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2024/10/11 自分は隠れ同担拒否だったのか

始めに ~同担拒否は恋愛感情ありきのものか~

私は、「同担拒否」とは「ガチ恋」もしくは「リアコ」と同じように推しに対する恋愛に似た感情ありきのもので、自分はその言葉と無関係だと思っていました。
だけど、コロナ禍以降の推しとの向き合い方やネット上での推し仲間との関わりの変化によって、「もしかしたら自分も同担拒否になってしまったかもしれない」と思うようになりました。
だけど、自分が好きなアーティストのことは色々な人に認知してもらったりお気に入りになってもらったりしたいし、彼ら彼女らを推している人々のことを下に見るような気持ちはないのです。
そういったことが気になったので、同担拒否の心理についてよく知りたくなりました。

そもそも「同担拒否」とは何だろう

「同担拒否」について説明するには、Wikipediaを見てもらったほうが早いと思います。

同担拒否になる要因は、他のファンに対する敵対感情や独占欲にあると言われています。
私はどれにも当てはまらなくてピンとこなかったのですが、自分なりに隠れ同担拒否だと自覚した理由を考えてみました。

私が隠れ同担拒否だと自覚した理由

・他者の感想に触れたくない

SNS上で見られるアーティストに関する発言は必ずしもポジティブなものばかりではありません。
例えば、運営側や作品、アーティスト本人に対する大なり小なりの不満であったり、他のアーティストに対する意見であったり、様々なネガティブな発言も見受けられます。そうなると、SNSで情報収集すること自体から離れていってしまいます。

・推し仲間との交流が面倒くさくなった

SNS上で推し仲間と交流することが、コロナ禍が始まった2020年以降めっきり減りました。
5年前だと、同じ公演に行った人の感想を検索したり、ランダムグッズの交換などを約束したりしていました。
しかし、TwitterがXになる前からコロコロと仕様が変わって使いづらくなったり、ネガティブな情報に触れたくなくてSNS上の人間関係をリセットしたというのもあります。そのうちに推し仲間との交流が面倒くさくなってきました。
今はXからリタイアして、mastodonやblueskyはやっているけど、絶対数が少なくて推し仲間を見つけづらくなりました。本当はInstagramもリタイアしたいけど、公式の情報の取りこぼしが嫌でアカウント削除を何度も失敗してしまいます。

・自分の推しごとに対するスタンスの変化

2020年からのコロナ禍とほぼ同時に自分の生活環境や心境も変わって、私の推しに対する向き合い方、推し活の考え方も大きく変化しました。
推しに費やせるお金や時間も限られているし、年齢を重ねるごとに体力が衰えて遠征して公演に行ったりするのも難しくなってきます。
例えば、日本武道館や東京ドームのように誰もが知っている会場での公演は魅力的で、一度は行ってみたいと思うけれど、交通費や宿泊費がかさんでしまいます。
コロナ禍で様々なことが制限された時期からは、なるべく近くの現場に赴く、参加する公演一つ一つを楽しむというスタンスが自分の中で育っていきました。

最後に 〜同担拒否もオタクの生きる道〜

結論として、オタクであれば、推しとの向き合い方次第で、知らず知らずの間に同担拒否になりうるという考えに至りました。そして、同担拒否でいることは別に悪くないと思いました。ただ、同担に対して攻撃的、挑戦的な態度をとるのは問題です。
これからは、推し仲間との交流は自分が無理しない範囲でやっていきたいとおもいます。

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