概念を理解したいから自分の絵で描いてみる
理解が曖昧だったところを、ちょっとグラレコ的に整理したら、描く前よりは、はるかにすっきりしました。
けど、本当は、もっとドンピシャに描けるはずなんじゃないかと思って、いやいや、一歩ずつだね、とか思って、自己対話が忙しいです。
指先から絵が生まれるとき、自分の脳の中には、その絵を知っている自分と知らない自分が二人いるのかもしれないなぁと思ったりもします。
絵だけではないですね。文章でも、創りだすものなら何でも。
その二人がどっちも居ないと、表にどうにか削り出して、形にしようという思いが生まれないような気もするんですよね。
完全に知っていたら、わざわざ形にする必要を感じないかもしれない。
なんかあるぞ、私は知ってる、でもわからない。なんとか、その知っているはずのものに、ちょっとでも近い形にしたい。それに出会いたい。そしてできれば、誰かに見せたい。
知っている自分は、そもそも脳のどこから生まれているんだろう。
だけど、ワークショップは半分そうだけど半分違うんだ。私の中にその形のある程度を知っている自分と、知らなくて探している自分もいるけど、それだけではなくて。
参加者の中にも、何か同じようなとても混沌としたまだ見えないものがあって、しかも私たちがワークショップをやろうとするのは、どこかでその形をみんなで知っている…からなのかもしれない。