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暗殺未遂犯の中学の文集を晒した下劣極まりないマスコミ関係者の差別意識

岸田総理の爆発事件(暗殺未遂事件)の被疑者、木村隆二の中学時代の文集の内容を晒し、彼の異常性を強調するような記事が報道されています。

安倍元総理の暗殺事件における山上容疑者に対しての家庭環境や宗教団体との関わりもそうですが、話題になった事件の犯人の背景を調べることを名目にしてゴシップ記事をあたかも報道記事のようにして耳目を集めようとするのはマスコミの伝統芸です。

爆発犯はいかなる背景があっても許されないテロリストに過ぎない

まず前提として押さえておかなければならないことは、いかなる理由があろうともテロを肯定すべきではないし、どんな不幸な背景があったとしてもそのことを理由に同情的になってはいけない、ということです。

もちろん、そうした犯行に走った背景が仮に存在したのならばそうした社会制度は改善する必要があります。

ただ、それがテロ犯への同情になってはいけないし、マスコミはそうした思想誘導にならないように細心の注意を払って報道すべきです。

ところが、現実の日本のマスコミの多くがそうしたテロ犯の背景を同情的に、煽情的に報道し、世論を誘導して政権批判へつなげようという意図的な番組を制作に偏っており、それが第二、第三の模倣犯を生む可能性を高めています。

今回の木村容疑者もそうした報道に煽られた模倣犯である可能性は否定できません。

中学時の文集を晒す意味

今回の報道はさらに下劣極まりない内容で、容疑者の中学時の文集を晒すというゴシップ誌並みの低俗な記事となっています。

そもそも容疑者は24歳、中学時は10年も前のことです。

もちろん、その時期に何らかのトラウマを抱えた可能性はありますが、総理暗殺とその関連性はどう考えても低いでしょう。

仮に、中学時代の友人や関係者に対して何らかの事件を起こしたという犯行であれば、中学時代の文集を晒す行為にも大義名分は立ちますが、今回の犯行内容ではどう考えても興味本位での報道としか思えません。

文集の内容に関する偏見

今回の記事はそうした部分に加え、文集の内容にも容疑者の異常性が隠れている、という偏見が表れています。

以下は記事からの引用です。

文集の作文タイトルは「光について」。「光の速度は毎秒2億9979万2458メートル」「1秒間に地球を7回半回る速さだ」などと記し、ブラックホールは「極めて高密かつ大質量で、『光』さえ脱出することができない天体」と説明していた。
 その後、タイムマシンの実現可能性に言及し、「まずは光の速度を超えなければ話にならないので、到底タイムマシンを拝む日は来ないだろう」と結んだ。寄せ書きのページには「ありがとうございました」とのみつづっていた。

どうやらこの記者は中学時代の思い出や友人たちとの話を文集に書かないのは異常であるという認識のようで、このころからテロ予備軍の片りんを見せていると言わんばかりの書き方です。

同級生の「教室で1人でいることが多かった。無口な方だった」という情報はさらに拍車をかけています。

自宅近くで商店を営む熊岡良隆さん(71)は、「明るい子だった」と振り返る。小学生の頃、友人と一緒に駄菓子を買いに来ていたことを覚えており、サッカークラブの帰りに、店によく立ち寄っていたという。

どうやら、小学校時代は明るい子だったが、中学時代に闇を抱え、それが犯行に繋がったというストーリーが出来上がっているようです。

正直なところ、小学校から中学校にかけて周囲と壁を作るような生徒は少なくありません。

また友人との思い出を書くことに抵抗があったり、自分の好きなもの、興味のある内容を文集に書くのは男子生徒にはよくある傾向です。

記事における書き方は、偏見に満ちた視点であると言わざるを得ません。

マスコミ関係者の差別意識もあるのか

もちろんこうした報道内容に関して、意図的な偏向があるのは間違いないでしょう。

しかし、同時に感じるのは理系的、オタク的趣味を持っている人に対する差別意識、犯罪予備軍としての偏見も含まれているのではないかと思うのです。

これまでも「犯人の家に大量のゲームソフトが発見されました」という報道は数多くなされてきました。

こうした報道を見ると、マスコミで連日叫ばれる「多様性重視」という言葉が上滑りしているように感じるのです。

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