死ぬまで聴くぞ!僕的日本のAOR選Disk1 荒井由美「14番目の月」
「死ぬまで聴くぞ!僕的日本のAOR選」1枚目のアルバムとして紹介するアーティストは、ユーミンこと松任谷由実です。(文中敬称略)
改めて書くこともないですが、1972年に旧姓荒井由実名義の「返事はいらない」でシングルデビュー、翌73年に「ひこうき雲」でアルバムデビューしました。
そして2020年の「深海の街」まで39枚のオリジナルアルバムをリリースしています。
この中から1枚を選べと言われても、これは十人十色の選択があると思いますが、僕が「Album Oriented Rock」な1枚として選ぶのは、4枚目のアルバムで荒井由実として最後のオリジナルアルバムの「14番目の月」 です。
リリースは1976年
振り返ってみると、1976年前後は日本の音楽の転換期でもありました。
1070年前後にはっぴいえんどを中心に生まれ始めた日本のポップロックの流れに乗って、オフコースの「SONG IS LOVE」、風の「WINDLESS BLUE」、吉田拓郎の「明日に向って走れ」、井上陽水の「招待状のないショー」、翌年になりますがかぐや姫の「かぐや姫・今日」と、それまでフォークといわれるカテゴリーにいたシンガーソングライター達が、よりポップなアルバムをリリースしました。
後にニューミュージックと呼ばれる、フォークロックと言う新しいジャンルが定着を始めた時と言えます。
反戦歌としてメッセージ的だったフォークが、より自分の内面を唄う事になり、そこに恋愛を載せた叙情派フォークが全盛となった1972年に、荒井由実はピアノの弾き語りスタイルでシングルデビューしました。
800枚しか売れなかったと言われていますが、改めて聞くと、かまやつひろしプロデュースだからかもしれませんが、そこには叙情派フォークとは違うブリティッシュロックなテイストを感じます。
2010年に「MASTER TAPE〜荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る」と言う番組がNHK BS2で放送されました。
「ひこうき雲」の16チャンネルのマスターテープを題材に、ユーミンはもちろん、ご主人の松任谷正隆・林立夫・細野晴臣の当時のバックミュージシャンにレコーディングエンジニア達が収録を回想する番組でした。
ここに鈴木茂がいたらティンパンアレイが勢ぞろいです。
ティンパンアレイは当初キャラメルママとして活動していて、この放送でユーミンはキャラメルママと呼んでいました。
1973年の事です。
デビューシングルは全く売れなかった10代の女子と、僕は兄貴分のミュージシャンとしてあこがれの眼差しで見ていたとは言え、世の中的には全く知られていないティンパンアレイのコラボレーションです。
芝浦にあったアルファミュージックを設立した村井邦彦は、16チャンネルマルチレコーディングのスタジオを作り、ミュージシャンが音を作り上げていける環境を整えて、その中で作品を生み出していくことを進めました。
「ひこうき雲」のプロデューサーは、その村井邦彦でした。
一人の楽曲才能と楽器職人達の生み出す音楽の素晴らしさ、その音楽作成を支えるスタジオ環境とエンジニア達、そして作品を世に送り出すプロデューサーの存在が、それまでの歌謡曲的な日本の大衆音楽を、変えて行く節目になっていたことがわかります。
ニューミュージックと呼ばれた意味が、わかるような気がします。
ユーミンオリジナルアルバムで初のチャート1位となった「14番目の月」
そして、その3年後、「ひこうき雲」のレコーディング中におつきあいが始まったと言う松任谷正隆との結婚を期に歌手引退を意識していたのではないかとも思われる、独身時代の集大成的な名盤となったのが「14番目の月」です。
1975年に3枚目のアルバム「COBALT HOUR」がオリジナルコンフィデンスアルバムチャートで2位になりました。
「COBALT HOUR」も、ユーミンの初期代表作が詰まった名盤です。
そして、同年にドラマ主題歌にもなった「あの日にかえりたい」が、シングルチャートで初の1位となりました。
そして、その「あの日にかえりたい」を含む3枚のアルバムから選曲されたベストアルバム「YUMING BRAND」をリリースし、オリコンのアルバムチャートで1位を獲得しました。
ブランディングなどのマーケティング戦略が広まってきたのは、21世紀になってからと思います。
その4半世紀前に「YUMING BRAND」と名付けたアルバムをリリースしてたのは、振り返ればすごい事です。
「YUMING BRAND」は、僕たちの年代には懐かしい、赤と緑のセロファンのメガネで見ると立体写真に見えるジャケットのアルバムです。
ヒットチャートの「オリジナルコンフィデンス」も懐かしいですね。
今では略称だったオリコンが社名になっていますが、コンパクトディスクの販売低下に伴い、オリコンのヒットチャートもあまり聞かなくなりましたが、「14番目の月」はユーミンのオリジナルアルバムでは初めてチャートの1位を獲得しました。
振り返れば参加バックメンバーが凄すぎる!
この「14番目の月」も素晴らしいミュージシャンがバックを務めています。
と言うか、今となっては凄いと言うのが正しいですね。
90年代のアルバムに数多く参加した、ドラムのマイク・ベアードとベースのリーランド・スカラーが初めて参加しています。
ウエストコーストサウンドのリズム隊の起用が、このアルバムがそれまでとまた変わった感じを受ける一番の理由かもしれません。
キーボードはもちろん松任谷正隆。
細野晴臣はスチールドラムで参加。
ギターは鈴木茂と松原正樹。
パーカッションに斎藤ノブ。
トランペットの数原晋。
そして、コーラスとして山下達郎・吉田美奈子・大貫妙子・尾崎亜美がクレジットされています。
それにしても、豪華なコーラス隊ですね。
このアルバムは、松任谷正隆が初めてプロデューサーの立場で関わったアルバムで、全曲のアレンジも担当しています。
ただし、コーラスのアレンジは山下達郎です。
山下達郎は2作目の「MISSLIM」から「OLIVE」までの6作品にコーラスとコーラスアレンジで参加しています。
「OLIVE」が1979年リリース、山下達郎が「RIDE ON TIME」でブレイクしたのは1980年の事です。
統一され洗練された豪華なサウンドに包まれる
レコードに針を置くと、失恋の歌をポップに歌い上げる「さざ波」から始まります。
西海岸のリズム隊に松任谷正隆のキーボード、前作「コバルトアワー」をさらに洗練した感じのウエストコーストサウンドに包まれます。
2曲目はアルバムタイトルでもある「14番目の月」。
このアルバムタイトル、レコードを手にした時はどう言う意味かなと思いましたが、「♪次の夜から欠ける満月より14番目の月が一番好き」と唄われて、「なるほど、そう言う意味か!ユーミンらしい」と納得したことをよく覚えています。
デビューからのユーミンらしさを感じさせる「さみしさのゆくえ」と「朝日の中で微笑んで」と続きますが、マイク・ベアードとリーランド・スカラーが参加した意味合いが良くわかる仕上がりになっていると思います。
そしてA面ラストを飾るのは、日本のポップシーンに残る名曲「中央フリーウェイ」。
アルバム発表からもうすぐ半世紀が過ぎますが、高速は一向にフリーウェイになる気配はありません。
でも、中央高速に入り右側に競馬場が見えてくるとワクワクしてしまうのは今も変わりません。
愛犬の死を悼んだ「何もなかったように」も、エレピを使って弾き語りの雰囲気を残しながら、キーボード中心のアレンジで新しいユーミンを感じます。
当時のサーフシーンをいち早く取り入れて、茅ヶ崎のサーフショップ「goddess」を歌詞の中に取り入れた「天気雨」。
コーラス隊の活躍が始まります。
サンバのリズムの「避暑地の出来事」と、その後の日本のミュージックシーンを飾るリゾート系Jポップのエッセンスが先取りされているのはさすがです。
そしてR&Bバラード系の「グッド・ラック・アンド・グッドバイ」と「晩夏(ひとりの季節)」で、エンディングを迎えます。
それまでの3枚は1曲1曲を仕上げてアルバムに収めた感じが、「14番目の月」では、サウンドの統一感と一連の流れを感じさせる、アルバムオリエンテッドな仕上がりになっています。
ユーミンはいつも「14番目の月」
2020年12月、コロナ禍の中、39枚目のオリジナルアルバム「深海の海」がリリースされました。
66歳でオリジナルのアルバム、その創作力が衰えないのはすごいですね。
そして、2021年9月30日よりツアーもスタートしました。
どれくらい前から準備されていたかは分かりませんが、緊急事態宣言が明ける前日と言うのも、アルバムとの縁を感じます。
僕が最後に行ったライブは45周年記念アリーナツアーの地元さいたまアリーナでした。
その最後に「引退公演じゃないですよ!まだまだ、ステージのアイディアはあります!」と宣言していました。
これから結婚する二人が、満月より14番目が良いというアルバムを作ったように、そして、今回の作品よりいい作品が次回作であり、そのコンサートは更に魅せるものにして行く。
ユーミンはいつでも「14番目の月」なんですね。
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