、それを忘れてたり、思い出せなかったり、アクセスできなくなっている状況が生まれているのではないか?→(これに対しての応答)本当にそうだと思う。これの手伝いをしたいということは自分のやりたいこと。「自分の答え」の回復をお手伝いしたい。

・普通の飲み会とかは沈黙がない。一方で、喋っても喋らなくてもOKという場もいいよね。黙って月を見ることもOK、4〜5人とかで行って、2人だけ話していて、別の人は話してなくてもOK、とか。そういう、「話しても話さなくてもいい感じ」が大事なんじゃないだろうかと思う。改めてそれをやりたいと思った。

・人に気を使わなくてもいい時間は大事。人がいないところにいるというのもいいし、人がいるけど、気兼ねなくいることができるという状態が成り立つのも良い。

・人に気を遣うこと。苦ではないけど、それを頑張ってしまうこともある。喋らない時に回復するということも起こる。

・人がいるのに、気を遣わない。

・自分がしている。他の人がしていない。そういう時、他の人もなぜしないのか?という思考が生じてしまうこともあるな、と思う。

・自分が居心地よく居ることができる場所があるといいのではないか?(私の場合は、鴨川デルタが好き)

・好きな人と星をみたいと思った。

・以前行った沖縄の星が綺麗だった。

・夏目漱石の「月が綺麗ですね」

・オーストラリアに行った。ある時に見た旅行雑誌の星空が綺麗で、それをきっかけに行ってきた。

・太陽の明るさもいいけど、月の光にも人は惹かれる。大事な人と見たくなる。

・星を一緒に見たいと思ってもらえることは素敵。自分の想いが相手に届かない時、しんどい。想うことができるということは相手との奇跡的な関係が成り立つからできること。

読んでくださって、ありがとうございました✨

月待講は、上弦の月、下弦の月に開催していきます。実施日が動くことは原則ありませんので、ご縁が重なる時に無理なくご参加いただけたらと思います✨

▼月待講の日程
- 冬 -
・12月8日 19:00〜21:30(終了済み)
・12月22日 19:00〜21:30
 
- 春 - 
・1月6日 19:00〜21:30
・1月21日 19:00〜21:30
・2月5日 19:00〜21:30
・2月20日 19:00〜21:30
・3月6日 19:00〜21:30
・3月21日 19:00〜21:30

月待講には、こちらの Note 記事からアクセスしていただけます✨

ちなみに、月待講の対話・共話の前提を調えるために話した「月待講のイントロダクション」は Youtube にアップしています。どういう感じなのか気になる人は参考にしていただければと思います✨



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