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「努力は報われない」

本日、3月8日は九州地区のほとんどの国立大学の前期試験合格発表でした。

私の勤務する学校にも合格した生徒が複数いて、嬉しい報告を受けました。

しかし、一方で残念な結果に終わった生徒もいます。

大学受験の場合は志願倍率が2倍を超えることが多いわけですから、むしろ残念な結果となった受験生の方が一般的には多いことになります。

毎年ですが、この時期になると再確認することがあります。

「努力は報われない」

ということです。
(さすがに不合格になった受験生に直接は言いませんが…)

巧妙な罠

そもそも、20年以上大人をやってくればこんなことは自明です。どんなに努力したって報われないことはたくさんあります。

しかし、例えば受験に合格した瞬間に大人は「あの子は頑張ったから報われたんだ」というフィクションを信じたふりをして、若者を騙そうとします。

また、更に巧妙な罠に引っかかると

「努力をした人が必ずしも成功するわけではないが、成功した人は皆、努力をした」

という話した大人本人まで信じてしまうような嘘で煙に巻くのです。

運次第

大学受験において、全く努力をせずに合格したという例は少なくありません。

努力をせずとも世間体の良い大学に合格するケースを私は職業柄多く見てきました。

かたや、努力をしたが志望校に何年も届かないケースもあります。

マイケル・サンデルの「実力も運のうち」という本にもありますが、学力のベースは生まれつきの数的処理能力や思考力も運次第ですし、何よりその地盤となる教育環境は保護者の富裕度に大きく左右されます。

そしてどんな家庭に生まれるかは全て運次第なのです。

努力と成功

成功した人の成功した理由は、十分な努力をしたからではなく、幸運に恵まれたことが主因なのではないでしょうか。

もちろん、その人も努力はしているでしょうが、同量の努力をしても成功できない人が存在するということです。

つまり、生まれや教育環境によって、高すぎる目標は努力では現実的に到達できない領域が存在するのです。

さらに言えば、どれだけの努力をできるか、という事自体も出自に大きく左右されます。

自分が努力をしているつもりでも、努力する習慣を身に着けた家庭で育った人にとっては努力ですらない可能性すらあるのです。

報われないからこそ、「面白い」

では、「努力は報われない」のだから、努力することは無意味なのでしょうか。

むしろ、報われないからこそ「面白い」のです。

努力するという行為を通じて、現実的に自分の手の届く範囲を探っていく。
そうやって、自分の限界や自分という存在自体を作り上げていくのだと思います。

努力をしても手の届かない場所を見つけられたときこそ、自分という存在の輪郭を探り当てた瞬間なのではないでしょうか。

努力が常に報われてしまう世界は、どんな願いも努力次第で叶ってしまう世界です。それはあまりにも味気なく感じます。

努力しても結ばれない相手や、叶わなかった夢、そんなものが人生を面白くしてくれるのだと私は思います。

ということで、私は毎日noteを書くという特に報われない努力をして、自分の限界を探しています…

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