哲学ファンタジー 大いなる夜の物語 謎その2
謎その2 〈どれでもないバス〉って、どんなバス?
今日は日曜日。予定は何もない。
僕は公園に行って散歩でもしようかと、家からバス停へとやってきた。公園は、バスに乗って二十分ほどのところにある。
あれ?歩道の遠くから、石戸さんが歩いてくる。近くに住んでいるとはいえ、こんなところで会うのは珍しいな。
石戸さんもこちらに気づいたようで、こちらに向かって手を振った。笑っているのがわかった。僕も手を振り返した。
石戸さんは微笑みながら歩いてくる。その数十メートルのあいだ、石戸さんをじっと見ているのも変だし、そっぽを向くのも変だし、どこを見ればいいやらわからない状態に置かれていた。
そのとき、バスがやってきた。僕はそれには乗らずに、石戸さんを待つことにした。バスというものは、間の悪いときに来ることになっている。
やがて石戸さんが、声の届くところまで歩いてきた。
「おはよう。石戸さんもバスに乗るの?」
「ごめんごめん。さっきのバスに乗るはずだったんでしょ?」
「いいよ、暇で公園に行くだけだから。石戸さんはどこに?」
「科学博物館」
「科学博物館って、ここからバスで行けるんだ。知らなかった」
去年新しくできたらしい、県立の大きな科学博物館。僕はまだ行ったことがない。
「草野くん知ってる?こないだ長野に落ちた隕石のこと」
「うん、テレビで見た。きれいな卵形をした隕石だよね。いま世界中で話題らしいね」
「あの隕石が、今日からしばらく科学博物館で展示されるんだって。草野くんも一緒に行かない?」
とつぜん誘われた僕は面食らってしまった。
「どうしようかなあ。公園に行っても散歩するだけだから、行ってみようかな、科学博物館」
石戸夕璃と行く隕石見物ツアー。そんな不思議な休日もいいかもしれない。石戸さんは「やったあ」と言って喜んでいる。
「えっと、そうすると、どのバスに乗ればいいの?」と僕は聞いた。
「どのバスって?」
「その、どこ行きのバスに乗ればいいの?」
「市営温泉行きのバスだよ。でも、どのバスなのかはわからない」
「え、どういうこと?」
「だって、市営温泉行きのバスといっても、何台も走ってるでしょ?」
「え?市営温泉行きのバスは、一種類しかないでしょ?」
「一種類しかないけど、〈市営温泉行き〉っていうバスは、何台も道路を走ってる」
「それはまあ、そうだけど、どのバスに乗ればいいかはわかってるじゃない」
「わからないよ。何台も走ってる〈市営温泉行き〉のバスうち、どのバスに乗ればいいのかは」
さあ、どうしよう。石戸さんは真面目な顔をしているけど、こういうときの石戸さんは、真面目なのかふざけているのかわからない。そもそも、石戸さんと話していると、「真面目か不真面目か」という当たり前のような二者択一に、まったく意味がないような気がしてくる。
「でもさ石戸さん、〈市営温泉行きのバス〉は何台もあるけど、次に来る市営温泉行きのバスは、一台だけでしょ?」と、しばらく考えてから僕は言ってみた。
「そうだね」
「じゃあ、『どのバスに乗ればいいのか』といったら、〈次に来る市営温泉行きのバス〉に乗ればいいってことだよ」
僕が少し得意になってそう言うと、石戸さんは真顔のまま考え込んでしまった。
「駄目?」と、僕はすっかり自信をなくして聞いた。
「『〈次に来る市営温泉行きのバス〉に乗ればいい』って言われても、何台もある市営温泉行きのバスうち、どのバスが次に来るの?」
石戸さんは真剣な目で僕を見ている。そのあいだに、公園行きのバスが来て、乗客を一人降ろして走り去っていった。石戸夕璃と行くツアーはもう始まっていて、もう後戻りはできないことを強く感じた。
「参ったなあ。〈次に来る市営温泉行きのバス〉は、とくにどのバスのことでもないよ。〈次に来る市営温泉行きのバス〉なら、どのバスに乗っても構わないってことだよ」
「草野くんは不思議なことを言うんだね」
まさか、石戸さんに言われるなんて。
「不思議って?」
「だって、さっき草野くん、〈次に来る市営温泉行きのバス〉は一台だけだって言ったでしょ?それなのに、『とくにどのバスのことでもない』だなんて」
「おかしいかな。一台だけだけど、どのバスのことでもないって」
「一台だけのバスなのに、それがどのバスのことでもないなんて、変じゃない?」
どのバスでもない一台のバス・・・。そんなバス、あるのだろうか。ちょっと変な気もしてきたぞ。
「あ、あのバス」
石戸さんがそう言ったので、振り返ると、市営温泉行きのバスが、角を曲がってこちらへ向かってくるところだった。
「よかった。あのバスに乗るんだね」
僕は心底ホッとして、そうつぶやいた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?