古文字あれこれ【トンパの世界】 「羌(きょう)」の古文字
こんにちは、書道玄海社・師範の加藤双涛です。
こちらでは、シリーズで「古代文字あれこれ」について綴っていきたいと思います。
今回は【トンパの世界】「羌(きょう)」の古文字についてです。
トンパ(東巴)文字は、中国の雲南(うんなん)省、ナシ(納西)族の伝統文化で、発祥の年代は不明ですが1000年以上にわたって使われてきた象形文字です。絵文字に近く、具体的で楽しい文字です。トンパとよばれる坊さんにより経典や宗教儀式(ナシ族の宗教、歴史、哲学、医学、芸術など)の記録として残されている文字です。
伝承によれば、ナシ族は古代中国の遊牧民「羌(きょう)」の末裔で、数千年前に追われて中国西北の周縁部から南下し、四川の木里を経て雲南のロコ湖、麗江などに定住したといいます。明代には、領主の木氏が中国王朝から土司を拝命し、漢族の官吏や兵士、文人、商人を大量に受け入れて積極的に漢文化を吸収し、民族の文化にとりいれました。また麗江はチベットとの茶馬交易の基地としても栄え、石畳の小道に沿って伝統的な木造民家が並び、水路がめぐる古城は1997年にユネスコの世界遺産に登録されました。
(松岡正子 『清代民族図誌』にみる“古代「羌」の末裔たち”)
チャン族(四川省居住の羌族)(ウィキペディアより)
羌族は、甲骨文字の時代に「帝は惟(こ)れ茲(こ)の邑(むら)を寵(めぐ)まれんか。光(こう)より羌芻(すう)五十を氐(いた)す」( “光”というくにから羌芻50人を貢納してきた)と記されているように、商(殷)王朝などと戦って捕らえられた羌人は人身御供、つまり祭祀の生贄(いけにえ)とされていたといわれます。
羌の古文字は、羊頭の人の形に由来します。西戎(せいじゅう)の一つとされる羌人は、牧羊族であり、古く羊頭神の信仰をもっていたそうです(白川静「字統」より)。数千年前に追われて中国西北の周縁部から南下し、四川の木里を経て雲南のロコ湖、麗江(れいこう)などに定住したといわれています。
後漢末期(198年頃)の羌族の位置(ウィキペディアより)
その末裔のナシ族の多くは、西と東を結ぶ商人だったそうです。チベットと中国とを股にかけて長く旅をしていることが多く、留守を預かっていたのは女性たちでした。彼女らは日々の生活に必要な仕事のすべてを担当し、農作業から家事子育てまですべてをこなしていました。
“かあちゃんは虎のごとく強い”
ナシ族は女性の力が強いといわれます。男は商売で出歩き不在がちのためともいわれ、とにかく女性は勤勉で能力が高く、虎のごとく強いといわれます。なかでもおばあちゃんの力が強いといいます。
ナシ族の住まいは、庭を囲むように主屋、経堂、居住棟、畜舎からなり、主屋は、祖母の寝室があり、未成年の子どもは必ず祖母部屋に住み、各家庭での祭事や大切な決定はすべて祖母部屋で行われるといいます。漢文化の影響で変わってきていますが、一部の地域では、今でも祖母部屋があるそうです。商店街の店主は女性が多く、物事の決定も女性が主体となっています。
麗江商店の一つ(筆者撮影2004年)
トンパは貧乏
トンパは、ナシ族の原始宗教であるトンパ教の祭司のことで、「賢者」を意味します。厄除け、お祓い、先祖を祭る祭典、死者を鎮める儀式など、日本の神主と坊さんを合わせたようなものですが、様々な技術や知識をもつ知識人でもあり、読経はもちろんのこと、絵画・工芸に秀で、占い(占星術、紐占い、骨占い)や天文、医療活動も行うとされています。
トンパが儀式に用いる紙を彩色・加工した祭具は、時に2m以上もの大きさになります。
人々の生活や精神活動にも深くかかわり、社会的地位も高く、今でもナシ族の人々は「今日は出かけても良い日なのか」などといったことをトンパに相談して決めているともいわれます。
トンパは、一子相伝、男子のみに受け継がれています。祭司になるためには十数年の修行を必要とし、普段は農業などの普通の生活をし、並行してトンパとしての活動を行います。ただ占いなどをしてもお金を受け取ることはせず、お金に関わったり、商売することを「恥」としているため、「金持ちになりたければトンパの修行はするな」ともいわれています。
トンパ教は7世紀ごろに出現したとされています。当時ナシ族は遊牧民で定住することはなく、雲南省に定住したのは10世紀ごろとされています。トンパ教を広めるために文字が必要とされ、トンパ文字が誕生したのではないかと考えられています。
老トンパ(90歳) (筆者撮影 2004年)
トンパ教は、雲南省麗江市を中心に居住する、人口約32万人の少数民族・ナシ族独自の宗教で、その経典には「シュ」という神が登場します。多神教であるトンパ教の中にはさまざまな神が存在し、万物に精霊が宿るとされます。神から悪霊まで、名前を挙げると1500を超えるそうです。その中でも「シュ」は自然界の主宰者であり、日本における八百万の神のように、あらゆる場所にシュが宿っているとされます。イメージとしては、人間の体と蛇の尾を持つ神です。頭が蛙や馬、虎、牛、ヤク、水怪、象、鹿のものなども存在します。
「そうしたシュが、至るところにいる。たとえば、天には99のシュがおり、地には77のシュがいる。山には55のシュ、谷には33のシュ、村には11のシュ……他にも海(湖)のシュ、崖のシュ、雲のシュ、風のシュ、川のシュ、泉のシュ、坂のシュ、草原のシュ、石のシュ、木のシュなど、枚挙にいとまがありません。」
(國學院大学 文学部外国語文化学科 黒澤直道教授による。 下の写真も黒沢教授による)
シュの宿る澄んだ泉には、線香の煙が絶えることがない。廸慶チベット族自治州内のナシ族居住地にて(平成31(2019)年8月)
ナシ族の生活
雲南省麗江県は標高2400mの山岳部にあります。空港が利用できない時代は、省都昆明から車で20時間もかかりました。麗江県は少数民族ナシ族の自治区となっています。ほかにチベット族、タイ族、リス族、イ族など11の少数民族が住んでいます。
木造の民家、用水路、石畳など暮らしぶりは400年前と変わらないのが特徴ですが、古いだけでなく合理的で、例えば用水路を上手に使い、山の澄んだ雪解け水を町の家々の前まで100%、ポンプなどの機械を使わずに引いています。用水路は時間差利用が徹底し、朝は飲用水や料理用の水を汲み、昼には洗濯が始まり、夜になると家庭の汚水や廃水を流します。
ナシ族の生活や習慣は、日本のそれとよく似ています。ナシ族の住宅は、丸太づくりで屋根は杉板葺きか瓦葺きです。わさび畑、うどんにそば、こんにゃく、里芋、漬物、梅酒、松茸。赤米を赤飯として祝う、餅をつく、お汁粉や納豆まで共通しています。
町を歩くと、軒先にトウガラシや柿、カンピョウ、大根などが干してある農家が見られ、そばやうどんの食べ方は、しょうゆ、塩、ねぎ、トウガラシで味をつける。釜揚げうどんやかけそばもあるといいます(王超鷹「トンパ文字」マール社)。
アフリカからの民族大移動の流れの中で、羌族への系統の源流過程で日本への流れが分岐した可能性が考えられるという、日本のルーツに関する学説もあります。
民族衣装を着た女性(ウィキペディアより)
麗江古城の運河(ウィキペディアより)
トンパ文字の例と読み方
トンパ文字の文章は、絵文字を並べたようなものですし、文字によっては、いくつか複数の解釈が可能ですから、江戸時代の判じ絵のように、読む人によって読み方が変わる可能性もあります。いくつか例を上げてみます。
①象形:物の形をかたどって素朴な表現方法で字形を作る。左から順に 木、鳥、馬、蛙
②指事:数量や位置、状態などの抽象的概念を字形に表す。
左から順に 高い、上、時、中心
③形声:音を表す音符と意味を表す意符を合わせて字を作る。
左から順に 家・村落、音符(be音)、村落・be音
④会意:二字以上のトンパ文字を組み合わせて、同時にそれぞれの意味をも合わせて新しい意味を表すトンパ文字。左から順に 家族、嫁、睡眠、放牧
⑤転注:あるトンパ文字の本来の意義に別の要素を加えて、他の近似した意義に転用すること。 左から順に 太陽、光線、雲が太陽を遮る
⑥仮借:ある語を表すトンパ文字がない場合、その語の意味とは無関係の別の同音・類字音のトンパ文字を借用する。左から順に 火→下、鬼→細、石→暖
⑦黒字:文字に黒で塗り付け、物の色状態が黒であることを表す字である。大、毒、悪い、暗黒、鬼、身分が低いなどを表す場合にも使われ、不吉な意味合いから、黒に修飾された文字には多くの場合は悪い意味がある。左から順に ナシ族→大、巨石→大、毒鬼→毒
⑧色字:色を使って文字の意味を補うこと。赤:情熱的、優しい、黄:社会地位高い、青:敦厚を表す。
(「トンパ文字の構造原理とビジュアル•・コミュニケーションデザインに関する研究」黄國賓ら、神 戸 芸 術 工 科 大 学 紀 要「 芸 術 工 学 2 0 1 4 」 ( 共 同 研 究 )より)
トンパ文字の例と読み方 その2
上図は「母」、「花」という字ですが、「花」は美しいという意味ももっていますから、「母」の近くに「花」という字が置かれると、「美しい母」という意味をもってきます。
トンパ文字の文章を読むときに、人によって字の組合せが変わりますし、字によってはいくつかの意味をもっていますから、読む人によって文章の意味は変わる可能性をもっています。
上図はトンパのことわざです。意味は「高い崖に登らなければ崖の上の蜂蜜は得られない」です。
これを分解した説明の図を次に示します。
”崖”と”高い”で”高い崖”、 否定の”不”と”登”と”大”で”高いところまで登らなければ”の意味となります。次に”崖”と”蜂”で”崖の上の蜂蜜”を意味し、”得る”と否定の”不”で”得られない”となります。最後の”塔”の意味はよくわかりませんが、”到底”といった副詞の役割をもっているのかもしれません。
次の作品は、三上栖蘭先生の「元気」(2017年有秀展)という小品で、トンパ文字の”元気”というのを作品とされたものです。
次に加藤松雲先生の「金婚」~結婚50年長き道のりを思う~という小品です(2017年有秀展)
下図の「金」と「私たち二人」という二文字の組合せです。
次は筆者の小作品「時空誕生」です。
「天地開闢」と「時」とを合わせたもので、現在の天文学での宇宙のはじまりは、時間と空間が同時に誕生したとされています。これを表現するために、「天地開闢」の文字の中に「時」を入れ込んだ形にしてみました。表装の軸は、雲南省の現地で購入した図柄を用いました。
最後に、フランシスコ・ザビエルのキリスト教布教での苦労を紹介した「侍とキリスト」(2017年)という筆者の作品を紹介します。
釈文を以下に示します。