発達障害傾向の強い子供が増えたのは社会の変化によって同類交配が増えたから
(こちらの記事の続きとなります)
本で紹介されていた論は、「成功にはトレードオフがあると述べる」という言い方で、知識社会で論理能力や数学能力をベースにシステム的な思考能力を発揮できる脳タイプがあり、そういう人たちが知識社会では成功しやすいけれど、そういう個体同士で結婚し、その形質を同類交配させてしまうと、自閉症という困難な障害を持つ子どもの発生確率を高めてしまうようだという内容だった。
(本はこちら)
自閉症というのは発達障害の一番グラデーションが濃い現れ方だったりするのだろうけれど、それはあくまでグラデーションなのだし、自閉症が現れる確率が高まっている界隈では、自閉症ほどは濃くはないものとして、高機能自閉症的だったり、アスペルガー症候群的な脳タイプで子供が生まれてくる率だって高くなっているはずだろう。
それは逆に、そういう界隈では、自閉症の子どもの発生率が上がっているだけではなく、発達障害傾向が薄い子供の生まれてくる率も下がっているということでもあるのだ。
昔から発達障害傾向を持った人間はたくさんいたのだろうけれど、情報社会になって、昔よりも高機能自閉症的な人や、アスペルガー症候群的な人が社会的に成功しやすくなったし、そういう人たちが、自分たちの強みを活かせる業界とか界隈に集合するようになって、一つの社会階層のようになってきているというのは、橘玲がよく論じていることではある。
けれど、そういう脳タイプによる強みをベースに圧倒的に優秀であることで特権階級のようになっていく人たちもいる一方で、その他大勢の中に混じりながら、典型的な定型発達タイプの人たちから、共感性の面で、普通じゃないと違和感をもたれているようなタイプの人たちだって、一般庶民の中に混じりながらも、似た者同士で結婚して、あまり定型発達的ではない雰囲気の子供を高確率で生んでいるのだ。
そんなふうにして、庶民の中で生まれてくる子供だって、昔よりどんどんと発達障害的な傾向を持った子供が増え続けているのだろう。
そもそも、男のほうが発達障害傾向の強い人は多いのだろうし、選べる中では収入が高いからと、不本意ながらもあまりまともに話が通じない男と結婚して、旦那が何を考えてるのか死ぬまでわからなかった女の人というのが昔からめちゃくちゃたくさんいるのだ。
そういう夫婦の子供だって、どうしたって発達障害傾向の薄くない子供である可能性が高かったのだろうし、発達障害が優性遺伝なら、淘汰圧がなければ、どうしたって時代が進むほどに発達障害傾向の薄くない子供は増え続けるしかなかったくらいなのだろう。
そして、情報社会になったことで、むしろ淘汰圧は高度な情報操作に適応しにくい脳タイプの人間にかかってくるようになっているのだ。
俺自身、祖父母四人を考えると、軽度知的障害、軽度知的障害、書字障害、アスペルガー症候群、という感じの4人だったりして、発達障害的な傾向は遺伝子的にはそれなりに持っているのだとは思う。
とはいえ、俺の父親は、あの祖父母からどうしてこんな長男が生まれたのだろうという感じの、男にしては共感性の高めな男だったし、母親はアスペルガー症候群の祖母から自分の子供なのに賢くないとがっかりされるところから人生が始まった、親とは別の脳タイプの人間だった(しかも自分の姉は母親に似たアスペルガー的な学校でも有名な変人の優等生だった)。
発達障害が優性遺伝的だとしても、遺伝は平均回帰するものであるのは、自分の両親のことを考えても、はっきりとそういうものなのだと思う。
※平均回帰、回帰効果とは
両親がそれなりに発達障害的な傾向が濃くても、子供はそれをそのまま引き継いだり、より濃縮するのではなく、性質を引き継ぎながらも、発現の仕方としては平均的に発現する可能性が高くなっているようだし、俺の両親にしても、平均側に回帰したケースだったのだろう。
俺はそういう両親のもとで、自分の気持ちは話せば何でもわかってもらえるし、それを受け止めてもらえるし、相手の話は聞いていればどうしてそんなふうに言うのかしっくりくるのが当たり前という感覚の子供として育った。
小さいときからずっと、自分が言ったことを誤解されると、誤解されるなんて思っていなくて、いつも小さくびっくりしてしまっていたけれど、そんなふうにびっくりする機会は、大人になっていろんなタイプの人と接するようになるほど増えた。
そして、俺はなぜだかIT業界で働くようになってしまったけれど、プログラマとかインフラ系とか、技術者として働いている人たちには、どうやったら今の言葉をそんなふうに誤解できるのか理解できないような誤解をしてくる人たちの比率があきらかに高かった。
そして、まだ業界が今よりも小さかった、昔の頃からIT技術者を続けている人たちは、見た感じからして、ずっと変わり者として生きてきたんだろうなという感じの人が多いけれど、近年入社してきたような若者たちというのは、普通っぽいし、自分でもそれなりに自分を普通だと思ってそうなのに、それでも、わかりきったこと以外の話をすると、気軽に素っ頓狂な誤解をしてくる人がとても多かった。
それは橘玲の本で紹介されていた通り、知識集約型産業であるIT業界にいるからこそ、よりそんなふうに感じられるのだろう。
界隈によって、最近の業界に入ってきた若者に、そこまで昔の若者との違いを感じないのかもしれない。
俺が近年の若者を見ていた会社は、高学歴でもなく、引く手あまたというわけではない中からまともそうな新卒を採用しようとしていて、理系の学部ではない人や、理系にさほど適性もなさそうな人も採用していた。
それでも、俺の中学高校大学の同級生たちや、昔いた、システム会社ではあるけれど、社員のほとんどは金融機関とか一般事業会社の経験者を中途採用していた会社と比べると、会議みたいにして話すにも、飲み会でも、なぜそういう言い方をしているのかというような意図がすんなり伝わり合っていなさそうな、ふわふわした空気がすぐに生まれてくる人たちが多かった。
人付き合いの距離感の変化とか、基本的な人間観の変化みたいなことだと、1985年以降生まれとか、それくらいの人たちから、自分からすると大きなギャップがあるなと思っていたけれど、そういうものとは別の、もっとあっけらかんとした感情の行き来の薄さみたいなものを、近年社会人になったような世代から感じてきていたのだ。
近年大人の発達障害というようなことがメディアで盛んに取り上げられるようになって、俺もインターネット上の記事を読んだり、読みやすそうな本を何冊か読んだりしたけれど、発達障害がどういう特性として現れるのかということを知っていくほど、自分の経験や印象からしても、実際に発達障害的な傾向を持っている人たちが増え続けているというのが現実なのだろうとしか思えなくなってきていた。
そういう中で、今回本で読んで、近年になって同類交配されるケースが急激に増えたことで、自閉症だったり、発達障害傾向のある子供が急激に増えている面が大きいという説は、いかにもありそうなことに思えたのだ。
発達障害傾向を持つ人間は昔からたくさんいて、優性遺伝的だからといって、平均回帰が働くはずなのに、どうしてそんなにも発達障害傾向を持つ人間が急激に増えているのかというのは、同類交配こそが急激に増えているからだったのだ。
そうだとして、どうなのだろう。
この傾向はより進んでいくだけなのだろうし、発達障害というのが優性遺伝なのだとして、発達障害傾向の濃さというのが、(平均回帰しつつも)より加速的に世の中に広がっていくということなのだろう。
けれど、発達障害傾向がそれなりにある人たちも、自分のことを普通だと思って生きているようだし、別に自閉症児の発生率がじりじり上がっていくというだけで、何が起こるというわけでもないのかもしれない。
ただゆっくりと、みんなが普通だと思う普通が変わっていって、その変わり方が、発達障害っぽいあれこれの一般化という方向性になっていくというくらいなのだろう。
というか、もうすでにそういう方向性にどんどん世の中は変わっていっているし、特に若者界隈はそうなのだろうけれど。
(終わり)
発達障害のことや、遺伝のことなども含め、息子への手紙形式で、もし一緒に息子と暮らせたのなら、どんなことを一緒に話せたりしたらよかったのだろうと思いながら、「息子君へ」という小説を書いています。
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