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コメントの森でメメント・モリ

青学WSD34期 Advent Calendar 2020の15日目です!
先日、送られてきた修了証を見て、正式な修了日が本日だったことに気づきました。すごい日を選んでしまった。

私ことしょーじぃは、WSD34期の中でも、かなり「カオス寄り」の受講生だったと思います。(絶対に反論が来ない自信がある!)

中でも悪目立ちしていたのが、他の受講生の方のレポートに対する相互コメント課題での狼藉カオスぶりです。

相互コメント課題とは

WSDでは受講生が書く課題レポートがあり、そのいくつかは「受講生同士で相互にコメントしあう」というハートフルな気づきのデザインのおまけつきです。その課題で、やっちまいました。

一応言い訳いたしますと、皆さんのレポートが、もう、本当にもう、面白いんです! 然り而して、ドン引きされかねない絶対量のコメントを乱れ打つ日々。「Willに突き動かされた」を免罪符にするにもほどがある!

懺悔という名の振り返りとして、中でも総合的に「酷かった」コメントをご紹介します。

何が「酷い」?

以下、私しょーじぃの相互コメントの前半の一部であります。
ちなみにレポートの主は、このAdvent Calendarのことを教えてくれた素敵な同期生さまです。

大人になるにつれて身動きできなくなって、Willを失いいわゆるコマ感覚になっていく理由として、特に学校教育ということが挙げられていましたが、実はそれだけでもないのかもしれない、と気づきました。
(しょーじぃ)

この内容だけ見ると、特に違和感ないかもしれません。

『あ、なるほどね。きっと元のレポートで「大人になるにつれて身動きできなくなって、Willを失いいわゆるコマ感覚になっていく理由として、特に学校教育」を挙げているのだね。そこからしょーじぃは何か気づきを得たのか~。だから素敵だなー、相互コメントって!(ほっこり)』

とお思いになるでしょう。うんうん、もし本当にそうなら、確かにこれはちゃんとした相互コメントですね。

…が、違うんです。元のレポートにはそのような話の流れはありません。このくだり、実は「教材の一つのEラーニングで、佐伯先生がそのようなアレでしたが」という文脈のお話。
…あれっ? だとすれば、何故相互コメントに唐突にそんな話題が?

開幕早々の、閉幕

元のレポートで、私が強烈に触発された部分は、以下の箇所でした。(さすがにこれを載せないと私の珍妙さが伝わらないので、一部引用させていただきます!)

「そんなすごいイベントを私たちが企画できるわけない」と考える方もいるでしょうけど、聴覚障害のある人の課題が様々であるように、ワークショップの内容も多様でいいのです。
(レポート主さま)

それに対して、私の相互コメントはこう始まります。

「聴覚障害のある人の課題が様々であるように、ワークショップの内容も多様でいい」に、色々目の前のことを見て焦ったり悩んだりしていたのが、少しほっとしました。肩の荷が降りるというか。少しずつ、できることをやりながら、仲間を増やしていけばいいんだよ、というメッセージを感じました。
(しょーじぃ)

ここまでは、読み返しても意図や流れが理解できますね。
相互コメントとしてまともなのは、残念ながらここまでです。

コンマ2秒で、唐突に連想ゲーム

ここで私の頭は、次の連想ゲームを始めてしまいました。
しかも、元のレポートの言葉ではなく、自分が書いた「目の前のことを見て焦ったり悩んだり」をトリガーにしているのが、始末に負えない。

連想ゲームの行き着いた先は「大人になるにつれて身動きできなくなって、Willを失いいわゆるコマ感覚になっていく」人々のイメージでした。
何故なのかは、実は今でもよくわかりません。たぶん、脳の深いところで勝手に意味づけされちゃったんでしょう。その間わずか0.2秒。

そうして、先ほどの問題箇所が唐突に登場したわけです。

大人になるにつれて身動きできなくなって、Willを失いいわゆるコマ感覚になっていく理由として、特に学校教育ということが挙げられていましたが、実はそれだけでもないのかもしれない、と気づきました。
(しょーじぃ)

とんでもハイジャンプ。あるいは自給自足・脳内会話どろぼー。
連想というより妄想の領域に入ってしまったわけですね。カオスはもはや止まらず、ぐるんぐるん廻りだしてしまいました。

結果、相互コメントは急展開というか、超展開をします。

「子どものほうが曇りなく本来の世界が良く見えていて、大人は見えなくなっている」なんて、単純な二元論でもない。もちろんそれはそれで、ある面から見つめた真理ですが、それだけでもない。むしろ、本当の大人は、色々なことが見えすぎてしまうんだと思います。子どもの頃より涙もろくなったりするのは、「共感のアンテナ」が強くなっているからだと幾つかの科学系の番組で見たようにも思います。大人のアンテナは、その意味では、子どもよりはるかに敏感なのだと思います。
(しょーじぃ)

いや、うん、あるいは、そうかもしれませんけど。

人間の脳は、もしかしたら進化しすぎてしまったのかもしれません。だから、成長して脳が発達しきった大人は、潜在能力として、とてつもない感受性を持ってしまう。ある戦いの場面一つ見ても、双方に色々な理由や哀しみがあるだとか、人間とは良くも悪くも、とっさにばかなことをしてしまう生き物だ、というようなことも、ありありと分かるようになってしまう。
(しょーじぃ)

もはや何に突き動かされて、何を言い出しているやらです。

そんな大人が、常に根源的能動性マックスでリミッターを外し続けていたら、あらゆる外界の出来事の意味を全て受け止めて擦り切れてしまう。だから、大抵は安全装置がかかる。その時ちょっと強くかけすぎてしまうこともある。それも、コマ感覚の原因の一つなのかもしれません。
(しょーじぃ)

完全に暴走です。こうなったらもう誰にも止められないんじゃ…。

だとするとワークショップは、押さえつけすぎている安全装置を、ちょうどよいところまで解放してあげるもの、なのでしょうか。「薬は毒でもある」ではないですが、そこから最後には戻ってこれる安心や安全もしっかり用意してあげないと、正しい処方にならないのかもしれません。
(しょーじぃ)

相互コメント、ようやくここで終わり。
最後に多少我に返って、形ばかりの謝罪の言葉は述べたものの、そのまま投稿!

以上、狼藉カオスのリフレクションでした

…うん、やっぱりこれは酷い。酷いですね。
この際、カオスの中で口走った細かい内容はともかくとして、どうしてこうなった。

あらためて一つずつ内省、観察しなおしてみましたが、肝心なターニングポイントで、脳の深層で起きたことに関しては、もう我が事なのかどうかも分からない始末。
しいていうなら、己の内には、自分でも分からないものが、実はたくさん潜んでいるというのが、今回得た「気づき」でしょうか。

最終課題・はじめの解

WSD34期最終日に「しょーじぃさんの選んだ○○なレポートランキングとかやりませんか」と声かけてくださった方がいたのですが、いや、さすがにそれはできません。(ただ本能で読み漁っていたので、決してそのようなアレでは…)

しかし、一理ある。せっかく悪目立ちするほど無我夢中で読んだのなら、そこから得たものをもう一度ギフトとして返すのが、ワークショップデザイナーの務め!

問い:ワークショップとは何ですか?

私が最終課題で導き出した、はじめの解は、

ワークショップとは、その場に訪れた参加者一人ひとりを『その人の人生の主人公』に戻すための場づくり

でした。でも、これは3か月のまとめなどではなくて、始まりでした。
皆さんのレポートを読みながら、それぞれの解やプロセスに触発されて、たくさんの別解を頂きました。

最終課題・誘発された別解のシャワー

ここで最後にまとめるのは、皆さんがレポートに書かれていた解そのものではなくて、そこから私の中でさらに誘発されて出てきたもの。相互作用の結晶たちです。

ワークショップとは、蝶のはばたき
ワークショップとは、「とりあえず」一緒に何かをすること
ワークショップとは、分かり合えなくても、分かち合えるもの
ワークショップとは、普遍的な疑似体験をギュッと与えてくれる場
ワークショップとは、「なんとなく気になる関係」を生み出すもの
ワークショップとは、人が「痛み」に耐えられる場づくり
ワークショップとは、思わず武者震いするもの
ワークショップとは、未来へのもやもや育て
ワークショップとは、脳にソナーを取り付けること
ワークショップとは、箸が転げても可笑しい世界
ワークショップとは、自然な笑顔が生まれる場所
ワークショップとは、多様性と気づきの物語
ワークショップとは、あなたがその定義を決めること
ワークショップとは、違和感との遭遇
ワークショップとは、リミッター外し
ワークショップとは、安心安全な暴走
ワークショップとは、遊ぶように学ぶこと
ワークショップとは、一箱のマッチ
ワークショップとは、「いてもいいかな」の場所
ワークショップとは、誰かに伝えたくなる体験
ワークショップとは、余韻ののちに歩き出すもの
ワークショップとは、ノンフィクションのドラマ
ワークショップとは、ときに「素敵な裏切り」が生まれるところ

最終課題・終わりは始まり

それにしても、長居しすぎましたね。
鳴り響いていた音楽も、少しずつ遠のいていきます。誰もがすがすがしく旅立っていく。私も、今度こそ本当にここから出ていかなくては。

答えは一つじゃない。だからランキングしてもいいし、しなくてもいい。
何より、人はいつか死ぬ、人生は一度きり。
だから、未来から絶え間なくやってくる「今」を苦し楽しもう。

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