ゆがんだ「偏差値信仰」で大学教育を語る恐怖
文部科学省は政府の基金3000億円を活用し理工農系学部を拡充する支援事業について、大学や高専など111校を選出したと発表しました。
これはデジタルなどの成長分野に対応した学部再編や、人材確保を目指す計画1件につき最大約20億円を支援するもので、これによって学部増設などを行う大学があるようです。
広く浅い支援と狭く深い支援
今回の支援は理系学部への支援を広く浅く行う施策です。
一方で、特定の大学に重点的に支援するケースも先日報道されていました。
こちらは10兆円の資金を運用して最先端研究を行う大学に重点的に支援するというものです。
(勘違いしている人も多いので補足しますが、これは10兆円を大学に資金として提供する仕組みではありません。あくまでも10兆円を元手に運用し、その運用益を大学に支援するものです。ちなみに今年度は早速運用が600億円の赤字になったようですが)
現在この候補には東大、京大、東北大の3大学が上がっており、最終的には1、2校に絞られるとのことですので、かなり選択と集中を意識した支援と言えます。
批判の多い広い支援とその理由
前者のような広い支援に関しては批判が多くなりがちです。
その理由の一つは効果が見えにくいことにあります。
重厚長大な研究機関に大きな資金を投じる場合、期待される研究成果も大きく、その結果も見えやすくなります。
一方で薄い支援の場合、個々の研究の内容が見えづらいうえに、その成果自体も国家的な研究などではなく、人材育成支援などの草の根のものであるために成果が分かりづらくなるからでしょう。
しかし、それとは異なるレイヤーでの批判が存在します。
それは偏差値至上主義者たちの短絡的な学歴差別です。
3000億円基金、支援111校の内訳
今回の3000億円基金の支援を受ける111校の内訳を見るとそれがよくわかります。
例えば支援1の選定大学を見ると、九州内の私立大学では久留米工業大学や西九州大学が選ばれています。
久留米工業大学の河合塾偏差値はBF~40.0、西九州大学の場合はBF~35.0とかなり低い偏差値であり、明らかに学生の多くは「受験勉強」が苦手であった人達であることが予想されます。
ゆがんだ「偏差値信仰」
偏差値至上主義者にしてみれば、この層の学生が通う大学にお金をつぎ込むこと自体が無駄、とでもなるのでしょう。
しかし、こうした受験を神聖視する人の「偏差値信仰」は全く地に足のついていないエリートの目線でしかありません。
(あるいは学歴しか自慢するものがない人の僻みでしょう)
彼らの世界観では、丸の内や港区、霞が関や虎ノ門で働く人たちが日本を引っ張っているのであって、それ以外の低学歴は自分たちが食わせている、ぐらいの認識でしょう。
ところが、現実はそうではありません。地方の都市で製造業に従事し、組み立てメーカーのために部品やパーツを作る人たちが多数存在し、彼らの力で社会は成り立っています。
近頃盛り上がっている半導体などの製造もその一つでしょう。
したがってこうした地域の大学に「人材育成」という名目で資金を投入することは決して無駄にはならないのです。
先に上げた2大学も、地域人材を輩出するという点において一定の役割を果たしている大学です。
「偏差値」は所詮、大学入試の時点での得点序列を数値化した指標に過ぎず、それを社会的価値に転化してしまう人は少なくありません。
受験指導をする上では非常に有用な指標であるがゆえに、その使い方を間違えてはいけないように思います。
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