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【題未定】選びたくても選べない――供託金が未来を閉ざす日【エッセイ】

 2024年10月15日、衆院選の公示日を迎えた。これから2週間は選挙が盛り上がるだろうと思っていたが、私の住む地域ではどうやらその予想とは裏腹に静かに選挙戦が始まっているようだ。というのも小選挙区の立候補者が自民党、共産党、参政党からの3候補しか出馬していないためだ。

 実際のところ、全国的には今回の選挙はこれまでの10年の与党自民党の評価と今後の信認を占うという意味でこれまでの数回の衆院選よりも注目度は大きくなっている。特に自民党総裁が石破茂氏になったことで、これまでの保守色の強い安倍派、積極財政派からリベラルで緊縮財政派への転換が国民の支持を受けるかどうか、非常に興味深い選挙となっているためだ。

 ここで留意点として以下のことを確認しておくことにする。いうまでもなく私自身の支持政党や主義主張は当然存在するが、ここでは特定の政党を支持や批判するのではなく、可能な限り中立に今回の選挙の問題点を提示していく方向で記事を書いていく。

 私が考える今回の衆院選の最も大きな課題は、私の住む地域の選挙区が抱える問題そのもの、小選挙区における候補の選択肢の少なさである。この問題が選挙難民を生んでいると言っても過言ではないだろう。

 故安倍晋三氏が総理大臣に返り咲いてからの数回の衆院選において、基本的に国民の多数派が自民党を支持している状況が続いていた。もちろんそうではない人達もそれなりに存在していたが、全体としては投票先に困る人は少なく無かったのではないだろうか。国民の多くが消極的与党支持者であったからだ。

 ところが今回の場合はやや状況が異なっている。これまでの消極的与党指示者の半数ほどはこれまでの自民党の方針からの変更に対して疑問を感じているように見える。消極的与党支持者の多くはそこまで政治に興味があったわけではない。しかし人気のあった安倍総理からの菅、岸田総理への禅譲までは納得している空気感があったように感じる。彼らは強固な自民支持層ではなく、故安倍氏に対して支持をして、その結果自民党を支持していたような層なのだ。

 しかし石破氏はどうだろうか。石破氏は故安倍氏とは反目する中であったし、故安倍氏を支持する保守層や積極財政層には政策的にも相反し評判の悪い人物でもある。正直な話、地域のつながりから無思考で自民党に投票する高齢層はともかくとして、ここ10年ほど自民与党自民党の単独過半数を支えてきた層は脱自民を考えているように見える。

 ところが小選挙区においてはその脱自民党の受け皿が存在しないのだ。自民党は小選挙区に全国で266人の候補を立てている。一方で野党第一党の立件民主党は207人、共産党は213人となっている。この2党はかろうじて受け皿を準備しているが正直なところこれまでの消極的安倍自民支持層はこの2党を支持することは難しいだろう。政策的にあまりにも差があり過ぎるのだ。特に外交や防衛、そして国家観や憲法改正に関する溝は大きいだろう。

 そのため政策的にはこれらの層は日本維新の会や国民民主党を支持する可能性が高いことになる。外交、国家防衛戦略や財政政策などそれぞれに自民党と共通するところを持つからだ。ところが両党が抱える小選挙区の候補は日本維新の会が163人、国民民主党に至っては41人と参政党の83人の半数以下となっているのだ。どちらも野党第一党すら狙えないような候補者数となっているということになる。

 この原因は複数存在する。まずは野党のほとんどに共通して下部組織がきちんと構成されていないことである。自民党はその長い歴史から、各選挙区に政党支部が存在する。そこから県市町村議会の議員が意見を吸い上げ、地域の要望をフィードバックする役割を担っている。これは過度な農業保護や無駄な公共事業の温床ともなったが、高齢者の支持を固めるには最も効果的な手法である。高齢化が進むことで、地方における強固な地盤こそが自民党の強みなのだ。必然、各県の1区以外においても小選挙区の候補を出せるのということになるだろう。

 次に資金の問題である。衆院選小選挙区の立候補には300万円の供託金、そして選挙資金が加えて必要になる。これを個人で拠出することは非常に難しく、したがって政党の公認候補となり政党持ちで選挙に出馬することになる。とはいえ、国会議員の数が少ない政党はその資金も乏しく、一部の地域にしか公認候補を出馬させられない。そのため資金的に他党よりは潤沢な自民党や共産党しか小選挙区の候補を立てにくい状況になっているのだ。供託金に関しては諸外国では必要としないケースが多い。アメリカ、ドイツ、フランス、ロシアなどの国々はそもそも供託金制度が存在しないようだ。イギリスの場合約8万円、カナダで約10万円とあり、かなり少額で立候補できるようだ。

 残念ながら政党の既存の下部組織を無理やり解体することは難しいし、新たに作ることも一朝一夕でできるものではない。しかし立候補における供託金に関しては別である。特に昨今はネット上における選挙活動も可能となっており、供託金の金額さえ下がれば選挙に出たいという人間は決して少なくないのではないだろうか。ネット選挙制度の拡充を合わせれば、より広い層の意見を政治に組み上げることが可能となるはずだ。

 そもそも供託金制度は候補乱立による混乱を防ぐという目的から設定されたものである。これはアナログな時代だからこその問題である。現代において、有権者はネット上で候補を調べることがいくらでも可能になっている。そうであれば高額な供託金という制度の存在意義そのものが崩壊しているのだ。

 政治への無関心は豊かになった国の宿命ではある。冷戦終結から30年近く、戦争の恐怖も無く、それなりに裕福に生活できた国家においてすぐに選挙への意識を変えることは決して簡単なものではないだろう。だからこそ、せめて供託金制度というハードルを下げることからはじめるべきではないかろ思うのだ。

 そうなれば、今回の衆院選のように小選挙区で投票する人間がいない選挙難民という問題から解放され、投票したい人間の量や多様性に頭を抱えるという新たな悩みを得ることができるようになるのではないかと思うのだ。


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