見出し画像

「双極性障害」から「双極症」へ ~なぜ、病気の名前は変更されるの?

長く浸透してきた名前が変わる背景には、何か大きな理由が必ずあるはずです。 

例えば、人の名前。そもそも、結婚や離婚以外で名前を変えた人に出会うことは非常に少ないですが、家庭裁判所に申立をすると、収入印紙800円ほどの費用で名前を変更できるそうです。

生まれたときに授かった名前は生涯の付き合いにもかかわらず、当然ですが、本人には選り好みがいっさいできません。良くも悪くも一心同体の存在です。しかし、世の中いろいろな事情がありますから、名前を変更できる法律があるというのは、せめてもの救いだと思います。 

歴史的な病名変更

人の名前が変えられるのですから、病気の名称だって変えられます。実際、過去を振り返ると名称が変更になった病気はそれなりの数に上るようです。その中でも特に社会的な問題になりよく知られているのは、次の3つではないでしょうか。

「ハンセン病」:1996年に「らい病」から変更

「統合失調症」:2002年に「精神分裂病」から変更

https://www.jspn.or.jp/modules/advocacy/index.php?content_id=58

「認知症」:2004年に「痴呆(ちほう)」から変更

3つとも変更に至った背景や事情はそれぞれ異なりますが、共通していえるのは、旧病名が持つ差別や偏見をなくし、病名が患者さんの社会生活の妨げとならないように、という願いが込められていることだと思います。

 「糖尿病」も変更の可能性が

意外に思われるかもしれませんが、糖尿病も病名変更の検討がなされている疾患の1つです。日本糖尿病協会のホームページ「糖尿病について、ご一緒に考えてみませんか?」によると

糖尿病に対する社会的偏見は、不正確な情報・知識に基づく誤った認識(ことば)により生じることが多く、病態を正確に表していない病名や、糖尿病医療で使われる不適切な用語の使用によるマイナスイメージの拡散により、糖尿病のある人は自らに非がないにもかかわらず、社会から負の烙印(スティグマ)を押されます。

そして、こうしたスティグマを放置すると、糖尿病であることを周囲に隠す→適切な治療の機会損失→重症化→医療費増→社会保障を脅かす、という悪循環に陥り、個から社会全体のレベルまで、様々な影響を及ぼすことになります。

とあります。

私の祖母は、私が生まれる前から糖尿病を患っていました。私が物心ついたころには、食前には自分で必ずインスリン注射を打ち、お正月などで親戚が集まりごちそうを囲んでも一人だけ厳しく食事制限をしていました。

いわばすごく身近に感じていた糖尿病ですが、日本糖尿病協会の活動を知るまで、私は糖尿病に対して自己管理が大変な病気ぐらいの認識しかありませんでした。病名が持つイメージと実際の症状の違いから社会的につらい思いをしている患者さんがたくさんいらっしゃることを、初めて知ったのです。

精神疾患名は「○○障害」から「○○症」に変更

精神疾患の病名も変更の動きがあります。2023年に日本語版が発行された『DSM-5-TR』(アメリカ精神医学会が作成している『精神疾患の診断・統計マニュアル』)の中で、多くの精神疾患名が「○○障害」から「○○症」に変更されました。

具体的には「〇〇disorder(ディスオーダー)」という英語の疾患名は、今まで「○○障害」と訳されていましたが、「○○症」になったのです。

「disorder」を「障害」ではなく、病気を意味する「症」と訳すことになったわけです。例えば、これまで「双極性障害」と訳されていた「bipolar disorder」は、「双極症」に変更になりました。

ちなみに、日本でも精神疾患の臨床や研究の場で多く用いられている『DSM-5-TR』ですが、末尾にある「TR」とは「Text Revision」の略語で、解説が改訂された「改訂版」という意味です。

病名変更が意味するもの

前述した歴史的な病名変更に比べて、邦訳が変更されたことに伴う病名変更では、何だか軽く感じられるかもしれません。

しかし、自分が診断された病名に「障害」という言葉があるだけで、一生治らないという絶望感や、障害のせいと何もかもをあきらめて、生きる楽しみをすべて我慢してしまう人もいるのではないでしょうか? 

私が編集を担当した『これだけは知っておきたい双極症 第3版』(2024年10月17日、翔泳社)の中で、著者の加藤忠史先生は双極症のこれまでの病名変更の経緯を振り返り、次のように書かれています。

双極症は、もともとは「躁うつ病」と呼ばれていました。うつ病とは違う病気なのに、混同されやすいため、「躁」と「うつ」の極端な症状を表すという意味で「双極性障害」と呼ぶようになりました。

しかし、「障害」という言葉が強い印象を与え、偏見をもたれてしまう場合があることに加え、患者さんの中にも「障害」という言葉にとらわれてしまう人がいないとも限りません。「自分は障害者になってしまったのだ」と結婚や仕事をあきらめたりして、自分の生き方を狭めてしまうのです。そこで、病名にとらわれないように「障害」を、病気を表す「症」という言葉にかえて(中略)「双極症」と訳されることになりました。

また、同じく私が編集した『もっと知りたい双極症 第2版』(2024年10月17日、翔泳社)の中では、このようにも書かれています。

ハンディキャップという意味の「障害」から、病気を表す「症」という言葉に変わることで、(中略)社会的な偏見がなくなり、より患者さんが生きやすい社会になることを願うばかりです。

 病名が変わっただけで一気にすべての問題が解決するわけではありません。一方で「痴呆」から病名が変わった「認知症」は、今では老化に伴い誰もがかかる病気として差別的な意識を持つ人は少なくなっているのではないでしょうか?

 精神疾患も病名変更を機に、患者さんに対して温かい気持ちを向けてくれる人がもっと増えることを願って、2冊の『双極症』(改訂版)の編集をしていました。「診療ガイドライン」の改訂に合わせて内容を刷新し、装丁も目を引くデザインに一新しました。ぜひ、お手にとってみてください!

 (編集部:倉橋)


よろしければスキやシェア、フォローをお願いします。これからもぜひ「翔泳社の福祉の本」をチェックしてください!