9/4の日記
寒くなった。
朝起きたら、体が冷えている。寒いのに、寝るたびに汗をかくせいもある。
昨日までの日記を書く。
書けなかった分はそのままにして、今日からまた新しく始めれば良いのだが、どうも気になってしまい、それが出来ない。
やっと負債を返したような、すっきりした気持ちだ。
今日、読んだ本。
バタイユ『太陽肛門』『ヒロシマの人々の物語』(酒井健訳、景文館書店)。
『太陽肛門』は、これまで読んだバタイユの作品の中でいちばん面白かった。読書に「意義」があるとすれば、今いる現実から離れて、広い視野から物事を考えられるようになることだろう。その点、この『太陽肛門』は良い。
人間の活動も、雲や海や木の自然現象も、すべて機関車のように、地球の円運動がピストン運動に変換されているのだという壮大なビジョンを与えてくれる。ついでに、「愛」や「夜」が何であるかも解き明かされる。
読んだら、あっと驚くこと請け合いの一冊。
『ヒロシマの人々の物語』も、「反戦」なるスローガンにつきまとう曖昧な感情を明快に解き明かしたところが面白かった。ただ、『太陽肛門』に比べると、まともな論文形式で、やや固苦しい。
ところで、太陽肛門と言えば、太陽肛門スパパーンである。バンド名の由来は知らないが、即物的で、底抜けに前向きなユーモアという点では、バタイユと共通している気がする。
昨日の日記にも、アイロニー抜きの資本主義批判ということを書いたが、はっきり言って、そんなことは太陽肛門スパパーンの音楽を聞けば、一発でわかることである。
YouTubeで聞けるので、この記事を読んだ人はすぐに聞いてほしい。元気が出ること請け合いだ。
「アイロニー抜き」というのはどういうことなのか、いまいち俺もうまく説明できない。
ただ、病床で、あらゆる意味を見失いニヒリズムに陥っていた俺に、そのことをわからせてくれたのが誰かはわかっている。
魯迅である。
魯迅の有名な言葉に、「絶望の虚妄なること、まさに希望と相同じい」という名言がある。これこそ、アイロニーの否定である。アイロニーとは、虚妄を虚妄と知りつつ「あえて」掲げる態度だろう。
端的に現実を受け入れ、アイロニカルにではなく、ユーモラスに生きること。
そんな生き方を教えてくれるのが、魯迅の文学である。『故事新編』などは、今や誰にも読まれてないが、20世紀の小説で、最も面白い小説である。たぶん古本しかないが、岩波文庫で買える。
魯迅のことは、日を改めて書こう。
夜、たこ焼きを食べた。おいしかった。
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