「サブスク地獄」ツイートに見る、あらゆる職業は普遍的ではないという事実
音楽好きの界隈で歌手の川本真琴さんのツイートが話題になっているようです。
川本真琴と言えば、90年代に「愛の才能」、「DNA」、「1/2」といったヒットを立て続けに出して、ギター系女子の先駆けになった方です。
このツイートにはアーティスト側とサブスク運営側の取り分の格差など、サブスクでの配信だけでは収益が上がらないという現実が表れているようです。
運営とアーティストの契約は不平等なのか
このツイートは非常に強い表現であり、実際にはサブスクで音楽を聞く手段を持たない若者などからの批判もあり、賛否分かれる評価がなされているようです。
さて、ではサブスク側とアーティスト側の契約はそれほど不平等と言えるのでしょうか。
こちらの記事では、1再生当たり1円弱であると書かれています。
一方でサブスク運営側はプラットフォームを準備し、保守やアップデートを常に行いつつ新曲のリリースを行います。
一人当たりのサブスク代金が1カ月で1000円前後であることを考えれば、1日30曲を毎日聞くユーザーを想定すれば、運営会社としても決して大きい利益が出るビジネスモデルではないでしょう。
自分の仕事が普遍的であるという幻想
川本真琴さんが、こうした不満をツイートした背景を考えると、歌手というビジネスモデルを時代に合わせて転換できなかったことに尽きると考えられます。
そもそも、1、2曲しか入っていないシングルCDが一枚1000円以上で流通し、そこから作詞作曲も兼ねる場合は印税率が3%、アーティスト印税が2%とすれば一枚当たり50円の売り上げがアーティストに入っていた時代が、実は特殊な状況だったのです。
しかも90年代はそうしたCDが100万枚の売り上げを超えるのが当たり前だった時代です。
かたや現代においては、CDを聞くための設備すら家にない世帯がほとんどであり、今のCDが売れない時代とは全く異なる状況だったわけです。
こうした中で、時代に合わせた歌手活動というビジネスモデルを変化させられず、あたかもCDが売れて収益が上がるという一時代にしか当てはまらない特殊な状況を普遍的であると誤認していたのではないでしょうか。
そもそもが、歴史を見れば音楽活動など芸術に関わる多くはパトロン無しに成立していないのです。
流通の整備と情報通信の中途半端な発達が重なった結果生まれた特殊なビジネスモデルがCD販売収益の正体です。
そして、多くの人たちも彼女同様に、自分の仕事の価値や存在意義、ビジネスモデルや収益率が普遍的であるという幻想から離れることはなかなかに難しいのではないでしょうか。
ちなみに、川本真琴は初期音楽サブスクサービスから参加しているアーティストです。
にもかかわらず、彼女のようなアーティストが過去の因習から逃れられずに怨念めいたツイートをするという事実には考えさせられるものがあります。
自分に落とし込んで考える
私の仕事である教員も、高校生は学校に行くべきという宗教的な教義を日本中が信仰しているために商売として成立しています。
高卒資格という目に見えないものを崇め、あたかも普遍的な価値があるかの如く見せる幻想によって維持されているシステムの一つでしかないのです。
例えば、多くの高校生が通信制高校に通うことが当たり前になったり、富裕層は海外に留学、中間層や貧困層は高校に行かず就職するのが当然となる未来だって存在するのです。
私の仕事だけでなく、多くの人が従事する仕事や職業は、たまたま時代の境目の中で金銭的価値を生むチャンスに恵まれたものに過ぎません。普遍的な価値を持つものなど存在しないのです。
そうした意識を常に持ち、自分の仕事や働き方を考え続け、時代に合わせた変化を探すことの重要性を再確認する出来事でした。