カウントダウンライブの通訳を終えて/あるいは2025年の抱負(2025年1月1日の日記)
12月30日から実質二泊三日の仕事を終えて、1月1日の早朝に帰宅した。臨海都市近辺に泊まっていたのだけどこんなに年越しに観光客が来ているのねという新たな驚き。帰ってとりあえず流れてきた紅白の米津玄師だけ見た。よねが踊っていないのは単にスケジュールの都合なのかもしれないが、踊らないひとがいてもいい、というのはきわめて大事なことだなとか思うなど。100年後まで考えながら生きるのはなかなか大変なのだが、せめて10年後くらいにどんなものとか機会とか場所とかを、だれかや社会のために残せるかということを、つねに考えて生きていきたい。恥ずかしくない大人に。今年もやることはあまり変わらない予定。
MCで舞台上に出ているならまだしも裏で天の声通訳をしているときの写真をアップするということについては、しばらくいろいろ考えたうえで、最近は(上げていいものは)上げるようにしている。そうすると即座に売名とか厚顔無恥とか通訳の倫理観が欠如しているとか言われそうなのだけれども、これはこれで自分なりの仕事に対するひとつの責任の取り方でもあるかな、など。
最近同業のひとと会うたびに同じような話ばっかりしているけれども、タイ語の翻訳でも通訳でも、あるいはタイ(文化・文学)研究でも、結局この数十年でプレイヤーの数があまり増えないまま、いまや人口減少とMT・生成AI翻訳の時代にあっさり突入してしまっている。まさにドンピシャのタイミングで平野暁人さんの「もうすぐ消滅するという人間の翻訳について」(https://note.com/aki0309/n/n1f05cb496913)が公開されていたけれども、もはや語学や地域のことをわざわざ時間と労力をかけて専門的に学ぶというインセンティブも働きにくければ、翻訳とか通訳の成果に対する期待値も相対的には下がっていくのは残念ながら明白で、そんな状況でタイ語を使ってわざわざ仕事をしようとまで思うようなひとは、基本的にはどうやっても減っていく、と思っている。
なので、最低限ぼくがやっている仕事くらいは見せられるだけ外に見せるというのが、タイ語をある程度専門的に勉強したうえでのアウトプットとかロールモデル(は大げさかもしれないが)の一例を見せることにもなるし、そういう勉強とか仕事が存在するということ自体の認知を高めることになるかもしれないし、それがぼくが自分のできることで社会やつぎの世代のひとたちに対してとれる責任のあり方かなと思ったりもするときがある。
まあもちろん特に通訳なんかで(やはりライブ通訳で「100%」やそれ以上の出来というのはどうしても難しいなと感じているし)、わざわざ「やりました」とか言って、本番で下手なミスをかましていれば炎上したりボコボコにされたりするリスクは永遠につきまとうわけだけど、べつにそれはぼくが背負えばいいことで、それでぼく自身の評判が下がったり仕事がなくなったりするのはぼくがなんとかすればいい(まあ、おまえが偉そうにしているせいでタイ語の仕事をするやつ全員に迷惑がかかっている、と言われてしまったらもはや返す言葉もないが)。それよりもこのまま時代の流れに乗っかってだんだんとだれもタイ語や(東南)アジアの言語や事情や文化を学ばなくなるほうがまずいのじゃないだろうか、とかずっと思っている。
もちろんタイ(語)についていうといまは空前のエンタメブームで、一昔まえと比べれば状況はまったく違っているけれども、これが永続的なものになるかどうかは、ぼくはまったくわからない。わからないのだけれども、現状でいくつか機会をいただけているうちに、自分がやれる形で種は撒かないといけないよね、とは思っている。ぼくだってもうすぐ40なので、そんなにいつまでもハイペースで働けるわけじゃなく(働きたいけれど)、少ないパイを守って自分が勝ち逃げすることばっかり考えてもしょうがない(といいつつまあ生活はできないと困ってしまうわけだが)。本当はプレイヤーではなくてパイを増やすところまでなんとかできないかなとも思うのだけれども。
写真をSNSに上げることひとつでなんのこっちゃ、という感じだが。最近はエンタメの仕事をしているというと軽薄だとか資本に身を売ったとか言われ、小説を翻訳したり文章を書いたりすると難しすぎて意味がわからない、馬鹿にしているのかとか言われるのでもうどうすりゃいいねんという気持ちにもなっているのだが、自分のできることは全部やるしかないし、自分のできることを増やしていくしかないですね、2025年も。