一度は行ってみたい!『モザイクタイルの不思議なミュージアム』知られざる誕生秘話
田舎町に突如現れた、摩訶ふしぎな建築物
名古屋から車で1時間、自然に囲まれた田舎町にその不思議な建物は立っていた。岐阜県多治見市笠原町に立つ「多治見市モザイクタイルミュージアム」。見上げるほどの土の壁、小山を縦に切り取ったようだ。壁面にかわいい窓が並び、よく見ると山の上に木も植えられている。直感的に「これはトトロの家だ」と思った。自然とメルヘンが一体になったように見えたからだ。
高さ20メートルの高い壁を見ながら、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の小人が入るような入り口を入る。受付で4階から見るように勧められ階段に向かうと、そこには巨大なトンネルのような階段が最上階まで伸びていた。
降り注ぐ光を目指して最上階(4階)に上がると、空が見える半屋外の白い展示室があった。フロアには全国から集められた様々なタイル作品が並ぶ。かつて日本人の生活を彩った銭湯のタイル画やお風呂、台所の流し、竈門など。昭和の記憶がよみがえる。同時にタイルが持つ多彩な表現、芸術性にも驚かされた。吹き抜け部分には色とりどりのタイルが飾られた巨大オブジェが、陽光にキラキラと輝いていた。
芸術作品を思わせる銭湯の壁画。
子供のころ、家にもあった洗い場。
タイルの巨大オブジェ。
3階ではモザイクタイルの歴史を辿る。この町になぜタイルの博物館ができたのかわかる。「モザイクタイルミュージアム」が立つ多治見市笠原町は、2006年に市に編入されるまで独立した町だった。古くから美濃焼の産地として栄えたが、その技術を受け継いだ昭和初期、笠原町出身の山内逸三という若者(当時23歳)が、均一に大量生産できるモザイクタイルの技術を開発した。それを機に、最盛期には100を超えるタイル工場が存在するなど町の一大産業に成長した。タイルのシェアは今も全国トップを誇る。3階には山内逸三が開発した昭和初期から現在に至る、笠原町のタイルの歴史を鑑賞できる。レトロな中にも高い芸術性を放つタイルの魅力は新鮮だった。
モザイクタイルの技術を開発した山内逸三、当時23歳。
昭和期のタイル。レトロな中に、デジタルな美しさが光る。
「道の駅」になっていたかもしれない!?博物館の誕生秘話
摩訶不思議な外観とタイルの世界を堪能できる博物館、「モザイクタイルミュージアム」はどのように誕生したのか?最盛期には国内シェアの60%を誇り、全国にタイルを送り出していた笠原町だが、建築スタイルの変化などから、次第に生産量は落ち込んでいった。そんな中「歴史ある町の産業を次世代につなげたい」と考えた地元の業界の有志が、「いつかタイルの博物館を作ろう」と20年ほど前から貴重なタイル作品の収集を始めた。タイル製品やそのサンプル、歴史ある建造物の壁面などその数は1万件を超えた。そんな中で笠原町は「平成の大合併」で多治見市に編入。合併協議の中で、旧笠原町のシンボルとして「タイル産業の町に寄与するもの」を建設することで合意し、かねてから町の念願だった「タイル博物館構想」が動き始めた。
しかし博物館建設をめぐっては当初、いろいろな意見が噴出した。「道の駅を作ってそこに博物館を併設したらどうか」「いや折角なら温泉も作ろう」といった意見も飛び出したという。もしその通りになっていたら「モザイクタイルミュージアム」は現在の姿と随分と違う形になっていただろう。それでも有志らは「笠原町のシンボルになる施設を作りたい」という考えでは一致していた。その後、博物館を単独で建設することが決まり、旧笠原町役場の跡地が予定地に定められた。さて、博物館の建物を誰に設計してもらうか?ここがタイルミュージアムの、その後の成否を分けた分岐点になったと言ってよい。設計を手がけたのは東京大学名誉教授の建築家・藤森照信(ふじもり・てるのぶ)氏。各地で自然と一体化した独創的な建築作品を手がけ、2001年には建築界最高の栄誉である「日本建築学会賞」を受賞した、まさに建築界の巨人だ。
藤森照信氏(写真)とモザイクタイルミュージアムの設計デザイン
なぜ笠原町は町の未来をかけた博物館の設計を藤森氏に委ねたのか?実は小さな町と建築界の巨人には、長年にわたる繋がりがあった。当時の事情に詳しい人によると、近代建築史の研究者としても知られる藤森氏は、以前から笠原町のタイルにも深い関心を示していて、町のタイル関係者とも深い交流があったという。そんな中、タイル博物館の建設構想がいよいよ具体化。収集活動の中心メンバーの一人だった社長が「ぜひ笠原にタイルの美術館を作ってほしい」と依頼したという。快よく引き受けた藤森氏だったが、設計当初は「ずいぶん悩まれた」そうだ。というのも、これまで自然素材や植物などを建築に取り入れてきた藤森氏だが、作品にタイルという素材をあまり使ったことがなかったからだ。
代表作『草屋根』ラ コリーナ近江八幡 ©Nacása & Partners Inc
思案する中で藤森さんが笠原町を訪れた際に、タイルの原料を掘り出す「土採り場」に足を運んだという。山を切り崩して、陶土を採集する土採り場。藤森氏はその現場を見たとき「これだ!」と思い、あの独創的な建物のイメージを思いついたそうだ。古くは美濃焼を作るための「土」に始まり、昭和に入りタイル生産へと受け継がれた笠原町。土の文化と共に歩んできた歴史が、新たな町のシンボルに生まれ変わった。
今や年間15万人が訪れる人気博物館に!
こうした経緯を経て、2016年6月にオープンした多治見市の「モザイクタイルミュージアム」。その風変わりな建物には当初、町民も賛否両論だったと言う。しかし、そのユニークなコンセプトがメディアなどで話題を呼び、開館1年で来場者10万人を突破。その後も地方美術館としては異例と言える年平均15万人前後の来場者が訪れる人気博物館へと変貌した。町民も新たな名物スポットの誕生に手応えを感じているという。
藤森建築に魅かれて訪ねたが、展示されたモザイクタイルには意外な発見があった。一つ一つのデザインや色、風合いがいま見ても全く古さを感じさせないのだ。それを教えてくれるのが、博物館2階にあるショールーム。新しいセンスを取り入れた現代のタイルによるデザインは、どれも輝いていた。タイルの伝統と新しさを同時に楽しむことができるモザイクタイルミュージアム、機会があったら一度訪ねてほしい。(了)
☆「多治見市モザイクタイルミュージアム」は2020年5月26日(火)から再開館の予定。新型コロナウィルス感染防止のため、入館には電話による「事前予約」が必要です。℡0572-43-5101 まで☆