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幸せは歩いて来ないどころか走り去るわ、不幸は寄ってくるわ。だから歩いて行くしかねぇって言うこと

いやほんとに。

はい。家の固定のインターネット回線が無くなってしまって、会社も辞めたからpovoの速度制限がすぐ来ちゃってまして、最近なかなかSNSもなんもスマホから離れてうさぎとばっかり遊んでました

てな事で久々の更新に当たりまして、タイトルに戻ります。

人は歩みを止めた時に、挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います

これは故アントニオ猪木の引退式て皆さんが好きな
「この道を行けばどうなるものか、あやぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ!行けばわかるさっ!ありがとー!」の前のやつです。


最愛をなくして僕は途方に暮れました、
幸せを追う気持ちになんてなれなかったし、
勝手に幸せが来るわけでなし
嫌な感じの不幸は何となく避けてこなしてました。

幸せを守りたいなんて事は、悪い事から逃げたいと比べて非常に大変なわけです。

ただ立ち止まってたって、いい事は寄って来ないし悪いことはピンポン押しでやってくるんですよね。
宗教とか仏壇の営業位でしたが。

もっと言えば幸せになるのも少し怖くて、些細な不幸なら慣れてて、容易にかわせるからって、そのままで居たりするのもあるよね。

だからもう自分で幸せの方に歩いて行かないと、持てる幸せは奪われあり痩せたりして、不幸だけが溜まる始末です


話を戻すと。
普通に暮らしてたらいい事の方がこっちに来ることなんてあんまりないもんね
それに勝手にやって来た幸せってさ、自分で見付けて自分で手にした訳じゃないから傍に留めて置く事とか
離れていきそうな時に引き戻す方法も分からない訳なんです。
なんせ勝手に指を咥えてたら来た訳だから、離れて行く時にも指を咥えている事しか出来ない。
指、ベチャベチャになりますわ。
それと、動かないと寄ってきた不幸にらつかまっちゃうしかねぇから、すこしずつでもそんな不幸から離れて行かないとね。

だからボーッとしてても不幸だけでなく幸せもやって来ます。
でもボーッとしてるだけだから幸せを繋ぎ止める事も不幸せを追いやる事も出来す、不幸だけが残ります。

だから何かしら動いていないと行けないよねー。
と、深夜にしみじみと考えていました。

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