松崎

日芸映画/文芸誌 空地 主宰/ご連絡やご依頼はXのDMまでお願い致します

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記事一覧

映画『石がある』についてのメモワール

   最近作ったばかりのクレジットカードでチケットを買い、劇場についてチケットを確認し、鑑賞後にすぐ記録できるようにFilmarksにクリップしておいたのに、タイトルバ…

松崎
7日前
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近況 2024.8.7

 自主映画の撮影が始まった。撮影中に撮影しているものの話をするのは好きではないので、じぶんの内的な部分についてだけ書こうと思う。  撮影していると、生を実感する…

松崎
1か月前
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メモ・佐々木敦『成熟の喪失』を読んで

 佐々木敦の新刊『成熟の喪失─庵野秀明と”父”の崩壊─』を読み終えた。タイトルの通り、「成熟」についてエヴァンゲリオンで知られる庵野秀明の作品群と文芸批評家、江…

松崎
2か月前
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近況 2024.7.12

最近かなり落ち込む出来事がいくつかあって、それは個人的なレベルでも社会的なレベルでもなのだけど、でもそういう時でも生活というのはけっこう楽しく回る。  で、何が…

松崎
2か月前
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エリック・ロメール『海辺のポーリーヌ』論(あるいはスクリーンという「窓」について)

 映画というアートフォームにおいて、窓と鏡は重要なモチーフである。それらはどちらもスクリーンのメタファーだからだ。映画館の暗闇の中で光る四角い枠は、壁に取り付け…

松崎
2か月前
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保坂和志「コーリング」論〜ツイッター的な、あまりにツイッター的な。あるいは拡散する「私」について

 保坂和志の中篇「コーリング」(1994年)は、ひじょうに実験的な形式の小説である。この小説では「東京コーリング人材開発派遣センタア」に勤めている/いた浩二、美緒、…

松崎
4か月前
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【短篇小説】日々に殺されてしまいそうになるには鈍感ではなくて、

   日々に殺されてしまいそうになるには鈍感ではなくて、しかし、だからといってだれかと話したいと言うようなこともなくて、たぶんぼくはこのままゆっくりと鈍くなって…

松崎
4か月前
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カール・アンドレ展・あるいは生活と展示室、その間

 佐倉市のDIC川村美術館でカール・アンドレの個展『彫刻と詩、その間 Between Sculpture and Poetry』を見てきた。カール・アンドレ(1935-2024)はアメリカ生れの彫刻家…

松崎
4か月前
2

『悪は存在しない』と「カメラを置くこと」について

 濱口竜介の新作『悪は存在しない』をぼくは公開日に観た、Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下で観た、しかしル・シネマの予告篇はいつも長い。13時10分上映開始で15時10分終了…

松崎
4か月前
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「すべての夜を思いだす」ということ

すべての夜を思いだす、とはどういうことなのだろう? あるいはそんなことは可能なのだろうか? この映画のタイトルを目にしてだれもがまず思うだろう。まして、多摩ニュ…

松崎
6か月前
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『王国(あるいはその家について)』について(あるいは相対化と身体について)

最近、ゴダールばかり観ているので、ゴダールの話からはじめてしまうのだが、ゴダールはむちゃくちゃなことばかりやっているせいであまり目につかないが、実は単純かつ圧倒…

松崎
6か月前
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『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』について

『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』について  ゴダールの遺作である『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』において彼のソニマージュは凶暴とい…

松崎
7か月前
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【短篇小説】ハル、ヨル、メグル

 雨は今朝から降り続けていて、屋根から垂れてきた雨水が葉子の頬を伝って地面に落ちていった。 「電車来ないね」  葉子がつぶやく。あまりに小さなつぶやきだったので保…

松崎
10か月前
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映画『リコリス・ピザ』と社会化されない君とぼく(あるいは映画における「走る」ことについて)

●最近、映画において「走る」ことの意味について考えている。というのも、今年ものすごく夢中になった『リコリス・ピザ』がやたらと走る映画だったのと、こないだ『犬も食…

松崎
2年前
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映画『石がある』についてのメモワール

映画『石がある』についてのメモワール

 
 最近作ったばかりのクレジットカードでチケットを買い、劇場についてチケットを確認し、鑑賞後にすぐ記録できるようにFilmarksにクリップしておいたのに、タイトルバックが出るまでずっと、タイトルを『石を売る』とかんちがいしていた。だからその後も、石を売る話なのだろうと思って見つづけていて、加納土が小川あんに石を押し売るのだろうかと勝手に緊張してしまい、たしかに朴訥さがシュールにも恐怖にも見える

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近況 2024.8.7

近況 2024.8.7

 自主映画の撮影が始まった。撮影中に撮影しているものの話をするのは好きではないので、じぶんの内的な部分についてだけ書こうと思う。
 撮影していると、生を実感するのはやはりこういう時だけだな、と思う。カッコつけている訳でも、天才を装っている訳でもなく自然にそう思う。バイトの勤務毎に辞めるという選択肢が浮かぶ質だし、基本日記も筋トレも三日坊主なのだけれど、映画を撮るときだけは、本当に楽しいなとか今度は

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メモ・佐々木敦『成熟の喪失』を読んで

メモ・佐々木敦『成熟の喪失』を読んで

 佐々木敦の新刊『成熟の喪失─庵野秀明と”父”の崩壊─』を読み終えた。タイトルの通り、「成熟」についてエヴァンゲリオンで知られる庵野秀明の作品群と文芸批評家、江藤淳の歩みを絡めて論じた作品なのだが、いかにも佐々木敦的なアジテートされる文体と、颯爽と庵野や江藤の発言、彼らにまつわる言説を紐解きながら分析していく様は、平たく言ってしまえば「アツく」てすぐに読み終えてしまった。その熱量のまま、飛躍や誤読

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近況 2024.7.12

近況 2024.7.12

最近かなり落ち込む出来事がいくつかあって、それは個人的なレベルでも社会的なレベルでもなのだけど、でもそういう時でも生活というのはけっこう楽しく回る。
 で、何が楽しいのかといえば、食事とタバコと酒と映画と読書と買い物という平凡極まりないものなのだが、そういう生活の基本が(酒タバコが追加されたと言え)小六くらいからあんまり、というかほとんど変わっていないというのには、じぶんでも結構おどろく。
 休み

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エリック・ロメール『海辺のポーリーヌ』論(あるいはスクリーンという「窓」について)

エリック・ロメール『海辺のポーリーヌ』論(あるいはスクリーンという「窓」について)

 映画というアートフォームにおいて、窓と鏡は重要なモチーフである。それらはどちらもスクリーンのメタファーだからだ。映画館の暗闇の中で光る四角い枠は、壁に取り付けられた窓と類似しており、それと同時に観客であるわれわれを反映する鏡でもある。さらに言えば、そこに映しとられるものが現実とはいささかちがうものになってしまう、という意味でもスクリーンを表象している。映画とは現実の正確な反映ではない。それは結局

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保坂和志「コーリング」論〜ツイッター的な、あまりにツイッター的な。あるいは拡散する「私」について

保坂和志「コーリング」論〜ツイッター的な、あまりにツイッター的な。あるいは拡散する「私」について

 保坂和志の中篇「コーリング」(1994年)は、ひじょうに実験的な形式の小説である。この小説では「東京コーリング人材開発派遣センタア」に勤めている/いた浩二、美緒、恵子のある一日が視点を移動しながら描かれる。ことなる場所にいる人びとの一日を、語り手は半ば強引に横断しながら語っていく。

 このように、視点がフリーキーに移動していくのが、「コーリング」の特徴である。彼らに起こる出来事には何の連関もな

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【短篇小説】日々に殺されてしまいそうになるには鈍感ではなくて、

【短篇小説】日々に殺されてしまいそうになるには鈍感ではなくて、

 

 日々に殺されてしまいそうになるには鈍感ではなくて、しかし、だからといってだれかと話したいと言うようなこともなくて、たぶんぼくはこのままゆっくりと鈍くなってしまいたいのだろうけど、結局月曜の朝の満員電車の中ではふつうにイラついてしまうので、まあなんというか、イズムと行動というのは往々にして結びつかない。そんなとりとめもないことばかり考えているのは、明らかに昨日の夜の酒が頭の中に残っているから

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カール・アンドレ展・あるいは生活と展示室、その間

カール・アンドレ展・あるいは生活と展示室、その間

 佐倉市のDIC川村美術館でカール・アンドレの個展『彫刻と詩、その間 Between Sculpture and Poetry』を見てきた。カール・アンドレ(1935-2024)はアメリカ生れの彫刻家、詩人。ミニマル・アートを代表する作家のひとりで、今回が日本初の個展らしい。

 アンドレの作品は床に鉄板を並べてみたり、木材を積み上げてみたりといった物質がそのまま剥き出しになっているのが特徴で、だ

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『悪は存在しない』と「カメラを置くこと」について

『悪は存在しない』と「カメラを置くこと」について

 濱口竜介の新作『悪は存在しない』をぼくは公開日に観た、Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下で観た、しかしル・シネマの予告篇はいつも長い。13時10分上映開始で15時10分終了だったが、本篇は106分だったので14分も予告をやっていたことになる。たまにストーリーがほとんど分かってしまいそう、なくらい長い予告もある。今回は佐藤真という夭折したドキュメンタリー作家の特集上映の予告をやっていて、濱口竜介

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「すべての夜を思いだす」ということ

「すべての夜を思いだす」ということ

すべての夜を思いだす、とはどういうことなのだろう?
あるいはそんなことは可能なのだろうか?

この映画のタイトルを目にしてだれもがまず思うだろう。まして、多摩ニュータウンという狭くはないが決して、「すべて」とは言い難い場所を舞台としている映画のタイトルなのだから。しかし、ぼくらは時々、すべての夜を思い出したような、そういうきぶんになってしまう。それもまたたしかなことだと思う。

ニュータウンと関わ

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『王国(あるいはその家について)』について(あるいは相対化と身体について)

『王国(あるいはその家について)』について(あるいは相対化と身体について)

最近、ゴダールばかり観ているので、ゴダールの話からはじめてしまうのだが、ゴダールはむちゃくちゃなことばかりやっているせいであまり目につかないが、実は単純かつ圧倒的な「美しいショット」を撮れる映画作家だ──いや、正確にいえば映画作家だった。長篇でいえば2004年の『アワーミュージック』までで、「天国」パートの映像など、恋でもしたみたいにうっとりしてしまう。しかし、2010年の『ゴダール・ソシアリズム

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『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』について

『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』について

『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』について
 ゴダールの遺作である『ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争』において彼のソニマージュは凶暴といえるまでの有り様を見せている。

 佐々木敦は『ゴダール原論』の中で、「映像+音響=映画。実に単純な式。ただそれだけのことであり、ただそれだけのことを敢えて持ち出してみせたところにゴダールのラディカリズムの確信がある」と述べているが、今作

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【短篇小説】ハル、ヨル、メグル

【短篇小説】ハル、ヨル、メグル

 雨は今朝から降り続けていて、屋根から垂れてきた雨水が葉子の頬を伝って地面に落ちていった。
「電車来ないね」
 葉子がつぶやく。あまりに小さなつぶやきだったので保は、最初じぶんの気のせいだと思った。
「うん」
 ビルのむこうの曇天を眺めながら、何か言わないといけないような気がして
「この電車ってどこまでいくんだろう」
と、問いかけのような独り言のようなことを云う。
「荒川遊園」
「そっか。こどもの

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映画『リコリス・ピザ』と社会化されない君とぼく(あるいは映画における「走る」ことについて)

映画『リコリス・ピザ』と社会化されない君とぼく(あるいは映画における「走る」ことについて)

●最近、映画において「走る」ことの意味について考えている。というのも、今年ものすごく夢中になった『リコリス・ピザ』がやたらと走る映画だったのと、こないだ『犬も食わねどチャーリーは笑う』を観ていた時になぜ自分がリコリス・ピザにグッときたのかの理由がよく分かったからだ。ふたつの映画の映画的な「質」にはたいぶ差があるように思うし、チャーリーに関してはキネマ旬報に載っていた宇野維正の「全篇を通してうっすら

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