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生まれつきの知的能力と、お勉強と、知識集約型産業で働くための能力と

(こちらの記事の続きとなります)

まだ今の時点では、子供が東大に行った親の書いた子育て法について本が多くのひとに読まれたり、どういうふうな幼児教育が子供の脳を発達させるとか、勉強させる習慣を子供につけさせるために親はどうするべきなのかという記事もたくさん作られている。

勉強しないと損するかのような世の中なのだから、親たちが子供に勉強させようとするのは当然なのだろう。

けれど、そもそも生まれつきの知的能力がないと、そういう方向性で望むような成果を上げることはできなかったりするということは、まだ一般的にははっきりと認識されていないのだろう。

頑張ればできるはずだと思われているのだろうし、いろんな子育て論を頼りに、子供には勉強できるひとになって、金持ち側の生活をしてほしいと真剣に願っているひとがたくさんいるのだろう。

親自身ができるかぎり金持ち側の生活をしたいというくらいしか自分の生活に望んでいることがないのだから、子供に望むこともそれくらいしかないのは当然なのだろう。

けれど、生まれながらに勉強に適性がない場合があるのだから、その事実はもっと認知されて、適性がなさそうなら勉強で成果をあげにくいことをちゃんと認めてあげて、そうだとしてどういうことをやれるようになっていきたいのかということを一緒に考えてあげるべきなのだろう。

子供が勉強を楽しんでいたり、いい成績を取れていて、ほめられることにうれしそうにしているのなら、そもそも知識を習得したり、知的な作業を頭ですることに快感があるのだろうし、相対的にどこまで知的能力が高まるのかは別にして、それなりに勉強に向いているということなのだろうし、そのままやらせてあげればいいし、勉強に打ち込める環境を与えてあげればいいのだろう。

けれど、親が望んでやらせてあげたけれど周囲よりもできないし、本人も苦痛が強そうなら、子供の間はやらせれば従順にやりはするだろうけれど、楽しくもないことをやらされているわりにほめてももらえない自分に、その子も傷付いていくだろう。

ストレスにさらされ続けて気持ちも荒んでいくだろうし、そんな状況に自分を押し込め続ける親に対して恨みを持つようにもなる。

そして、何よりも、頑張ってもたいしてできるようにならなかった頭の悪い自分というネガティブな自己イメージを抱えてその後の人生を送らなくてはいけなくなる。

もちろん、低学歴世帯の子供が勉強しても無駄だとかそういうことではないのだ。

親が知的能力が低くても、子供はそれよりもだいぶんそういう能力が高かったということはいくらでもあるのだろう。

そもそも親は全く勉強しなかっただけで、知的能力自体は高かった場合というのもかなりあるのだろう。

やらせてみないとわからないから、みんなとりあえずはやらせてみるのだろうし、あからさまにどうしようもない場合は親も早めに諦めるのだろうけれど、なまじっか勉強しているおかげで平均よりはできるくらいになってしまうと、勘違いしたまま、実際には適性がなくて、そこから大人になっていくまでに多くのひとにあっさりと追い抜かれていくばかりになる領域の訓練にたくさんの時間を費やしてしまうという不幸な人生になってしまうのだ。

もちろん、どの程度までしか自分のポテンシャルでは届かないのかというのはわからないことだし、それをやっていても勝者にはなれないとしても、だからといって、そのひとが他にもっと周囲のひとより適性のある領域なんて、特になかったりする場合の方が多いのだろう。

計算能力とか、記憶力とか、空間把握能力とか、人間の能力の種類は人間の数ほどにない、というか、国の数ほどもないくらいなのだろう。

そして、昔の百姓なら村一番くらいで充分にそれで周囲に大きな顔ができただろうけれど、現代社会では、仕事によっては町内一くらいでは商売にもならなかったりする。

もちろん、多くのひとは自分の能力ひとつで生きていくわけではなく、会社に入ってまわりを見ながら仕事をするのだし、自分で商売をするにも先輩や周囲の同業者がどうやっているのか仕事をするわけで、そうしたときには、特定の能力というよりは、そのひとの人柄によって仕事が成り立っていく面の方が大きかったりするし、仕事によるとはいえ、生まれつきの知的能力と仕事の能力は直結するわけでもないのだ。

けれど、知的能力によって所得階層が分断していくというのはそれ以前のことだったりもする。

知的能力が平均程度だと、弁護士だとか国家資格が必要な仕事にはもちろんつけないし、キャリア官僚の試験も突破しようがないのは当然だろう。

テクノロジー系や医学系とかバイオ系なんかの理系の領域で技術者として働くのだってもちろん不可能なのだろうし、そういう業界で働くだけでも、技術者とやり取りをして仕事を進めていくのに必要な業務知識を身に付けていくのが難しかったりするのだろう。

ある程度の知的能力があって、ひとまとまりの情報を体系的に身に付ける訓練をしてきていないと、専門知識を使って研究する以前に、専門知識を理解する土台となる基礎的な知識の蓄積というところまでいけないのだ。

自分の人生を振り返ってみても、自分にしても、友達とか同じクラスだったひとたちにしても、みんな確かにそんなふうに知的な適性によって就く仕事が違って、そして、単純に業種によって収入が違う人生を送っていた。

俺は大学を出てからフリーターをして、バイト先に社員になるかと言われてサラリーマンになったけれど、俺自身がそんな感じだったから、俺が仲がよかったひとたちにはフリーターだったひとがけっこう多くいた。

そして、フリーターから就職しようとしても苦労して、なかなか正社員になれなかったり、社員になるにしても給料が少なかったりする場合も多かった。

そして、自分が比較的給料をもらえるサラリーマンになってまわりを見渡してみると、世の中にはいろんなひとがいるのに、自分の会社でまわりにいるひとたちにはずいぶんとバリエーションが少なかった。

そして、フリーターをやっていた自分の友達のことを思ったときに、どのひとにしても、俺がいた職場にいるひとたちとは馴染まないし、俺は未経験からコーディングのバイトをしていた会社で社員になったけれど、友達のどのひとにしろ、未経験であまり誰も教えてくれない環境で、やったことのないことを自分で調べながらこなしていくように働いて、プログラミングのようなことができるようになっていったりはしないだろうなと思ったし、賢い感じの喋り方をするひとたちと会議でああだこうだ自分の言いたいことを伝えていくようなことも難しいだろうなと思った。

俺がやっていた仕事も、ある程度以上にその仕事に必要な知識を蓄積していって、同僚や顧客とその知識を使って仕事の会話ができないとやっていけないものだった。

そのある程度以上というのが大きい仕事があって、その程度が高いほど給料の高い仕事になっているのだろう。

そして、当たり前だけれど、それはたまたま学生時代に勉強したかどうかで決まるわけではなく、そもそもそういう領域の知的能力の使い方に適性のあるひとと、あまり適性のないひとがいるのだ。

そして、ある程度そういう知識を頭に入れられはして、その職種で働けなくはなくても、その職種の高いレベルではやっていけない知的能力のレベルというのもある。

学生時代の勉強はどうにかなって、そういう仕事に就くことができても、自分のレベルより高いところにもぐりこめてしまったときには、出来がまわりよりも悪いことですぐにはじき出されることになってしまうのだ。

俺の場合、やってみたら人並み以上くらいにはできたという程度だけれど、情報処理系の知的労働と顧客折衝とか仕事の指示に関する会話とか文書作成とか言語系の対人労働のミックスみたいな仕事にすんなりと入っていけた。

理系ではなかったし、数学も苦手だったし、物理のような公式を覚えてそれを使って問題を解くという形式のテストも苦手だったし、自分はそういうものには向いていないイメージだったけれど、それほどプログラムとして高度なものを作成することは要求されず、決まったやり方を当てはめてプログラミングすればいいという、技術者というよりはサラリーマン的なプログラマーだったから、なんとかなったというのはあったのだろう。

サラリーマンレベルのプログラムは、ある程度攻略法がわかったゲームで最短クリアを目指してひたすら早くやっつけられるように集中するみたいな快適さがあった。

もちろん、そんなゲームをしていても、技術者として成長できないし、どうしたもんかなと思ってはいた。

とはいえ、それくらいなら、勉強や積み重ねもなく、仕事中に仕事を頑張るくらいですんなりとはできた。

そして、顧客折衝とか社内調整とか、資料を作って話し合うというのは、平均よりだいぶんできていたんだろうけれど、それは社会人になるまでに、それなりに人前であれこれ自分の考えを話したり、ひとに指示を出したり、納得してもらえるように話し合ったりということをやっていたからというのはあるのだろう。

そして、それにしても、大学時代とか、そういうことをやり始めた最初から、人並みよりはできていたんだろうなと思う。

けれど、それがどれくらい遺伝的なものだったのだろうとも思う。

俺の遺伝子のもとである俺の両親は、俺がやっていたような仕事ができるようなひとたちだったんだろうかと思ったときに、自分程度にできるということはないんだろうと思う。

父親は適性的にできなくはないんだろうけれど、数字にも俺以上に弱そうだし、対人的な能力も、対等以上の相手にも意見を通していけるような話し方ができるわけではなさそうだなと思う。

母親の方は、対人能力はそれなりにあるし、それなりに高度な交渉でもしっかりできそうな気はするけれど、数字や情報処理の適性的には無理っぽいように思えた。

そういう違いはどういうところからきたんだろうなと思う。

俺は高卒で公務員試験に合格して、ほとんど勉強しないなりに夜間で大卒した父親と、栄養短大を出た母親の子供で、その両親からすれば高学歴とみなせるような大学に俺は行ったことになる。

けれど、俺は大学で全く勉強しなかったわけではないにしろ、社会人になって仕事をするときに必要な能力が大学での勉強の中で向上したような認識はない。

それはどういう教育を受けたかの違いではないんだろうなと思う。

俺は自分の親に比べれば、勉強するのに消極的な子供や若者ではなかったし、それは大人になってからもそうだったろうし、仕事をしている最中にしてもそうだったのだろうし、そういうところの差が一番大きかったのだろうとは思う。

俺はなんとなく勉強をある程度する小学校高学年と中学高校時代を過ごした。

小学校高学年の勉強はたまたまだった。

共稼ぎだったし、家にずっとひとりでいてもよくないと、学習塾に週三くらい行っていたけれど、そこで同じクラスの男の子と仲が悪くなって、相手の方が身体も大きかったりで叩かれたりとかもあって、けっこう嫌になっていて、その頃学校で仲がよかった子が行っている塾に行きたいと言ったら、そこがたまたま中学受験用の学習塾だった。

中学受験するつもりもなかったから、適当に宿題くらいはなんとかやるくらいで塾生活をこなしていたけれど、受験の時期が近付いてきたときに、偏差値五〇くらいのところでも受験できなくはないし、受けたかったら受けてもいいということで、受験してみて、行きたかったら行ってもいいということで、男子校の方がいいと思って、行かせてもらった感じだった。

中学に入ってからは、もともとさほど運動神経がいいわけでもない上に背が低いのもあって、少年団野球レベルでも小学校六年生くらいで一部の子が身体が大きくなってきたときに、あまりの体力差にげんなりしてきたのもあって、野球部には入らなくていいかと思って、どうしようかなと思っていたら、そのまま帰宅部になってしまった。

そして、毎日まっすぐ家に帰ってひとりでいるのもよくないだろうからと、学校の近くのその学校の元教頭だったおじいさんが経営していた、その学校の生徒専用の塾に行っていた。

特にモチベーションもないつもりだったけれど、学校に行くのは楽しかったし、授業も楽しいものもちらほらあったし、一応テストがあるからと少しは勉強していた。

中学の途中で、プレイステーションを買ってから、かなりゲームをたくさんするようになったけれど、ゲーム以外には興味があるものもなくて、あんまりテレビも見ずに、ラジオを流すか、友達と貸し借りした音楽を聞きながら、他にやることもないからと、ほんの少しは勉強して、テスト前二週間くらいは、ゲームはちょっとにして多少は勉強するようにしていた。

そして、大学に行くことで実家を出られるというのと、大学では勉強しようと思ったりもしていたから、数学があまりできなかったから国公立はやめたけれど、文系の私大ではなるべく勉強するのによさそうなところにいけるようにと思って、高校の後半くらいは、ゲームもちょっとくらいで、音楽を聞きながらだらだらと勉強をしていた。

相変わらずテレビはあんまり見ていなかったし、休日に友達と出かけることもないからファッションにも興味がなかったし、雑誌もゲーム雑誌を買っていたのもそのうちやめてしまったし、小説とか映画にも興味がないままで、漫画を買うにも金がないし、あまり同じ漫画を何度も読み返す方でもなかったし、自分で情報を探したり雑誌を読んだりするわけでもないながらに、友達から回ってくるいろんな音楽を聞くくらいのことしかしないまま、本当にただだらだらと勉強していた。

親からすれば意味不明だっただろう。

両親は勉強しないひとたちだった。

した方が得だということはわかっていたうえで、したくないし、自分の親も低学歴で、勉強しないことを許さないという環境でもなかったから、あまり勉強しないまま、あまり勉強しなかったなりに引っかかった進路に進んだひとたちだった。

俺は親から勉強しろといわれた記憶がないけれど、親は自分たちが勉強するのが嫌だったから、子供たちだって勉強したくないだろうし、あまりにできないと困ったことになるだろうけれど、そうでもないなら、気が向く程度にしていれば充分だというように思っていたのだろう。

それに比べれば、中学受験用の学習塾に入ってしまっても、宿題をしなくて講師に怒られたりもしつつも、塾自体は嫌になってしまわなかったり、中学高校でも、ひとしきりゲームしたあとに、他にすることもないから勉強でもしておこうかと思うくらいには、俺は勉強するのが苦痛ではない少年だったのだろう。

勉強が馴染んだかどうかというところだと、自分と親との生まれつきの違いというのはどういうところだったのだろうと思う。

生まれつきみたいな知的能力のパラメーターにどういう違いがあって、時間が経つほどにその違いが反映されるようになったとして、それはどういうところだったのだろう。

空間認識能力なんかは両親より自分の方がだいぶんあったのかもしれない。

言語に関連するところや共感能力も俺の方が高いのだろう。

これは母親もそうだろうけれど、父親と比べれば恐怖心が低いとか、そういうのも大きかったのかもしれない。

親との違いで顕著なのはそういうところなのだろう。

もちろん、たまたまな部分も大きいんだろうなとは思う。

小学校の頃からゲームばっかりして、塾でも勉強しなくて、中学受験なんてすることもなく、共学でモテるモテないでバカにされるのにいらいらして、部活もいまいち楽しくなくて、余計にゲームばかりして過ごす中学生になっていたとしてもおかしくはなかったのだ。

そして、ゲームばかりしていたわりには底辺というわけではない高校に進学したとしても、結局ゲームばっかりして、大学は行っても意味がないくらいの大学に行っていたかもしれない。

そうしていたら、親からすれば、特に自分たちの子供として違和感のない感じだったのだろう。

実際、俺の弟は、それなりに部活を楽しんだ以外は、たいして勉強もせずに、たいして勉強しなかったなりの高校と、たいして勉強しなかったにしてもそんな感じかという近場の大学に行った。

けれど、俺と弟はもともとかなり違っていた。

俺は何でも自分が中心の長男で小さい頃を育って、弟は自分がよちよちしているときも自分よりはるかにうるさい兄がいる家庭で親の手をあまり煩わせずにぼんやりのんびりした子供として育った。

どちらとも小学校高学年は少年野球団に入ったけれど、俺はその前に書道とか英会話をちょっとだけ習ったりして、弟はスイミングスクールに何年か通っていた。

俺は中学高校と私学にしては頭の悪い男子校で帰宅部で、弟は近所の公立中学と頭の悪い共学の高校で運動部に入っていた。

俺も弟も、中高時代はゲームをたくさんやっていたとはいえ、俺は地元を出るつもりだったし、それが許されるように、ある程度の大学には行けるようにと勉強していた。

勉強したかったわけじゃないけれど、高校生の俺にはゲームしかしたいことがなかったし、今ゲームをたくさんやるよりも、実家を出て大学生活を好き勝手に楽しみたいとは思っていた。

だから、だったら今は勉強しておけばいいかと思って、受験が近付くほど、ゲームすらしなくなっていきながら、だらだらと勉強していられたのだと思う。

どうして俺だけが家族の中で、なんとなく勉強することに甘んじていたんだろうと思う。

ただ単に、部活をしていなかったから、体力とか気力的に余裕があったし、時間的にもゲームをしたあとでも何かする時間があったから勉強しておいてもいいかとやっていた感じだったのかもしれない。

高校三年生くらいは、さほどゲームもせずにだらだら勉強していたけれど、学校で毎日爆笑していて、ゲームなしでもストレス解消をできていたのかもしれないし、増進会の教材をやるとき以外はほぼずっと音楽を聞きながらでしか勉強していなくて、音楽が楽しくて、そもそもストレスが溜まっていなかったのかもしれない。

あとは、男子校だったことで、モテたいがためにいろんなことを気にしたり、モテるためのいろんなことをやろうと躍起になったり、彼女ができて、次のデートはどうしようとか、そんなことばかり考えて過ごすことになったりしなかったというのもあるのかもしれない。

青春だったなと思い返せるような活動を何もしていなかったのだし、俺はそれなりに暇をしていたはずなのだ。

その暇をゲームと音楽を聞きながらの勉強で埋めていたというみっともないスタイルが、俺の場合は比較的見返りのある成果に結びついたということなのかもしれない。

けれど、そういうわけでもないのだろう。

部活をやっていれば、もっといろんな状況の中でいろんな気持ちを経験したり、体力的なものも充実した思春期を過ごして、お互いに部活でそれなりに疲れている仲間と、文句を言いながらも勉強していたかもしれない。

恋愛に興味を持った場合だって、女のひとと話したりしていて、どんな男になれたらいいというようなことを思って、もうちょっと将来的なことや、どんな大人になりたいという別の種類のモチベーションを持ちながら、そのためには勉強もできるうちにやっておかないといけないと思いながら過ごせたのかもしれない。

むしろ、自分にはもっと自分の資質を生かせるようになる可能性があったのに、男子校でひたすらのんびりしていたことで、大半の方向性でただ無思考なばかりの人間になってしまったという負の側面の方が大きかったくらいなのだろう。

そういうことは、いろんな要素でそうなったことだし、考えてもわかるようなことではないのだろう。

けれど、勉強への親和性の違いで、俺は俺以外の家族と、ずいぶん違う雰囲気の人生を送ることになったとは言えるのだろう。

そして、なんだかんだ、この四十年近くを振り返ってみたときには、勉強のことの違いは、ほとんど生まれつきだったのかなとは思う。

弟にしても、塾に行ったり家庭教師が来たりしていたし、全く勉強しなかったわけじゃなかったのだろう。

勉強してないわけじゃないわりにはいまいち成績が伸びなかったというパターンだったのだし、そういう勉強への適性だったのだろう。

俺は勉強しなかったわけではないし、出来のいいひとと比べると、多少やってもこの程度かというくらいだったけれど、それでも、やったらやっただけできるようになる側ではあったのだ。

今となっても、弟を見ていても、もうちょっと勉強しておけばよかったのにと思ったりすることはない。

バカではないから、バカだなと思うことはないけれど、世の中に興味がないタイプなんだろうとは思うし、どこかのタイミングでもうちょっと勉強していても、そのとき少しだけ変わっても、結局似たようなところに落ち着くことになったように思える。

父親と母親は、もうちょっと勉強していれば、もう少し違ったのかもしれないとは思う。

父親や母親の若い頃は、勉強しないひとの割合がもっと高かったのだろうし、少し勉強すればある程度の学校に行けて、それによって大きめの企業に入社できて、そこで特別出世することはなくても、特に出来が悪いということもなくずっと勤められたりもしたのかもしれない。

もちろん、父親や母親のように地方から仕事を求めて都会に出てきたような両親のところに生まれた、それなりに生活に苦労しているくらいの庶民の家で育った父親や母親こそ、いかにも勉強しないのを普通に思って育つケースだったのだろうし、勉強しなかったのが自然なことだったんだろうとは思う。

父親も母親も、当時はさほど人気の職業というわけでもなかった地方公務員にたまたまなれて、バブルの頃はともかく、そのあとはかなり恵まれた給料をもらって生活できたけれど、最後の方は新しく役所にやってくる新人たちが京都大学とか神戸大学ばかりなことに、どう思っていたんだろうかと思う。

母親は、そんなに勉強していい大学を出てやるような仕事じゃないのに何を考えているんだろうとか、若いのにいばりくさった若い男がいて、どうして謙虚になれないんだろうというようなことを愚痴っていたことがあった。

けれど、自分より学歴のあるひともそれなりにいる環境で働いていても、父親にしろ、母親にしろ、俺に勉強しろと言わなかったのだ。

父親の妹のところの従姉妹がけっこう頑張って幼児教育を受けさせられていて、歳のわりにはいろんなことを知っていたりしたけれど、それに対してもいい顔はしていなかった。

俺は親のそういう雰囲気を感じ取っていたのだろうと思う。

親が自分を賢いと思っている感じでもなく、勉強もしなかったと言っていたし、母親は運動も全くダメで、父親も特にスポーツできたひとというわけでもなさそうだった。

だから、親からもっとできるはずなんだから頑張れというような言われ方をしたこともほとんどなかった気がするし、俺も自分だって別にそういう感じなんだろうと思っていたのだろう。

自分が勉強すればとても勉強できるようになるはずだとか、スポーツすれば一番になったりできるはずだとか、そんなつもりで何かに取り組むこと自体がなかったように思う。

きっと、親が他の大人から頭がいいひとと扱われていたり、周囲からすごいと言われる仕事をしているのを見ながら育ったのなら、自分も頑張ったらそんなふうになれるのだろうというつもりで勉強したりするものなのだろう。

音楽家が音楽家の子供である可能性とか、アスリートがアスリートの子供である可能性はとても高いのだろうけれど、そういうことに特性があったひとたちの子供は、そういう特性があったのかもわからないひとたちの子供より特性がある確率がはっきりと高いというだけではなく、そういう環境的な要因も大きいのだろうなと思う。

スポーツで親がプロだったりしたのなら、プロで活躍したひとから頑張ったらプロになれると言ってもらいながら、そういうつもりで頑張れたりするのだろうし、それだけでも成長度合いは自然に違ってしまうだろう。

幼い頃からすごいひとの物事への取り組み方にちらっとでも触れて、すごくなるというのがどういうことなのかということを子供ながらに垣間見ることができているとか、環境面でもいろんなことが有利に働くのだろう。

そういうことも、俺はちっとも考えていなかったなと思う。

何かを一緒にしていてもひとによってずいぶんと成長度合いが違っていたりすることに何も感じないまま、俺は少年団野球をしていたり、進学塾に通っていた。

自分はできるはずだと思っていなかったから、自分のたいしてできなさにがっくりくることもなかったのだろうけれど、自分はできるはずだと思い込もうとしなかったのは、野心というか、どうしてもできるようになりたいという気持ちがなかったからなんだろうとも思う。

そして、少年団野球や進学塾は小学生の頃だけれど、そのあとにしてもずっとそうだった。


(続き)

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