ゴーストワールド再上映に寄せたコメント
映画「ゴーストワールド」が11月23日より22年振りに再上映された。
こちらから手招きしてコメントを寄稿したのだが文字量を確認せずに1000文字近くのテキストを送りつけてしまった。
配給の方にコンパクトに編集していただいたものを掲載していただいた。
長いやつはこのまま葬っていいかなと思ったけどせっかくなので以下に掲載します。
「ゴーストワールド再上映に寄せて」
若い頃の僕には心から愛して止まない作品ほど他人に教えたくない底意地の悪さがあり、理由としては他者と作品を共有するほどに自分がその作品が離れていくような一種の独占欲がある。
ちなみに今は良いものはみんなで共感共有すれば良いと思っている。
2005年夏、土曜深夜のテレビで放映される映画を毎週楽しみにしていた。
当然だけどこの時代は映画見放題のサブスクは存在していない。
映画を観るなら映画館かTSUTAYAでDVDかVHSを借りるかテレビで観るかの三択で特に深夜はメジャー商業作品以外も頻繁に放送されていたので毎週楽しみだった。
ゴーストワールド初めて観た当時の僕は地元でバンドを組みながら倉庫でバイトしていた。
バンド活動は金がかかる。スタジオ代や雑費もそうだし、今もこのシステムがあるか不明だけどライブハウスに出演するのにもノルマがかかりほとんどお客さんを呼べない自分のバンドはライブが終わるたび金を払い続け「こんんなこと続けて一体なにになるんだろう」と疲労し辟易としていた。余談だけどこの地元で組んだバンドは程無くして自然消滅する。
深夜のリハーサルを終えてアパートに帰り一人酒を飲み缶詰やら乾きものをつまみながら映画を観る時間が好きだった。
その頃住んでいたアパートでは新聞勧誘が来ていて断っているのに朝夕の新聞が届く怪現象が起きていた。そのアパートを退去するまで新聞代は1円も払っていない。
その日のラテ欄を見ると深夜映画の番組に「ゴーストワールド」とあった。タイトルからして深夜にちょうどいいB級ゾンビ映画かなくらいの軽い気持ちで始まった映画を眺めていると少しずつ心や記憶をつねられるような感覚になったことを強く覚えている。
それはロックやパンクのカッコいい曲を聴いた時にビリビリくる感じとはまた少し異なり自分の後ろめたさを背後から突かれるような感じ。
安易な言い方をすれば過去の自分を見ているようだった。傲慢でわがままで主体性もなけりゃ一貫性もなくて、口達者なくせに他力本願で異常な寂しがり。
この女最悪だなっと何度も思ったけど、口に出せばその言葉の切っ先は自分に刺さると予見し言えなかった。
劇中散りばめられたポップカルチャーの鮮やかさとイーニドとレベッカのファッションの愛らしさにときめくけれど、実際はアメリカの片田舎で暇を持て余すサブカル小娘2人に過ぎず、社会と共存ができないまま自意識を拗らせてやがて別々の道を選ぶ彼女たちにやるせなさを感じざるを得なくて。 そして、当時はシーモアみたいなおじさんに絶対なりたくないと嘲笑したこともあったけれど今彼を笑うことはできないだろうな。 映画を通じて根底にずーっと漂ってるさみしさの正体はなんなんだろう。 大人になってもまださみしさはあるからこそ、あのラストシーンともう一度向き合ってみたい。 まだまだ語りたいことたくさんあるけれど止まらなくなるのでこの辺でやめておきます。
9年前に昆虫キッズというバンドで"BLUE GHOST"というアルバムを発表したのですが発端は彼女らへのレクイエムを作りたいという着想がきっかけでした。
もうこの映画と再会することはないと思っていたので、また出会えるなんてとても幸せです。
幸せの向こう側が今なら少し見えるから。
高橋翔(ex.昆虫キッズ)
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