男の過半数には人を愛する能力がない
俺は女のひとと付き合っていて、このひとを幸せにしてあげたいと思ったことがなかったのだと思う。
いつだって、ちょっとしたことで傷付けることになるんだろうし、これからだって、深く傷付けてしまうことがあるんだろうと思っていた。
相手が幸せそうにしてくれていても、幸せを感じられるような扱いを自分がしてあげられていることはわかっていたから、それについては満足していたけれど、だからといって、自分はこのひとを幸せにしてあげられるひとなのだというような気分になったこともないし、ずっと自分のそばで幸せそうにしていてほしいと思ったりすることもなかった。
きっと、俺には幸せにしてあげたいという気持ちがないのだろう。
自分がそばにいることで相手が幸せになれるということは理解できても、それは相手が俺といることに幸せを感じているだけで、自分の相手への感情によって相手の中に幸せが生み出されているとは感じていなかった。
幸せは自分が自分で幸せだと感じるものであって、ひとに与えてもらえるものではないと思っていた。
けれど、俺が幸せにしてあげていると思っていなかったせいで、俺は目の前で幸せそうにしてくれている相手に対して、これからも幸せにしてあげたいし、もっと自分と一緒にいて幸せになってもらいたいというようなことを思えなかったということなのだろう。
世間で言われているような、金を稼いで家族を養って父親として家族を幸せにしてやれて初めて一人前の男だというようなことも、俺には全くぴんとこないままだった。
幸せにしてやる、という物言いからして理解できなかったのだろう。
けれど、今となっては、幸せにしてやれるものだと思っていないから、幸せにしてあげたいと思えなかったのもあったのだろうと思う。
それ以外にも、結婚して守るべきものができると男は強くなるとか、そういう話もよくわからなかった。
自分ひとりなら嫌になったら投げ出せばいいけれど、家族ができるとそういうわけにもいかなくなるから、覚悟を決めてここでやっていくしかないと思えて本気になれるとか、そういうことなのだろう。
けれど、それくらいのことなら、迷惑をかけたくない相手がいるとか、格好悪いところを見せたくない相手とか、がっかりさせたくない相手がいると怠けられないとか、その程度の気持ちと大差がないのだろうし、家族への愛がどうとかということでもないんじゃないかと思っていた。
本人に自覚がないだけで、家族のために犠牲になっているというヒロイズムに浸ることで、家族を養えている自分にうれしくなろうとしているというのが実際のところで、かといって、そういう思い込みなしには他人の幸せを自分のおかげだと思ったりできないひともいるということなのだろうなと思ってきた。
世間の男が自分で愛情だと思っているような感情が俺には全般的によくわからなかったのだ。
俺は幸せな子供時代を送ったけれど、それは両親がたくさんかまってくれて、全く嫌なことをされなかったことで、心から安心していられたからだと思っていた。
幸せにしてあげるというのは、相手が自分で幸せになるのを邪魔しないことで、相手が幸せな気持ちになれていることを一緒に喜んであげることなのだとか、いつの間にかそんなふうに思うようになっていたから、旦那とか父親として、金を稼いで、たまに遊びに連れて行って、たまに息子とキャッチボールしたりとか、それで幸せにしてあげている気になっていたり、それで自分に愛情があると思っているというのが、そもそも不思議だったりしていたのかもしれない。
かといって、そういう一人前の男になるために他人を幸せにしてあげたいという愛情が俺にはなかったとして、俺には別の愛情があって、その愛情によって誰かを幸せにしてあげたいと思ってきたわけではなかったのだ。
俺が両親にしてもらったように、自分の子供のことを見守ってあげて、自分に向かって何か言ってくれたときに気持ちに気持ちで反応してあげたいとは思っていたけれど、俺はそれ以上に何かを思っていなかったのかもしれない。
恋人に対しても、面と向かっているときに、ちゃんと気持ちに気持ちで反応してあげたいと思っているだけで、相手が幸せそうにしていたら、よかったねという顔を向けているだけだった。
そうすると、俺には目の前の相手を幸せにしてあげたいという衝動を生み出すような愛情がなかったということになるのかもしれないし、それならば、たいしてまともな愛情じゃなかったとしても、一人前の男として、養ってやって、面倒を見てやって、何かあったら守ってやって、幸せにしてやりたいとでも思っている方がマシだったということになるのかもしれない。
男には愛情がないというようなことはよく言われることではあるけれど、それはそれなりに本当のことなんだろうと思う。
過半数の男には、愛情という言葉があてはまるくらいの、他人を思いやるような感情はないのだろう。
大半の男は、徹底的に自分本位にしか他人と関わることができない。
もちろん、男にも自分の手下をかわいがるような愛情はあるのだろう。
世話を焼いてくことで情が湧くというのもあるのだと思う。
当然それは自分のものであることについての愛情だから、とてもいいものであれば、大事にしまっておきながら、ちょくちょくそれを取り出して撫でていたりするかもしれないけれど、そうでもなければ、手に入ってすぐは傷が付かないように丁寧に扱って、汚れたらすぐきれいにしたりしているけれど、少し慣れてくるととたんに扱いも荒くなって、そのうちに飽きていってしまう。
それは友達でも恋人でも同じだろう。
いいものだと思って手に入れて、いいものだと思っている間はとても大事にしてかわいがるけれど、実はそれほどいいものではないように思い始めると、急にぞんざいに扱ったり、早く手放したい気分になったりする男はいくらでもいるのだろうけれど、それは相手のことを自分の持ち物のように思っていることでそうなる振る舞いなのだ。
もちろん、女のひとでも所有物のようにして友達や恋人をとらえて、手に入ったうれしさとか新鮮さを消費してすぐ飽きてしまうようなひとはいるのだろう。
けれど、女のひとの一割とか二割くらいは、女のひとの多くからして女らしくないのだし、そうじゃない女のひともいるという話はあまり意味がないからしてもしょうがないのだろう。
多くの場合、女のひとは恋人を自分の所有物のように扱う感覚は薄くて、そのひとを好きな自分をいい自分にしておきたいというモチベーションで恋愛を楽しんでいるんじゃないかと思う。
もしくは、そのひとのそのひとらしさを見守って、それをかわいく思ったり、頼もしく思ったりすることを楽しんでいたりとか、もっと相手主体な感情が恋愛の中心になっているんじゃないかと思う。
所有物への愛情と、他者や隣人への愛情というのは全く別のものなのだろう。
他者への愛情ということでは、自分に懐いてくれているものしか愛せないのなら、それは愛ではないのだし、そうすると、男には愛情がないというのは全般的にかなりあてはまってしまうのだろう。
特に、他人の人格に興味がないし、ひとの気持ちもまともに感じていないような、男の過半数くらいが該当するようなタイプの男たちには、男は愛情なんて感じていないというのは、まるっきりあてはまる表現になってしまうのだと思う。
そういう愛情のない男たちは、自分の頭の中のポルノの領域でしか、その女のひとがどういう女のひとであるのかということに興味がない場合が多いのだろう。
俺は表情の動き方がかわいくて、話していて楽しければ、見た目や体型は気にならなかったから、多くのひとからどちらかといえば不美人だと思われているようなひとも好きになってきたし、ダサいひとも好きになってきたし、太っているひととも何も思わずセックスしてきたけれど、過半数をはるかに超える男は、相手の見た目や肉体的な性質が自分を興奮させてくれるかどうかを異様に重視していて、自分の頭の中のポルノにうまく当てはまってくれない、自分を興奮させない女のひとを無価値な存在だと思って、視界に入ってこられることにすら不快感を持っていたりする。
そういう男が他に女のひとに何かを思うとすれば、見た目がいいとか、料理が上手いとか、そういうひとに自慢できるようなところがあるかどうかなのだろう。
それにしたって、自慢できるものを自分が持っているイメージに頭の中でうっとりしているわけで、頭の中のポルノをなぞってくれるものを欲しているということでは似たようなことなのだろう。
逆に、そういう男たちは、付き合っている相手としての女のひとには、人間としてどういうひとであってほしいというようなことは、たいして何も思っていないのだと思う。
もちろん、自分にやりたいことがあるときには、とにかく自分の邪魔をできるだけしないでほしいとは思っているのだろう。
けれど、それ以外は、自分を求めてくれて、自分にしてほしいことを伝えてくれて、それをしてあげたら喜んでくれて、一緒にいてあげられてよかったなと思わせてくれれば充分なのだと思う。
一緒にいていい気になっていられればそれでいいというだけで、相手がどういう人間であるのかということには興味を持っていないのだし、そうなのだとしたら、そこには明らかに他者への愛情はないだろう。
男が愛情がないのは女のひとに対してだけのことだけではないのだ。
男は身内ではない他人に対してまともに優しさを持って接することができないひとがとてつもなく多い。
そういう男たちが人間的な感情を持って接することができるのは、仲間意識とか、仲間内の上下関係とか、仁義とか兄弟愛的なもので結びつけている関係の中だけなのだろう。
ひとに優しくしているようなひとでも、実際は身内にしか優しくないというのは、女のひとでも多いけれど、単純に人間としてどうなのかという感じだろう。
けれど、男の場合は、身内に対しても、優しくしなくても関係が成り立つ相手には攻撃的に振る舞う無神経なモラハラ男が大量にいる。
だから、身内に身内だから優しくするだけのわざとらしい男でも、身内に優しければそれで充分じゃないかと、世間的には優しい男という扱いになっていることが多いのだろう。
身内への優しさがまともな優しさではないというのは、それが他人に優しくなるための人生経験になっていないことからもわかるだろう。
身内に優しくしたり、ほめたり、ねぎらったりしていても、それは集団内の自分の価値を高めたり、集団内のポジションを相手と確かめ合うための行為でしかない場合も多い。
だから、いい先輩やかわいい部下は演じられても、よく知らないひとにはどう振る舞えばいいのかわからない男がたくさんいるのだ。
付き合う前の相手には、探り探りそれっぽく振る舞うけれど、付き合うことになったり、結婚した相手には、何も考えずに接するようになって、相手を自分より下だと思っている場合は、急に横柄な態度をとるようになったり、もしくは、急に横柄な自分勝手なかわいがり方をしてくるようになるような男というのも、パターンでしか行動していないことでそうなっているのだろう。
それは関係性を通してしか優しくできないということなのだろう。
ひとりの人間とひとりの人間として、気持ちを感じ合っている中で、優しくしたい気持ちになったから優しくするというような、当たり前の対等さの感覚が働いている瞬間が男にはほとんどないのだ。
そんなにまでも自分の集団内のポジションのことでしか動いていないということだし、それはつまり、愛情をモチベーションに行動している瞬間なんてほとんどないということなのだ。
男全般として見るなら、男の愛情とか、男の家族への愛情とはそういうものなのだ。
自分が家族をうまくやれているのかどうかということが中心で、家族それぞれの人格にも、家族それぞれの気持ちにも興味はないのだ。
そういうことはどうでもいいから、自分がやってあげたことに喜んでくれて、自分のことを尊重してくれていればいいとしか思っていないのだろうし、実際、だんだん変わってきているとはいえ、世間の父親のイメージというのはたいていそういうものだろう。
もちろん、そういう愛だとしても、愛してはいるのだろう。
何よりも君と子供が大事だよ、というように男が言ったとき、それが嘘ではないことも多いのだと思う。
実際に家族よりも大事なものがない場合も多いのだ。
けれど、一番大事だからって、なるべく自分をいい気分でいさせてくれとしか思っていなかったりするのだ。
そして、子供もある程度の歳になって、子供が無邪気に自分にじゃれついてくれなくなったり、奥さんから男として求められている感覚がなくなってしまったりすれば、他のものと比べたときには一番大事なものに思えるからといってまるっきりどうでもいいし、家族に何かあればどうにかするし、必要があれば何でもする気ではいるけれど、かといって、別に家族がどうなろうがどうでもいいというのが本心になってしまう。
家族といても、毎日自然と心からの笑顔を子供とか奥さんと向け合っているわけではなくなってしまったおじさんというのは、自分では家族を愛していると思っていても、そういう所有物への執着と、社会欲ベースの責任感と、共有された思い出くらいでしか構成されていない愛情しか持っていないのだろう。
そういうおじさんたちは、自分が家族から不必要だと言われて、もう二度と関わりたくないと言われたとしても、だったらそれで仕方がないとしか思えなくて、すがりつくことなんてできないのだと思う。
心底から家族のことを自分の所有物のように思っているひとは、所有物や既得権益を奪われることに反撃しようとするのだろうけれど、そういう気持ちが湧かない場合は、人格と人格のつながりなんてなくて、その集団内での自分がうまくやれているかどうかということが家族への感情の実体だから、自分を受け入れてくれなかったひとたちから早く離れたいというばかりで、すがりつくほどの感情は浮かばないのだろう。
そういうおじさんにとっては、そうなったとしても愛情とか人生の問題ではなく、プライドの問題にしかならないのだ。
それは家族関係が冷えたものになってしまったことで投げやりな気持ちになったということではないのだと思う。
もともと新婚で毎日楽しくやっているときですら、相手の人格なんて感じていなかったのだ。
自分がいい気分でいられたらいいとしか感じていないから、それなりに長い時間を一緒に過ごしても、気持ちのつながりや、お互いの気持ちを受け止めあった経験を蓄積したからこその信頼感みたいなものはできていかなくて、そうしたときには、関係が冷えてしまったあとには、責任感とプライドでつなぎ止められているだけの、剥き出しのどうでもよさだけがお互いの間に横たわった関係性になってしまうのだ。
(続き)
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