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連載小説|ウロボロスの種

▲ 前回


五日目

 私は大聖堂で腰をかけ、白い鳩のステンドグラスを眺めながら、パイプオルガンを聴いていた。弾いているのはフェデリコだった。
 フェデリコは演奏を終えると、初日のように私の横のほうに座った。
 「今の曲は《蛇》といいます。この港町出身の作曲家による作品です」
 フェデリコは愛想よく話したが、やはり眉間には皺が刻まれていた。
 「曲のモチーフは、この港町に伝わる伝説です。この町には、今でも一匹の蛇が住むと言われています。海からやってきたとも言われ、森からやってきたとも言われています。伝説によれば、町に蛇が住むようになったとき、人々は蛇を大いに恐れていました。それまで誰も蛇というものを見たことがなかったのです。ところが、アダーモという人物が、蛇を飼いならすようになりました。アダーモは蛇を放し飼いにしていました。人々はアダーモを蛇使いと呼び、彼を恐れ、避けました」
 「アダーモは実在したのですか」
 「それはわかりません。とりわけ、もう一人の登場人物の名がエーヴァということからしても、この話が多分に神話性を帯びていることが窺えます」
 「アダーモとエーヴァ……アダムとイヴですか」
 「はい。このエーヴァという女性は、なぜか蛇を恐れませんでした。そこで、エーヴァは人々から頼まれ、蛇を追い払う仕事をするようになりました。家の庭などに蛇がいるのを見つけると、家の人がエーヴァを呼び、彼女が蛇をうまく追い払うのです」
 「そしてエーヴァは金を受け取るのですね」
 「そうです。エーヴァは、徐々に町で力を持ち始めます。すると、町に噂が立ち始めました。アダーモとエーヴァが、仲間同士なのではないかという噂です。アダーモが蛇を放し、エーヴァが追い払う、そして二人は金を山分けにする、そう人々は噂しました。人々はアダーモだけでなく、エーヴァも恐れ、避けるようになりました」
 「それでどうなったのですか」
 「エーヴァは蛇をけしかけ、町中の人々を蛇の毒で死なせたのです」
 「凄惨な物語ですね。最後にはエーヴァだけが残ったというわけですか」
 「アダーモも蛇に襲われず、生き残りました。現在の港町の人々は、アダーモとエーヴァの末裔だということになります」
 「アダーモとエーヴァは、最初から仲間同士だったのですか」
 「それはアダーモとエーヴァのみが知るところです。一つ確かなのは、この町の人々が、蛇を見ても恐がらないということです」
 「それはまたどうしてです」
 「この伝説を信じていて、アダーモとエーヴァの末裔を自認しているからかもしれません。あるいは、本当にアダーモとエーヴァの末裔たちだからかもしれません」
 「遺伝的に蛇を恐がらない人々が、そのことの説明のために伝説を創作したとは考えられませんか」
 私がそう言うと、フェデリコは眉を上げて肩をすくめた。そしてまた話を始めた。
 「《蛇》のうねるような無限音階は、蛇の動きです。蛇は頭を中央に据え、体を左右にうねらせて前進します。この港町の人々にとっての美徳は、本来そのようなものです。中央に据えられた頭は、中庸の美徳を意味します。左右にうねる体は、両極端を行き来する生命力を意味します。つまり、中庸の美徳というものは、両極端の間でどっちつかずにいて得られるものではなく、両極端を行き来することで得られるというわけです」
 私は、バー・ニュクスの客が話していた、集中と拡散のことを思い出した。生命は、あるときは集中し、あるときは拡散する。生命はその対のシステムを備えている。集中と拡散の両極をそれぞれ存分に発揮することで、前進のエネルギーと中庸の美徳がもたらされる。
 だとすれば、この町では今、対のシステムがうまくはたらいていない。昼に集中し、夜に拡散する。そうすることでは、もつれたものが、もつれたままになっている。
 未来への集中が災いしているのではないか。進行方向に集中する蛇は、前進できないだろう。進行方向を一度忘却し、まずは左右への動きを存分に発揮しなければならない。

 夜、私はバー・ニュクスでブランデーを五杯飲み、ホテルで眠りについた。
 私は夢を見た。自分の体内に、いくつもの〈核〉が埋まっている。その一つを、自分の意志によって、ほぐそうとする。それは硬く、なかなかほぐれない。根気よく試みていると、硬さが次第に緩んできた。ついにそれは綻び、中から痺れるような刺激を発する粒が出てきた。すると、粒を包んでいた殻が帯状になって広がり、うねりながら体の内外を海蛇のよう泳いで巡った。粒のほうは体外へ出て行った。
 私はそれをくり返した。〈核〉が綻ぶたびに、帯状のものが体を巡る。その数は増えていくが、ほかの〈核〉に進行を妨げられ、そこで泳ぎをやめてしまう。こうして、私の体内には、まだいくつもある〈核〉と、それらに静止された帯状のものとで、一杯になった。帯状のものたちは、体の内外のそこかしこにまとわりついていた。
 脱皮しなければならない。そう私は思った。 


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