【題未定】平等を食べる:牛角の割引が示す日本のジェンダー意識【エッセイ】
先のパリオリンピックにおいてLGBTに関して度々話題になった。こうした性別やジェンダーに対しては社会的関心が高まりつつあり、現代社会における価値観や倫理観と結びつき、大きな社会問題となっている。
性別に関わる問題でここ数日話題をかっさらっていったのが牛角である。牛角といえばおしゃれ系焼肉店として話題になり、若いカップルや女性層が気軽に行くことができる焼肉チェーン店として全国に普及したライト系焼肉店の先駆け的な存在である。
そんな牛角であるが、ここ数日各種SNSで論戦の火種となっている。その原因は「食べ放題女性半額キャンペーン」である。こうした女性優遇を謳った割引は現在においても多くの企業が行っているが、不思議なことにこの牛角の半額キャンペーンは過去のそれらと比較しても異常なまでに議論が沸騰しているようだ。
SNS上の意見を大別すると、主に男性が主張する「男性差別、女性優遇ではないか」という声と「女性客優遇はカップルやファミリーにも負担軽減になる」という意見の二種類である。
まずもってこの問題に関して確認しておかなければならないのは、後天的に変更をすることが困難な要件をもって待遇に差をつける行為は原則「差別」に類する行為であるということだ。したがって、あらゆる女性優遇(あるいはその逆も)サービスは厳密に言えば差別以外の何物でもない。
よくこの点に関して合理性が話題となる。例えば「女性は食べる量が少ないから」というものだ。しかしそもそもそれは傾向の問題であって必ずしも全員に当てはまるものでもない。小食の男性や大食の女性はいくらでも存在するだろう。
次に反論のベースとなるのは、私企業の企業戦略であり自由である、というものだ。これに関しても私企業だから差別的な待遇やサービスまで自由であるというロジックは現代社会においては容認されない。仮にこれらが正当な理由であるというのならば、男性は食費がかかるので、あるいは世帯主が多いので女性よりも給与を多く支払う、といったことがまかり通ってしまうのだ。
日本において男女差別を明確に禁じた法律は「男女雇用機会均等法」のみだが、これは憲法の法の下の平等の精神に基づいたものであり、それはあらゆる法制度や基準に適用される。当然ながら企業や国民の活動もその精神に立脚するものでなければならない。
仮に合理性をもとに男女差別を許容すべきという考えを支持するのであれば、それはここ一世紀にわたって行われてきた男女平等やウーマンリブ運動の精神を大きく汚す行為である。なぜならば今日における男女平等は統計的な能力差や合理性を排除した上で平等の原則を敷くことで成立したものだからだ。
今回の牛角炎上の内容自体は取るに足らない一企業の商業キャンペーンでしかないように見える。これまで存在していた「レディースデー」の亜種であり、うるさい人間のやっかみと映るかもしれない。
しかしそれらの根本には男女平等と差別の問題が大きく横たわっている。事実とある比較法律学の専門家はアメリカの主要州ではこうした商業行為は違法であり摘発されるだろうと述べている。
今回の問題を差別と発言すると「誘う相手のいない孤独男性」などの揶揄が飛び交っている。しかしそれこそ悪質なヘイトそのものであり、人権意識の低さを露呈させるものでしかない。
これまでは女性の権利が制限されているがゆえに見逃されてきた、あるいはアファーマティブアクションとして許容されてきた女性優遇、男性軽視のこうした商業キャンペーンは早晩終わりを告げることは間違いない。多くの人たちがそれを差別だと認識し始めているからだ。
これまでのような線引きが曖昧で、女性の不自由さと優遇を併存した世界が一方にあり、もう一方には欧米式の厳格な平等主義の道が存在する。どうやら日本は後者を終点として歩を進めているようだ。その先に待つのが真に平等が実現された理想郷なのか、あるいは堅苦しく窮屈な不自由の箱庭なのかは分からない。
一先ずは巷に依然として蔓延る性差マーケティングの生末を見守りたい。