20年前の「大学像」をもとに大学教育を批判する中高年の滑稽さ
20年前の「大学像」
現在42歳の私が大学に入学したのは1999年、今から24年前です。
その当時は私が通っていた地方国立大学でも教養などは300人収容できる大講義室で行われる講義も多く、出席も単位認定もがばがばというものが当然にありました。
特に文系の学部の場合はそうした講義が必履修のかなりの割合で存在し、大学に行かなくても卒業できる、大学は勉強する場所じゃないというイメージを持つ人が多かったように思います。
これが多くの中高年が考える「大学像」です。
現在の大学≠レジャーランド
さて、では現在の大学はかつてのようなレジャーランドのままなのでしょうか。
これは私の在学中から始まった動きですが、GPAの導入が現在ほとんどの大学で行われています。
GPA(Grade Point Average)とは、学生の成績評価値のことで具体的には各科目の成績を点数化し、その合計点を履修登録した単位数で割り算した平均点がスコアとなります。
現在の大学ではこのGPAに応じて取得講義やゼミ選択が影響を受けますし、そもそもGPAが低い(評価が低い)学生はCAP制によって取得単位が制限されます。
つまりかつては冗談で言っていた「可山優三」では卒業単位習得まで至らないこともある、ということです。
出席確認も厳格化しており、学生証による入室確認が行われる大学も存在します。
また必履修英語などはTOEICのスコア取得を単位取得要件とするなど、学習をしていないと単位取得は出来ない仕組みとなっています。
理工系の場合はそれに加えて「JABEE」認定など、専門教育の講義内容や試験にまで踏み込んだ認定制度も存在しています。
学生運動の時期から平成の中期までは当たり前だったレジャーランド感は現代の大学にはほとんど感じられません。
もちろん、全国に800校前後存在する大学のすべてが学生をしっかりと管理し、卒業のクオリティを確保しているとは言いません。
いわゆるボーダーフリー大学の中には教育機関の体をなしていない学校や、外国人留学生で定員数を無理やり固める学校も存在します。
しかしそれは個別の大学の問題であって、多くの大学は(入学難度が低くても)かつてとは比較にならないほどしっかりと管理体制を敷いています。
(印象とは逆に、有名大学の中には人気に胡坐をかいて学生の管理をおろそかにしているような例も見られます。)
むしろサポート慣れしすぎ問題
現代の大学が抱える問題は大学で遊び回り講義を受けない、ということではなく、むしろサポートされることに慣れ過ぎている学生が増えていることです。
現代の学生は就職やインターンなどのサポートを大学側が手厚く行っており、そのために自分で能動的に動いて進路を切り開く学生が極端に減っているという話を方々から聞きます。
そしてその逆に、一部の学生だけがSNSやコミュニティの力をフルに活用し主体的に行動をしており、二極化しているという感想を耳にすることが少なくありません。
おじさんたちの滑稽さ
専門外の分野や現状認識が浅いのにしたり顔で批判をするということが、教育関係では度々見られる光景です。
学生時代の一方的な視野のままでの批判や、数十年前の状況を現代でも変わらないという思いこみがその原因でしょう。
彼らのそうしたふるまいは非常に滑稽であるとともに、自身がそうしたふるまいをしていないかどうか、身につまされるとともに深く反省したいところです。
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