【5/28 イベントレポート】健やかな心でサステナブルに生きる
※ 彼岸寺に寄稿した文章の転載です。
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こんにちは。お寺出身、継承をテーマに活動している三浦祥敬です。
先日、彼岸寺で告知させていただいたイベントを無事開催いたしました。イベント当日のレポートと共に、私なりに感じている仏教思想の可能性について書いてみたいと思います。
最初に結論を書くと、仏教思想は変化を前提とした持続可能なライフスタイルづくりに資する社会資源として活かされていく流れが大きくなっていく、そう思っています。
終わった後に続く余韻
「今回のイベントは最初は何が起こるんだろう?と不安だったけど、参加してみたらすごく居心地がよかった。終わった後、ずっと余韻が残っていて、その余韻を味わいながらこの数日間を過ごしたよ」
イベントの数日後、参加してくれた方がこう話してくださいました。
私自身も終わってから不思議な余韻が続いていました。心地よさを感じる空間になったのは、集まった方々やお寺の持つ雰囲気が大きく影響しているのだと思います。ご参加いただいた方々、イベントをつくるにあたってご協力いただいた方々、心からありがとうございました。
人口減少を前提とした考えへの転換
イベント当日は、私・三浦祥敬の話、僧侶・松本紹圭さんの話、その後に対談を行う構成で進みました。
まずは、人口減少の流れから。こちらは皆さんご存知の通りだと思います。世界の人口は増加傾向にありますが、日本ではこれからも人口は減り続けると予測されています。
人口の減少と仏教に関心を持つ人の増加には関連性があると思います。社会情勢が変化していく中で、これまでうまくいっていた制度や仕組みがうまく回らなくなっていきます。それに伴い、精神的な苦痛も生じます。その過程の苦しみを扱う術を探している人が増えているのではないでしょうか?
代表的な例は、最近話題になった年金の問題でしょう。超少子高齢化社会になっていくにつれて、若い世代の負担は上がります。当たり前のように続いてきた制度や仕組みは制度疲労を起こし、全く同じ形でやっていくのは難しいでしょう。
同時に、これまで成り立ってきた考え方や慣習が問い直されていきます。新しく起こってくるものとこれまで成り立ってきたものが衝突してしまうのはよくあることです。前のモデルがうまく回ってきたものであればあるほど、新興の考えが出てきた時にそれと相容れなくなりがちです。
前の時代の成功のモデルが次の時代の成功のモデルにそのまま受け継がれることばかりではありません。お寺での「檀家制度の檀家離れの流れ」はこれに当てはまると思います。
持続可能な社会づくりの流れ
次に、大きな世界の流れについても触れました。
一つ目は「持続可能性 / サステナビリティ」です。私は、仏教思想は持続可能なものをつくっていく上で示唆に富む社会資源だと考えています。
世界の人口は増え続けていて、このままと同じ消費スピードでは地球の資源がその増加に耐えることができません。地球環境、自然に配慮した活動を行っていくことが重要視されるようになってきています。
スライドの右は、最近よく聞く国連サミットで採択された持続可能な開発目標・SDGs です。
左はアムステルダムの写真です。アムステルダムの街では、持続可能な社会へ移行していくことを念頭におきながら、その移行を前提とした「サーキュラーエコノミー(循環型経済)」を街ぐるみで2050年までに形にしていくという声明文を出しています。
私はサーキュラーエコノミーの考え方にも注目しています。資源を無駄にしない形で経済的な発展も同時に成り立たせようとする実践例がどんどん生まれています。それを牽引する国の一つがオランダです。
もともと日本では資源を無駄にせずに営みを回すという思想は昔から引き継がれてきたものです。お寺においても物・人・コトの循環性が大切にされていると思います。サーキュラーエコノミーという言葉は世界のトレンドとして、おさえておきつつも、それを形作っていく源泉はむしろ日本、とくに伝統文化の中に埋め込まれていると考えています。
ちなみに、6月中旬から下旬にかけてオランダにリサーチのために滞在しています。オランダの最新情報や世界のトレンドから見えてくる仏教の可能性についての私の考察を知りたい方は、リターンとしてリサーチレポートなどをお返しする予定ですので、ぜひご支援いただけると嬉しいです!
現在進行中のクラウドファンディングのページはこちらです👇
https://camp-fire.jp/projects/view/163098
テクノロジーの活用の流れ
さて、二つ目に、豊かに進んでいくと感じているのは「テクノロジーの活用」です。
デジタルがあるのが当たり前である20代以下の世代、もう思考の仕方も全く異なるはずです。「その子たちが大きくなった時にどのような制度や仕組みが必要なのか」という視点を持つ必要があると考えています。
重要なのは、既存の文化を壊すようなテクノロジーのあり方を構想し、社会に実装していくのではなく、これまでの文化のポテンシャルを最大限に開いていくようなテクノロジーのあり方を模索していくことだと思います。
伝統文化に関わりのある和菓子の職人の知り合いや神社、お寺に関わりのある方々の知り合いが増えていく中、その方々の多くに共通する一つが「文化を継承していきたい」という気持ちでした。
ベンチャー企業やアート業界で働いていた時よりも、いわゆる伝統文化領域にいる時のほうが、自然と文化継承への意識が育っていきます。もちろん、だからこその葛藤もありますが。
文化集団の葛藤と”私”の葛藤
テクノロジーの活用による職場、生活環境の変化をはじめとして外的環境がめまぐるしく変化していくと、文化レベルで人の変化が起こります。
ここでの文化とはある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式(ブリタニカ国際大百科辞典参照)という広い意味です。
文化は言語、思想、信仰、慣習、タブー、掟、制度、道具、技術、芸術作品、儀礼、儀式などから構成されます。
今の時代が過渡期だとすると、外的環境の変化が起こっていくにつれて、文化も変容していきます。変容していくのは文化そのものというよりも、それを形作る人の集団の内面の世界が変化していきます。とはいえこれまでの考え方や慣習が問い直されても、以前の慣習に戻ろうとする慣性が働きますので、既存のパターンと新しいパターンの間を行ったり来たりすることになります。
例えば、ITを活用していなかったお寺で新しくITを導入しようとすると、「なぜ導入する必要があるんだ?」と指摘され、思うように導入が進まないというケースもあるでしょう。導入したものの、うまくIT活用する習慣が身につかずに辞めてしまうケースもあります。
戻ろうとする慣性が生じるのは何ら悪いことではなく、人の特徴の一つなのだと思います。そういった慣性があることを受け入れながらも、よりよい方向へ集団として発展していく方法論はいつの時代も求められていることでしょう。
さらに、この慣性の話は一人一人の習慣においても当てはまります。とある人の周りの環境が変わったからといって、すぐそれに対応できるとは限りません。習慣が変化するか否かを考えるにあたって、その背景にある心理的、精神的葛藤をいかに扱うのかが重要になります。
変化の時代、間違いなく内面の世界での葛藤が増えます。
卒業、結婚、昇進など、自分の努力がある程度反映されるような出来事が起こるのはいいかもしれません。しかし、解雇、人との死別など自分にはどうしようもないことが起こってしまうことは避けられません。
さらに人生100年時代と呼ばれる現代、寿命が伸びていくとすると、さまざまな出来事にしなやかに対応していく力を身につけていくことは必ず私たちの力になってくれるはずです。
ではどうすればよいのか?
トランジションという変化の技術
その一つの暫定的な解を、書籍『トランジション 何があっても生きていける方法』(春秋社)に書き下ろしました。今回のイベントはその出版記念でもありました。
世の中の変化が次々に起こる際、具体的に活きる仏教の思想は何なのか。それに対する暫定的な考えを、対談や人生の振り返りなどのさまざまな形式で書いています。
仏教思想からビジネスや創作など何かを生み出す際のヒントや次の時代の仕組みづくりに活かしてもらえる内容になっていると思いますので、ぜひ手に取っていただけたら嬉しいです。
健やかな心で生活をサステナブルに
本からは「トランジション」という切り口を通して、仏教思想から健やかな心の整え方を学ぶことができます。
持続可能な社会を作っていく際に、もちろん私たちが住んでいる地球環境に目を向けることは重要だと思います。それがないがしろになってしまうと、私たちも住み続けることができません。
もう一方で忘れられがちなのが、心、です。健やかな心が整えられていくことによって、身の回りに変化が起こり、より持続可能な生き方を形作っていくことができます。
自己犠牲でもなく、他者を犠牲にするのでもなく、地球環境を犠牲にするのでもなく、バランスを取りながら生きていくこと。
イベントの後半では、「習慣」をキーワードにした松本紹圭さんのお話と対談から多くのことを学ばせていただきました。イベント終了後、参加者の方々の対話や交流も大変盛り上がっていました。
長い投稿になってしまいましたので、この続きはまた別の投稿にてご報告します。
次の投稿では、仏教思想を活かした文化づくりについて考察してみます。ぜひ続きをお楽しみに!
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