2024.1.31 現代社会への出家
2020年4月に上京し、東京のど真ん中に佇む寺院に勤務して約4年。
直轄寺院を預かる身として、日々の荘厳。法要と納骨。首都圏での布教伝道。
コロナ禍の緊急事態宣言中、本堂だけは一般開放を続けたが、参拝者は途絶えなかった。どんな時も社会の中で寺院は重要な役割を果たしていた。
便利になっていく世の中と、昔から変わらない寺院。
役に立つものだけが生き残り、役に立たないものが排除される社会は恐ろしい。
社会的な価値観を一旦横に置き、ゆっくりと命を見つめ直す場が"お寺"という場所だ。
しかし、時代の流れには逆らえず、20年後には現存する寺院の約3割は淘汰される。
どうすればこのお寺を守れるだろうか。
私達が、先祖が、大切にしてきたこの寺院を。
必要とされないものが淘汰されゆくのは自然の道理。だが私達は気づかぬうちに、大切なものさえも不必要と捨ててしまう。
この流れを止めるのには、仏教界だけの力では不可能だ。
経営戦略、ITスキル、マネジメント。
それらを仏教界に落とし込み、融合・調和していかなくてはならない。
19歳で得度。
僧侶として11年が経ち、東京でも多くの悲しみの現場に身を置いた。
コロナで亡くなり、最期の面会も許されずにそのまま火葬された方のご家族。
事故死という突然の別れで、気持ちの整理もつかないまま迎える四十九日。
生まれて間もない子どもを亡くされた方とは、お骨によだれ掛けをしたまま納骨法要を行った。
自分なりに精一杯向き合ってきた。
しかし、「先生」や「御導師様」など、まだ未熟な自分には不釣合いなほどの敬称で呼ばれることも多く、有難くも申し訳なく感じていた。
確かに葬儀や法事の場で僧侶は尊ばれるのかもしれない。
しかし「先生」という尊称に胡座をかき、頼まれた仕事だけをこなすだけで満ち足りるような僧侶にはなりたくはない。
同世代で頑張っている友人たちは今、何に悩み、何に苦しんでいるのか。
今、見えない場所で悲しみを抱えた人がいるのではないか。
もう一度、この世界と向き合うために、決心した。
2024年1月31日。
寺院を退職し、現代社会へ出家する。
慣れ親しんだ仏教界から引退する。
居心地の良い場所から身を引く。
宗祖と同じく29歳で山を下りることを決め、
内定を頂いたのは30歳の誕生日を迎えた直後だった。
2月からは、コンサル企業で勤務する。
寺院の将来へと繋げるために、コンサルタントという職種を選んだ。
そして、もう一度、仏教とは何かを見つめ直す。
肩書も立場も関係のない、力を持たない場所で。
枠組みも型にもはまらない、自由に思考できる場所で。