熊本県教育委員会 教職員による性暴力・わいせつ行為「有罪とならなくても処分」との文言を明記に関する疑問
社会問題化する教員の不祥事
全国的に教職員の性暴力や猥褻事案が社会問題化しています。報道を見る限りでは近年極端に増加しているように感じますが、実際には有意に増加傾向にあるとまでは言えないようです。
猥褻教員はここ数年は200人強で推移しており、これは変化が無いように見えます。
では職業柄、そうした猥褻事件の発生率が高いかと言えばそうとも言えないようです。
教員の犯罪として、凶悪犯などと比較した場合は猥褻犯の比率は他の職業と比較して高いとは言われています。しかしあくまでもそうした犯行を行う一部の人間の話であって、大多数の教員が善良であることは疑いようがありません。
とはいえ教員への批判として猥褻事件の問題は頻繁に取り上げられるものであり、世間の風当たりも厳しいものになりつつあるようです。
熊本県の猥褻教員懲戒の方針
そうした全国的な状況と県内での猥褻問題の発生を鑑みて、熊本県では猥褻教員懲戒の方針が打ち出されました。
一見するとこの方針は決して間違いではないように思います。教職員の中に存在する性暴力や猥褻事案を引き起こす要因を可能な限り排除する教育委員会の強い姿勢がうかがえるからです。
ところが私の個人的な感想としては少しモヤモヤとした印象を抱いてしまうのです。
罪刑法定主義の原則
日本という国は法治主義を標榜する国家であり、犯罪行為に関してはすべて法的に決められたプロセスに沿って決定されるのが原則です。
この罪刑法定主義は恣意的な権力の利用を防ぐ意味でも、万人に対する公平性や国家権力の公正性を保つ上でも最も重要な概念と言えます。
今回の熊本県教育委員会の決定はこの原則に沿うかと言われると疑問が残ります。
もちろん、本人が認めている、証言者がいて犯行が客観的に明らかであるというのは限りなく「クロ」に近い状態ではあるでしょう。被害にあった児童への配慮で勤務をさせない、隔離させるということは当然必要です。しかしそうであれば、正式な懲罰ではなく、仮処分として自宅待機や研修所勤務の保留状態にすればよいはずです。
刑罰が下るのは裁判で有罪と認められてから、というのが絶対的な原則です。行政である教育委員会が懲罰を下すのはあくまでも裁判における有罪をもって行うべきではないかと私は思うのです。
驚くべきはこれまでもそうした処分を行ってきた、そして今回は文書化した、ということです。
仮に本人が認めていたとして、それが誰かをかばう状況だったとしたら、そして裁判でその内幕が明るみになったとしたらどうでしょうか。
もちろん児童、生徒の安全を確保すべきという基本理念自体を批判するつもりはありませんが、それが法律や原則を曲げて行うべきものではないのではないでしょうか。
この意見はおそらく賛否が大きく分かれるように思います。ただ、私の法律感覚で言えばこの処分は少し危険だな、と感じてしまうのです。
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