見出し画像

少しだけイラッとした話


いつものように夜のランニングに出かけた。梅雨真っ只中の東京は、気温も湿気も高くてうだるような暑さ。それでも週2回のランニングは欠かせない。インスタに週2回だけランニング報告の投稿をしていると、時々しか会わない人に、「毎日走ってるの?すごいね!」と言われるのだが、毎日なんてとても走れない。月曜日と木曜日にちょうど週2回走るのが、身体にとってベストタイミングというのが、今のアンサーになっている。

そんなこんなでいつも通りランニングをしたわけだが、今日は今季一の暑さで後半はスローペースもしくは歩いた。そんな時、横を1人の男性が通り過ぎて行こうとしていた。ふと横を見るとその男性はTikTokのような縦映像を見ていた。その左横には白い元気な小さな犬(仮名:アイス)が連れ立っていた。早歩きで前を行く男性を見ていると、その男性はどうやら映像に夢中のようで全くアイスのことを見ていなかった。アイスは必死に動き回るが、飼い主はただ一直線に映像を見ながら前へ歩いていた。
アイスは途中、自動車侵入防止用に設置されている背の低い棒に向かって片足を上げて用を足そうとした。それにもかかわらず、飼い主は全く見向きもせずにただ真っ直ぐ歩いているので、アイスはぜんぜんトイレができない。数歩歩いてまた棒に向かって片足を上げるけど、アイスはやっぱり用を足せない。飼い主が映像に夢中でアイスの様子はもちろんのこと、用を足したいなどということは気がついてもいなかった。

「あの飼い主は何をしているんだろう」
そう思った。

自分が飼っているのかどうかわからないが、少なくとも自分が連れている犬が用を足そうとしているのに、それにも気が付かずにひたすら目の前の映像に夢中になっている。
私はすごく残念な気持ちになって、少しイラッとした。そのアイスがかわいそうだった。

ちょうど『暇と退屈の倫理学』という本の中で

人間らしい生活とは、そのなかで退屈を時折感じつつも、物を享受し、楽しんでいる、そういった生活である。

暇と退屈の倫理学 國分功一郎


という内容を読み、この飼い主はあまりできていないな、とその場面だけを見て感じた。
この意味は本全体を読み切らないとしっくりこない内容だと思うが、“楽しむ”というのはそれほど簡単なことではないから、仮に「この人は“楽しむ”ができている人だな」と感じることができる人がいれば、自分はそんな人と関わっていきたいと思った。その飼い主は見たことで、よりその想いが高まった。ありがとうひどい飼い主さん。ということで、好きなアイスは雪見だいふくなので、ちょー暑い夏にたくさん食べたい!

2024.7.8

森七菜かわいー


いいなと思ったら応援しよう!

山本 祥平
スキと思ってくれたら、サポート待ってます! 感動を与えられる作品づくり頑張ります。