死者からのメッセージ・危険な香り そして・・・・・・ (ペルーその❽)
午前3時頃、空港から迎えに行った大谷さん夫婦と鄭さんがホテルに着いた。
ロスアンジェルス乗り換えの航空便でほぼ24時間、機上の人となっていた鄭さん。
疲れた様子もなく私との再会を楽しんでいるように
「ペレイラ神父と会ったんだって。信頼できるいい人よ。近藤さんとは気が合うわよ。
スラムは、救援物資の受け渡しだけであまり知らないから、ちゃんと取材して日本に現状を伝えてね。
ぺルーは初めてでしょ。どう? 食事は美味しいでしょ。・・・・・・」
と、次から次へ話かけてきた。
その間、大谷さんと夫のビクトルさんが医療品などの入ったスーツケースや段ボール箱をホテルロビーに運び込む。
朝の8時頃、教会のバンが迎えにきて医療品を運ぶ予定でその車に我々とアントニオ達も乗り込みスラムに向かうのだ。
当初、取材車で向かう予定だったが、ペレイラ神父から
「見慣れない車で来るのは危険なのでやめたほうがいい。我々教会の車ならスラム中の誰もが知っているので安心だから」
と言われ、その助言に従うことにした。
テロの多い当時に学んだ、重要な危機管理の一つである。
(その後イラク戦争などを経験するが私は現地で、できるだけ目立たない車をいつも選ぶようにしている。あるジャーナリストは性能がいいからと立派なランドクルーザーをチャーターしていたが、武装組織に狙われ、対戦車ロケットランチャー・RPGにより丸焦げの即死状態となった。)
当時は、海外取材経験の乏しい私だったが、このぺルー取材前に一度、アジア最大のスラムと言われていたフィリピン「スモーキーマウンティン」でスラム取材を経験している。
そうしたことからスラム取材自体に抵抗などなかったが、「スモーキーマウンティン」とは明らかに違う空気を「サン・コスメ・スラム」に感じ取っていた。
それは外国人ジャーナリストとしての立場で感じる危険な香り。
その香りは、そそり立つ断崖絶壁の淵から覗く眼下の闇に、吸い込まれるように私を包みこんでゆく。
その渦巻く闇から呼び覚ますように鄭さんの声が耳に響く。
「私は8時まで寝るから起こして、取材はみんなに任せるから。ペレイラ神父に挨拶したらリマの知り合いに会ってフォルクローレの打ち合わせをするから」
そして午前8時、鄭さんをホテルに残し我々は教会のバンでスラムに向かった。
元軍人で大谷さんの夫・ビクトルさんはボディーガードとしてスラム取材に同行してくれる。
リマ中心から車で30分ほどで「サン・コスメ・スラム」入り口付近についた。
一つの山全体が「サン・コスメ・スラム」を形成し、山の斜面には干しレンガで作られた家がびっしりとひしめき合っている。
まずは山の中腹にある教会に向かい、ペレイラ神父のインタビュー
「親のいない子供たちが増えている。捨てられたのか、生き別れたのか。
家に食べるものがなくて家出した子も多い。
そんな子供たちはここの路上や廃墟で寝て、靴磨き、タバコ売り、洗車、屋台の手伝いなどしながら生活している。みんな飢えている。
寒さや空腹から逃げるためシンナーやボンドを吸う子供も多い。
冬の寒さのなか餓死や病死の子供も増えている。
そして今、大きな問題はセンデロ・ルミノソだ。
このスラム内で隠れ、移動しながら人民学校みたいなことをして子供たちを洗脳し、勧誘しているのだ。
食べ物を餌にテロへの勧誘をしている。
この貧しさを生んだ敵をやっつけろと」
スラム住民のインタビュー
「仕事のない山からリマにきて3年。ここでも毎日は仕事がなくたまにあるだけ。家族4人の食べ物が足りず教会の配給で生きている。
あとは神に祈るだけ・・・」
スラムにいる子供たちで学校に行っている子供はほとんどいない。みんな路上に出て働いているからだ。そうしなければ生きていけない現実がここにある。
そんな子供にも話を聞いたが
「こんな毎日がいいわけがないよ。 道で寝て、食べるものもないし。寒いし。どこかに逃げたいよ。ここじゃあないところに。話は終わり、お金ちょうだいよ。」
スラム内を撮影していると子供たちが集まりついてくるのはよくあるが、
遠目に絶えず我々を見ている二人組の若い男性がずっと気になっていた。
テレビ取材の見物でもなさそうだし、スラム住民とは違う気配を漂わせている。
撮影が一段落ついたところで、ペレイラ神父の許しを得て、物売りの子供から缶ジュースやパンを買い、周りにいる子供たちにわけてあげる。
私はタバコに火をつけ、ビクトルさんに、気になっていた二人組の男について聞いてみた。通訳の大谷さんはこの二人に気づいていなかったので心配そうな様子。
ビクトルさん
「コンドーも気づいてたか。このスラムの教会を出る頃からずっと付いてきている。特に隠れて監視しているわけではないので、警告の意味もあるだろうな。強盗とはちがようだし、センデロだろうな。」
ペレイラ神父
「そう、センデロだね。ここ最近このスラムに出入りしているようで、リマで最近起きているテロ事件に関わりのある組織の連中だろうね。
このスラムに住んでいた若者も何人かはそこに入っているから。
私がいるから彼らも監視だけで手出しはしないから安心して。」
そのやりとりに心配そうな大谷さんとアントニオ達
「今日の取材はこれで終わり、帰りましょう。」と告げるとホッとしたように帰り支度を始める。
明日は早朝、路上で寝ている子供たちの撮影で訪れることになっている。
ペレイラ神父との別れ際、言い残したことがあると大谷さんと二人だけでペレイラ神父に話しかける。
ずっと考えていたセンデロ・ルミノソの取材の件で、ダメでもいいからペレイラ神父に相談してみようと。
「ペレイラ神父、センデロに連絡はとれますか?
日本から来たテレビディレクターが是非とも取材したいと。
あなた達の主張やメッセージを、直接あなた達から聞きたいと
伝えたいのですが。
危険でダメなら諦めますが、少しでも可能性があるならお願いしたい。
どうでしょうか?」
ペレイラ神父、深刻な表情でしばらく沈黙の後
「あなたの気持ちは理解できます。
でも非常に難しい、彼らは普通ではないので。
連絡がついたとしても取材可能かどうかはわかりませんし、安全の保障も何もありません。
それで良ければ連絡できるかやってみましょう。
たぶん取材に関してはセンデロ組織内で、それなりの立場でないと判断できないでしょうから簡単ではない。
時間が、かかるかもしれません。
いいですか?」
私
「かまいません。お願いします。
ただし、ペレイラ神父に迷惑がかかることになりそうなら、すぐやめてください。
また多額の金を要求されても払えないので、その時は中止してください。
よろしくお願いします。
1週間ぐらいなら待てますので。」
ペレイラ神父と握手し別れる。
通訳が終わり大谷さんは緊張した顔で私を見つめる。
「本当にいいの? ダメだと思うけど、もし取材できることになれば・・・・どうするの?」
私
「その時がくれば考える。
大谷さんには迷惑がかからないようにするから」
待たせていた教会のバンへと歩き出す。
ホテルに向かうバン車内でビクトルさんが着ていたセーターの腹をめくり私に見せる。
そこにはベルトに挟んだコルトのハンドガンが黒く光っていた。
それを見たカメラマン・アントニオも腰のウエストポーチを開く。
そこにはベレッタのハンドガンが。
その様子を見た私、大谷さん、セサールの3人、思わず笑ってしまう。
そして車内にみんなの笑い声が響き、スラム取材の緊張は一気に吹き飛んだ。
笑いに包まれながらも、私の意識は違う方向へ向かおうとしている。
でもそこには道標がなくどうしようかと佇んでいる私がいた。
「もしが、もしでなくなった時に向かう先とは・・・・」
ペルー🇵🇪 その❾に つづく
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