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地球史から考える人類と人生

人間は地球上の生命体の中で唯一、物語を紡ぐことが出来る。
その特殊能力によって人間は社会を形成し、文明を築き、ここ数十年で一気に、地球上に存在するすべてのモノと繋がることが出来るようになった。
結果、人間は地球を支配してしまった。
・・・かのように思われたが、とあるウイルスによって、そうじゃねえぞ、と一気に目を覚まされた。
我々は地球人である自覚を取り戻した。
自覚を取り戻した一方で、「冷静になると、今までの人生って、どこか空虚だったな、今もなんか人生つまらないよね」そんな空気が流れて久しい。

そもそも人類とは何なのか。私たちの人生とは何なのか。
今日は、地球史の視点から、ちょっと難しいこのテーマについて、考えてみたい。

まずは地球史を振り返ろう。
45.6億年前に太陽系が誕生し、間もなく地球が誕生。その1千万年後に月が誕生し、41億年前にすべての生命の出発点となる原始生命体が生まれ、祖先となる古細菌と真正細菌が生まれ、29億年前に光合成をする生物、シアノバクテリアが生まれた。
そして、気の遠くなる宇宙の時間の流れと共に生命の絶滅と進化を繰り返していく中で、漸く7千万年前に、我々霊長類の祖先は、ネズミやウサギなどの齧歯類から茎進化によってゴンドワナ大陸(アフリカ大陸と南米大陸のもとの大陸)に生まれたという。
意識を持った生物である人類が文明を持ったのは最後の氷期が終わった1万年前。都市が出来たのが5000年、哲学が生まれたのが2400年、産業革命が300年前、統一国家に向かう流れは情報革命と同じく30年前に始まった。30年後には30億人が難民になり、百数十年後には数十億年の地球史の中で蓄えられてきた化石燃料が尽きる。
更に未来に行けば、2億年後にすべての大陸が再び集まり、6億年かけて海水がマントル内に取り込まれ減少し、海嶺が海上に姿を現す。潤滑剤である水が取り込めなくなるとプレートテクトニクスが停止し、地球の冷却が終わる。低温のプレートが内部に取り込まれなくなると、外核の冷却力が低下して地球の磁場が消滅。大気は太陽風によって剥ぎ取られ、大型多細胞生物は絶滅。15億年後には海洋も消滅し、地球生命が全滅する。
45億年後、天の川銀河とアンドロメダ銀河が衝突し、80億年後には膨張する太陽に地球が飲み込まれ、宇宙から地球が消滅する。

これが地球の歴史の全容だ。
(以上の地球史は文科省関連組織「冥王代生命学の創成」を参照した)


時を遡るほど、そして先へ伸ばすほど、たった1万年の歴史しか持たない我々文明人の存在や、たった数十年という我々の人生に、果たしてどんな意味があるのだろう、そもそも考える必要などあるのだろうか、そんな気にもなってくるのだが、もう少しだけ考えてみよう。

逆説的なのだが、私たち地球上の生命体は、宇宙の自然法則であるエントロピーの増大に逆らうように、整然かつ複雑に進化してきた。
そして更に、人類はそんな奇跡的な生命体において唯一、この「生」に主観的に意味を与えることが出来る、つまり「物語を紡ぐことが出来る」種族なわけだ。
つまり、ここだけを切り取ると、神秘の中の神秘であるはずの種、それが人類だということになる。
そんな神秘的なはずの種族として地球上に生まれ落ちたからには、その意味をも考えてみたくもなる。

うむ、どうやら視点を少し変えると、途端に一見意味がなさそうな事象にも色を付けられるようになるようだ。これが「物語を紡ぐ力」なのか。これはなかなか面白い。
ではこの調子でもう少し、小さいことと大きいこと、「人生」と「人類」を考えてみよう。

さて、まずは小さな視点から。今の自分の「人生」を考えてみる。
結論から入るが、無数の奇跡によって生まれた今の私の人生は、どうやら、地球ではなく、人類そのものがここ300年程度で創り上げてきた妄想に、ほとんど支配されているようだ。
東京23区に住み、働く私は、24時間365日、つまり人生の時間のほとんどをコンクリートの中、もしくは上で、本来は大陸や海洋のどこかに眠っていたであろう40億年分の資源を食い潰しながら過ごす。
ここでは生きているだけで、その資源を過剰に消費せざるを得ず、”持つ”(Have)ことばかりが増えていき、”ある”(Be)ことは日に日に少なくなっていく。定量が増え、定性が減る。機械が増え、自然が減る。そうして、日々人生が手から零れていく。
今でこそ、有給というベーシックインカム制度と共に『Be』の回復に主眼を置いてなるべく、フロー状態を保ちながら生きているが、それでも、フローに入っていない時間は、ふと命が零れてしまっていることに気付かさせる瞬間に出会う。
『Have』を強制してくるイデオロギーに支配された社会は、私の人生や人類、地球上のすべての生命のみならず、地球そのものを消費するイデオロギーである、という点で、全く美しくなく、本当に辟易とさせられるが、
このイデオロギー自体、2400年の哲学史のたった300年程度の歴史でしかないと考えれば、そして人類を含む地球上の生き物は地球環境によってその全てを変化させてきたと考えれば、
資源が枯渇し、海がゴミのプールと化し、30億人が難民となる30年以内に、300年ぶりに正しい哲学を取り戻すことも、農業革命以前の、つまり1万年以上ぶりの平等な社会を取り戻したとて、どだいおかしな話ではないのかもしれない。
そう考えると、この妄想の支配からの脱出にも希望が持てそうだ。

まとめると、ミクロな視点の私の人生とは、今はこんな感じだろう。
基本は支配された空間とルールに沿って生きるように強いられてはいるが、間もなく歴史的に見ても、(物質的な貧しさの観点では)懐かしい×(科学技術的には)新しい、というハイブリッド時代が来るだろうから、今からその準備をしておけばいい、と言うことだ。
その準備とは、今を最高に楽しみ、日々哲学しながら、地球上の種の一つに過ぎないという自覚を持って生きるということ
だろう。
これが、21世紀に人類の妄想の世界に生かされている私にとっての人生の意味なんだと、今は思う。


さて、現状の窮屈な人生や、30年後の新しい妄想世界の話は置いといて、次に、マクロな視点「地球史における人類とは何なのか」に目を移してみる。

私はこの46億年、もっと言えば宇宙の誕生からの140億年の歴史と奇跡を振り返ると、やはり、それでも、「人類は、地球を、宇宙を、より一層彩る、他の種より神秘的な存在である」と信じたい
何故なら、今のところ、「人類だけが、宇宙の、地球の美しさを”脳で理解”出来、それに意味を持たせ、物語を紡ぐことが出来る種族であるから」だ。
しかし、正直、この考え方は最近では正しくないように思えてきてしまっている。というのも、(私のように心霊体験をしたことがある人ならば意見を同じくしてもらえるだろうが、)もし私たちが”地球上の生命には万物に霊魂が宿る”という考えに立つならば、もしかしたら、「人類だけが、宇宙の、地球の美しさを”意図的に理解しないことが出来る”種族である」可能性だってあるわけだ。
つまり、「人類だけが持つ、”脳が生み出す無限の欲望”という特殊能力を都合よく使って、魂に反すること=地球と宇宙を破壊すること、が出来る」という見方も可能なのだ。
そうだとしたら、それはとても悲しいし、人類は宇宙や地球にとって奇跡や美しいものなどでは決してなく、邪魔な存在なのかもしれない。

極端な考え方に聞こえる人もいるだろうが、ある意味ではこの見方は論理的かもしれない。
例えば、世界の都市を見渡せば、これだけ超巨大な個性無き集団で溢れかえっているし、まるでそれは哺乳類的というより昆虫的な集団行動に近いわけで、本来の人類の進化に適応したものとは異なる。事実、うつ病の割合が多いのは都市だろう。
そして世界の自然を見渡せば、”無限の産業主義”なる妄想の存在のお陰で、地球上では毎日100種類の生物が絶滅しており、最近では第6次大量絶滅が起きているとも言われている。
更にIPCCが既に何度も公表しているように、人類の影響で起きている地球温暖化について言えば、北半球の極域では永久凍土(2年以上凍ったままの土地のこと)が不可逆的に溶け始め、水銀や人類に感染する恐れのあるウイルス82万種が海洋や大気中に流れ出ているという。

こういった事実は、人類なしに語ることは当然出来ないし、これが地球や宇宙の”神秘”に対して、つまり”エントロピーの増大に逆らう動き=地球の複雑性の追求”になっているかと問われれば、これはまるで逆、ただのエントロピーの増大を進めているに過ぎない点で、全く以て神秘ではなく、人類の誕生のそれとは反するわけだ。

結論に移る。
もし、地球上に魂が存在する、そして魂とは、エントロピーの増大に逆らう生命の神秘である、とするならば、人類の存在というのは、この魂を取り戻せた者のみが、地球が生まれてから滅びるまでの130億年において、宇宙・地球を彩る存在になりうる、ということになろう

21世紀を生きる我々は、まさにこれこそ奇跡的に、このテーマを考えるには十分な知恵を蓄積してきた。
あとはこれを哲学する勇気が人類にあるか、それにかかっているように思う。
少なくとも私はこうなるよう、人類を後押しをしていきたいし、私自身も日々魂を磨いていきたい。
地球がより多くの神秘に溢れ、色鮮やかであり続けて欲しいから。

(終わり)

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