9/7の日記
10時頃に起きる。疲れ、肩や足の痛みなど消えていないが、昨日よりは良い。調子のよいときに、昨日の日記を書いてしまう。
日記を書いて疲れたのか、また痛みが強くなる。いつも1本ずつ飲んでいる痛み止めを、思い切って3本飲む。これは効いた。
昼ごはんに、きつねうどんを作ってもらう。
フローベール『ブヴァールとペキュシェ』読了。
凡庸なブルジョア、ブヴァールとぺキュシェがせっせと勉強に勤しむが、それらはことごとく虚しい結果に終わる。人生の「無意味」をあらわにしたお話だとも言えよう。
しかし、これほど生きる悦びに満ちた小説もない。それはまず、読むことの悦びとしてあらわれる。
私が特に好きなのは、葡萄畑の上に並んで立った二人が、夜空を見上げて、地球の成り立ちに思いを馳せる場面。もっとも、こんな具合に数えはじめたら、きりがない。
最近の日記を読み返すと、抑制したつもりが、ずいぶんと「死にたい」と書いていた。しょうもないことばかり書いたものだと思う。今は、端的に、生きたいと思うばかりだ。
この小説は、2019年に菅谷憲興氏による新訳が出て、蓮實重彦の推薦文とともに話題になっていたのを覚えている。高価なので買えなかった。
私が古本屋で買ったのは、岩波文庫。
訳者鈴木健郎(けんろう)氏は、1963年に没している。戦前にジッド『続文芸評論』を出しているが、この本の翻訳には大岡昇平も参加している。ほかにド・ルージュモン『愛について』などの訳業がある。単著は遺稿をまとめた『現代フランス文学史』のみ。
大岡昇平は、フローベールについては、スタンダールに批判的であるという理由で反感を持っている様子。
フローベールのスタンダール批判は、「小説は鏡でなければならぬ」という素朴なリアリズムへの否定とされている。が、大岡は当然スタンダールを擁護して、「フローベールの、「スタ」に対する感情的反撥は同類嫌悪といっていいだろう。」と結論づける(『成城だよりII』)。
私の関心は、前にも書いたとおり「紋切型」にある。
フローベール全集を読む余裕はないだろうが、未読の『サランボー』『聖アントワーヌの誘惑』は古い文庫本を買ってあるので、すぐ読める。
サルトル『家の馬鹿息子』は読めないだろうが、トロワイヤの伝記なら図書館で借りて読めるだろう。高校のときサルトルにハマった友人が、『家の馬鹿息子』という本が面白そうだ、と言っていたのを思い出す。