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エスカレーターは歩くべきか、歩かざるべきか

先日、JR秋葉原駅でエスカレーターで立ち止まっていた高齢男性が、60代の男性(こちらも高齢者ですが)に暴行を受けるという事件がありました。

記事によれば、暴行した男性は前方に立っていた高齢男性に「邪魔なんだよ」と声を掛けたところ、高齢男性から「エスカレーターは歩くもんじゃない」と言い返され暴行に及んだということです。

高齢男性は腰骨を折り、歩行に支障が出るほどのケガを負ったようです。

この男性の暴行に関しては言うまでもないことですが、ここまでは無くとも多少のトラブルは全国で同様に起こっているようです。

エスカレーターは歩いて良いのか

近年は危険防止のため、駅の構内などにもエスカレーターは歩かないように呼び掛けるポスターが掲示してあります。

また、昨年度に埼玉県で、先月には名古屋市が「エスカレーター条例」を公布しています。

そもそも、エスカレーター機械の構造として歩くことを想定しているのでしょうか。

一般社団法人日本エレベーター協会はHP上でも「当協会、鉄道事業者などでは、エスカレーターの歩行禁止を呼びかけています。」との注意喚起を行っています。

また、そのための片側通行に関しても「急いでいる人のための片側あけは、片方の手が不自由な場合、手すりにつかまれずに大変危険です。」との記述があります。

こうしたことからもエスカレーターは歩くべきものではない、立ち止まって乗るものであるのは明らかです。

そして、エスカレーターを歩く、走る行為とセットになっているのが片側空けの習慣です。

普遍性のあるマナー行為か?

そもそもエスカレーターの片側を空ける行為はいつから始まった習慣なのでしょうか。

江戸川大学名誉教授の斗鬼正一氏の紀要論文からの引用です。

エスカレーターという新文化も、登場して時がたつにつれて、その使い方が決まってきた。右側に立ち、左側を空ける片側空けが世界で初めて行われたのはロンドンの地下鉄駅といわれるが、いつ、どんなきっかけで始まったのかは明確になっておらず、1944年ころ混雑緩和のために公務員が思いついたという説が挙げられているだけである。
(中略)
1989(昭和64、平成元)年ころ、自然発生的に片側空けが始まった。同年の読売新聞には、「新御茶ノ水駅にロンドン方式現る」という記事が掲載されている。
(中略)
また東京駅では、1990(平成2)年に京葉線東京駅開業で、京葉線乗り場に通じる長い地下通路に動く歩道が完成、JRが初めて右空けの呼びかけを始めている。

江戸川大学紀要 第25号(2015) 斗鬼正一
エスカレーター片側空けという異文化と日本人のアイデンティティ 

おそらくは世界的には第二次大戦後、そして日本では1980年代後半から広まった風習でしかないようです。

その後、国内の大都市に普及していき現在のように広まったのは2000年代あたりのようです。

とはいえ地方では完全に広がった風習ではなく、私が住む熊本などでもほとんどのエスカレーターにおいて片側に寄って乗っている人は一部でしかありません。

それほど人は急いでいるのか

実際のところ、エスカレーターを歩いたからといってそれほどの時間短縮にならないことは誰もがわかっています。

とはいえ、片側空けの文化はそうした実利的な意味だけではなく別の観点で考える向きもあるようです。

歩くことは、食べることなどと同様に、人が生きていく上で必須の極めて動物的、本能的な行動であるために、本来これらへの統制は、される側に強い抵抗感を持たせる。しかし明治政府が風俗、歩き方といった欧米文化を導入した際と同様に、エスカレーター片側空けの場合も、欧米文化こそが輝かしく先進的で、優れた、学ぶべき文化であるという価値観をまぶして導入したのと同様に、優れた学ぶべきマナーという輝かしさをまぶして導入された。
(中略)
さらに、こうした欧米から東京へという文化の流れは、東京と地方という枠組みにもあてはめられ、欧米文化にならった東京文化こそが、華やかで、先進的な文化であり、遅れた地方が学ぶべきで、学ぶことによってこそ遅れた地方人が現代人へと開けていく、といった価値観が背景にあったのである。

江戸川大学紀要 第25号(2015) 斗鬼正一
エスカレーター片側空けという異文化と日本人のアイデンティティ 

東京中心の世界観や欧米礼賛の価値観がその背景にある、と斗鬼氏は主張しています。

さらに、現在における「歩行禁止」や「片側空け禁止」は危険性や機能面から行われているのに加えて、行き過ぎた効率重視社会への見直しや東京中心的価値観からの脱極を意味する、とも言えるのではないでしょうか。

とはいえ、巷ではいまだに片側を空け、歩いてエスカレーターを通行する人が多いのも事実です。

まだまだ旧来の価値観から抜け出せない人が多数存在するという指標なのかもしれません。


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