香山のエンディング「冥界」

 明は私の薬物依存を放っておけないと言ってついてきた。監視によって薬が絶たれた私は、一貴山への道中何度か幻覚を見て、その度に明に助けられて、胸を打たれた。宅に着いても明は涙を止めるのにしばらくの時間を要したし、私は彼が予想に反して自分への思い入れを深くしていたことを知り、彼に寄り添う気持ちがなかったのは自分自身であったことを思い知った。初めて体験する明の涕泣でショックから立ち直れなかった。私達二人は黙ったまま、小一時間車内にいたままであった。やがて住居者である私は気まずさから口を切って車を出た。
 ベッドによっかかって寝る明を置いて、私はベランダへ煙草を吸いに出た。喫めども喫めども、モルヒネの渇望は収まらなかった。手指がどうしようもなく震え、吐き気が止まらなかった。末に私は幻影のKに再会を果たした。Kは横で体を齎せて、玩具を買ってもらって喜ぶ子供のようにに言った。
「ねえ、早く飛び降りなよ」
「やめてくれ」
「嫌だね。しかも、せっかく明は寝ているし、チャンスは今しかないよ。きっと彼はこれからもあなたの邪魔をするはずだよ。ラッシュを忘れたの? 短い時間でも、あなたは肉体すべてで幸福を覚えていたじゃない。あれだけの幸福感を、モルヒネなしでは得られると思って? ラッシュはモルヒネがないと無謀なのよ」
「俺は、治すんだ」
「あはは、無理だってば、分からない人ね。懲役を終えて牢屋から出た人間のうち何パーセントが再犯しているのか、知ってるわよね」
 周知の事実であるが、大震災が起こっても自分だけは死なないと信じるのが人間である。希望を口にした。
「明が止めてくれる」
「他人任せな人。大体、彼だってどれだけあなたのことを本気で考えてくれているか知れたもんじゃないわ。自分のことを思ってあげられるのは、自分だけだよ。そういえば忘れたのかしら? 彼ったら、狂人なのよ。いつか嫌気がさして、あなた殺されるわよ」
「香山」ベランダへ出てきた明が、私の腕を引っ張った。「正気を保て。何を見ているのかは知らんが、何であろうとそいつは幻覚だ。この世に存在しない、お前の作り出した妄想なんだ。そうさな、俺の幻覚でも見ればいい。知らないものより、こうして友達の俺を幻視することくらい造作もないだろう。さっ、部屋へ戻ろう」
 私は、彼に連れられて部屋へ戻った。彼の手は、人らしさを感じさせる不思議な感触があった。
 何日も彼はそうやって、私のそばを離れようとしなかった。一カ月が経ち、彼はようやく私を一人にした。
 昼下がり、私は部屋に一人で寝ていた。まどろみの中、枕に頭を置いた私は、彼に認められたと思った。他人、それも親密な人間からの承認は安堵を与えるものだった。すると、自分の依存症など、もう治ったのかもしれない、と思った。ベッドの下から、しゃがんだKが顔をのぞかせた。
「あら、治ったの」
「こうしてお前を見ているのなら、治っていないらしいね」
「いいえ、人は誰でも幻覚くらい見るわ」
「じゃ、俺は治ったのかい」
「さあ? 試しに、一発やってみればわかるんじゃないかしら。そうよ、それがいいわ。白黒はっきりさせましょう。罪悪を思い出す前に。残ったモルヒネは、タンスの中よ」
 私は、明から隠していたモルヒネを注射した。きっと、私は薬物をやめることができなくなるだろうと思っていたのだ。そうして得たものは、全身を走り回る幸福感だった。私は、ラッシュを終えるたびにモルヒネを摂取し続けた。所持していたモルヒネは底をついた。
 それから夜が更けるまで、私は自分が隠し忘れて残存してやいないかと探し続けたが、結局はどこにも見つからなかった。
 汗で服は滝を浴びたようになり、私は悪心と痙攣の中にいた。散らかされた部屋にうずくまり、Kはそれを微笑を浮かべて見ていた。私は彼女を罵倒した。
「この、大嘘つきめ」
「心外だわ、私、試してみよう、と言っただけよ」彼女は勘弁して、という風に両手を前にやった。「それに、幻覚に拘束力なんぞありゃしないわ」
「明……」
「また彼に頼るつもり? 無理よ彼には。それより、新しい供給源を得た方が賢明よ。金で解決できるのなら、よろしいのではなくって? あッ、自首もいいかもしれないわ」
「明……」
「いい大人が、気色悪うございますわ。そうね、やっぱり飛び降りましょうか」
 私は観念してベランダへ向かおうと這いつくばった。腹をカーペットがこすり、汗で染みが点々としていた。右手を伸ばし、左手を伸ばし、アルミニウムの冷えたサッシに手をかけた。
 すると、足音が聞こえたので、後ろを振り返った。私を促すKの後ろに、仕事をするときのように背広が着た明が立っていたのだ。彼は、彼女の喉にナイフを突き立てた。ナイフはそのまま横へ滑り、壁に彼女の血が飛んだ。
「なあ、俺はお前がいなくなると寂しいんだ」

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