見出し画像

死者からのメッセージ (ペルー🇵🇪 その❶)

    「記憶の断片」

 意識の奥深く、漂う記憶の波間から突如浮かび上がり目前に広がるワンシーン。

それは、空虚なガラス玉のように無機質で透き通り、全てを吸い込むような目から始まった。

 そして周りの景色全てが消え去り、その目に吸い込まれるように私の意識は深い闇に堕ちてゆく。

忘れられない記憶。忘れかけた記憶。それらは何気ない日常のなか鮮明な映像として突如現れる。
電車のなか、うとうとしてる時。幸せそうな笑顔の親子とすれ違う時。

そして突如目前に現れたその目玉から記憶の断片が意識の中で呼び起こされつなぎ合わされてゆく。

 それは死体となった少年の見開いた目である。
 歳は5歳から7歳くらい。
その少年の死体は、まばらに人が行き交う道路の側溝に投げ捨てられていた。

ゴミだめとなって汚水が溢れる側溝のなか、その少年の死体はまるで精巧に作られた人形のようで私はその場に立ちすくみ、その少年と目を合わせる。

冬の寒い早朝というのにその少年は靴もなく身につけているのはブリーフ一つだけ。
 身体には傷もなく白い肌が、ひどい匂いのゴミ山のなかで浮かびあがっているように見える。

その少年の目に囚われているのを見透かしたかのように、カメラマンのアントニオが私に合図を送る。
我にかえり周囲を見渡すと、崩れかけたビルのなか、10歳前後の子供たち数人がビニール袋を口に当て座り込んでいた。

その子供たちもまた、確かに生きているのに虚ろで生気も感情も感じられない。
 テレビカメラを向けても、異邦人である私と視線が合っても反応は何もない。
空腹と寒さを紛らわすため、ビニール袋に入れたボンドを吸い、意識が飛んでいるようだ。

その廃墟の奥には何人もの子供達が体を寄せ合い寝ていた。

そして、そうした子供達や少年の死体を気にすることもなく、大人達は側を通り過ぎでゆく。

1991年8月
日系人初のフジモリ政権が動き始めた頃のペルーの現実である。

 ペルーその❷につづく


よろしければサポートお願いします。これからの取材活動などに使わせていただきます。よろしくお願いします。